テレビ黎明期
電気と電波との出会い
| 1840 モールス符号の発明 |
| 1843 ベイン、走査概念の考案 |
| 1854 米提督ペリー、将軍にモールス電信機献上、実演 |
| 1856 ガイスラー、真空放電管の発明 |
| 1864 マクスウェルの電磁場理論 |
| 1868 (明治1) 明治維新 |
| 1869 横浜で電信線800m敷設 |
| 1871 長崎-上海、長崎-ウラジオストック間海底電信線敷設 |
| 1871 郵便事業開業 |
| 1872 東京-新橋間鉄道開通 |
| 1873 セレンの光電現象の発見 |
19世紀、人間は電気と電波の存在を突き止める。1895(明治28)年にはマルコーニが無線電信を発明した。それから10年ほどして、真空管が発明され、ラジオへの技術的道筋が作られた。通信技術の発展は人々の生活に劇的な影響を与えたが、とりわけ無線通信は情報伝達の距離と時間を一挙に短縮する画期的な発明だった。
1840 情報は、電気信号で伝達できる
Tele(遠く)、Phone(聴く)
Tele(遠く)、Vision(見る)
人間は、太古から遠くに思いをはせてきた。遠くの情景を瞬時に耳にすること、目にすることは、常人には叶わぬことで、千里眼や水晶占いは多かれ少なかれ世界中の人々の望みだった。そのようなTele(遠く)、Phone(聴く)、Tele(遠く)、Vision(見る)という人類の長い夢が、ひとつの科学的思考や技術の裏づけをもって考えられるようになったのは、19世紀のことだ。
人類は“電気”を手にした
とりわけ19世紀後半は、情報通信技術にとって、人類がこれまで神秘と考えていた自然現象を科学的に解明してゆく黎明期だった。すでに18世紀には、電気の存在が突きとめられ、日本でも高松藩士平賀源内は、長崎で舶来の見世物を見た知識をもとに1776(安永5)年にエレキテルという摩擦起電機を初めて製作している。1800年頃に、イタリアのボルタは、塩水で湿らせた紙を銅と亜鉛の板で挟むと、この2つの金属の間に、持続した電流が発生することを実証していた。これは、現代の電池の基礎原理となるもので、人間が安定した電気を手にしたことが、20世紀を「映像の世紀」とする第一歩となった。
情報の電気信号での伝達
1840年頃には、アメリカのモールスが、情報をモールス符号と呼ばれる単純なトン・ツーの2つの符号の組み合わせ(電気信号)に変えて伝達する電信を発明した。この電気通信への期待は大きく、日本でも1854(嘉永7)年に2度目に来航したペリー提督が幕府にモールス電信機を献上し、この電信機を使用した通信実演も行われた。
電波の発見―無線通信の成功
有線による電気通信が可能であることがわかると、情報を無線に乗せる研究も加速した。無線通信のもととなる目に見えない電波の存在については、ドイツのヘルツが電気振動により発生する電磁場を検出し(1887)、電波は光とまったく同じ性質を持つことを実験的に示した(1888)。この電波の発見が無線通信の技術発展の契機となった。
無線通信実験では、イタリアのマルコーニが1895年に自宅の窓からモールス信号で、2.4kmの通信に成功したのが最初である。翌年マルコーニは、イギリスに渡り、1901年大西洋横断3,600kmの実験に成功した。
初めて人間の声が、電波に乗った
19世紀後半は、まさにメディアの爆発の時代で、1876(明治9)年アメリカのベルが人間の声を電気に換えてそれを再生する電話機を発明し、翌1877年には、アメリカのエジソンが、音声を録音する蓄音機を発明した。そして人類の声が初めて乗った電波が1906年のクリスマスイブに、カナダ生まれのフェッセンデンによって、アメリカのボストン郊外から発射された。

ペリー提督献上のモールス電信機の
横浜での実演風景(模写)(1854)
逓信総合博物館蔵
平賀源内
(1728-1779)
エレキテル
逓信総合博物館蔵

マルコーニと初期の送信機
EVERETTE COLLECTION /
amanaimages提供
ペリー提督が幕府に献上したエンボッシングモールス電信機(1854)
逓信総合博物館蔵

