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テレビは人類の
見果てぬ夢だった

 

1875 ケアリー、多線式テレビを考案  
1876 ( 明治9 ) ベル、電話機発明 ( 送話器の特許取得 )
1877 エジソン、蓄音機 ( フォノグラフ ) を発明
1877 ソーヤー、直列式テレビを考案
1884 ニプコー円板の発明
1888 ヘルツ、電磁波を実証
1895 ( 明治28 ) ルミエール兄弟、シネマトグラフを公開
1895 エジソンの映画ビジネスはじまる
1895 マルコーニ、無線通信実験に成功
1897 ( 明治30 ) ブラウン、ブラウン管を発明
1898 ( 明治31 ) 東京−大阪間長距離電話開通

20世紀は、人類が長く夢に見たテレビが現実のものになり、大きな地球が小さく身近になって、世界の人々が地球市民として生きる情報環境を提供した。その原動力は、太古から人々が夢に見てきた“ Tele−Vision ”( 遠くを見る ) ことへのあくなき願望である。放送技術者は、その人類の夢を実現可能な技術にしたのだ。

1843 映像は、分割・走査して伝達できる

映像の世紀への夜明け前
 19世紀後半は、まるで現代のようなニューメディアブームの中にあった。パイオニアたちは、憑かれたように、人類の夢の実現に没頭した。テレビジョンの基本的な技術である撮像についての重要な発見は、1817年のセレン元素の発見である。イギリスのスミスとメイが1873年にセレンの光電現象を発見したことが、具体的なテレビジョン開発の基礎となった。

映像の走査と分割・再生
 中でも最大の着目点は、「映像は分割・走査し、信号にして伝達し、それを受信再生すれば、元の映像を見ることができる」という、映像分割・走査の概念の発見であった。画像を伝送する考え方は、1843年イギリスのベインによる「走査概念」の考案がテレビジョンを考えるうえでの先駆とされる。しかし、このベインの走査概念は、まだ静止画の伝送であり動画像の伝送ではなかった。それに対して、動画の実際の伝送は、動く映像を目の残像時間内に次々と送ることによって、あたかも動いているように見せる。たとえば映画では、1秒間にフィルムに焼きつけられた24枚の静止画像を次々に切り替えて、目の特性で連続して動いているように見せている。

今日のテレビ方式の原理
 理論や原理はわかっていても、それを実用化し、いわんや大衆化することは容易ではない。
 光電現象を応用して光を電気に変える素子すなわち光電変換素子と、画面内に電気を光に変える素子すなわち電光素子を多数配置し、これらを1対1で接続 ( 並列接続 ) したテレビ方式を最初に提案したのは、1875年アメリカのケアリーであった。
 それに対し今日のテレビ方式の原理につながる提案は、1877年にイギリスのソーヤーによってなされた。これは直列テレビ方式と呼ばれるもので、画面を構成する画素の信号をカメラ側から同時に送出するのでなく、それぞれの画素の信号を順序よく高速に切り替え、1本の伝送線で受信機まで送り、そこでカメラ側と同じ手順で再び画像に組み立てるというものである。
 1884年にはドイツのニプコーによる「ニプコー円板」によってベインの走査概念が機械的に実現された。1925年には、イギリスのベアードによって機械式テレビができた。ただこの機械方式は、映像の精細化に限界があった。
 受像機の方では、1897 ( 明治30 ) 年ドイツのブラウンが、ブラウン管 ( 陰極線管 ) を発明した。また、フランスのルミエールは、カメラ、映写機、現像機を合わせた「シネマトグラフ」を1895年に開発し、同じ頃アメリカのエジソンらも、映画のビジネスをはじめていた。
 これらフィルムによる映像の記録と再生が、電気による映像の撮影と伝送に発展するのは、20世紀に入ってからであった。


1.映像の分割・走査
2.テレビ技術の原理的な難しさ


ベインの絵画伝送法の原理 (1843)
英国特許9745から
送信機、受信機は同期をとる
ための振り子と振り子止めコ
イル、振り子に取り付けられ
た読み取り・記録用の針など
で構成される。

 

 


ルミエールの映写機
稲畑産業蔵

 

 


マルコーニとブラウンの
ノーベル賞受賞記念切手
1909年のノーベル物理学賞は、
無線通信の発展に貢献したマル
コーニとブラウン管を発明した
ブラウンに与えられた。
スウェーデン 1969発行

 

   

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