盆子原 浩二
「盆さんのボールパーク物語」〈3〉ドジャースタジアムーONLY IN HOLLYWOOD!
9月28日(火)
ボールパークが楽しい、いや本当に楽しくなったということはすでに述べたとおりである。
球団は近年、観客動員を高めるために、これでもかこれでもかとあらゆる手法を駆使してプロモーションを企画し実行している。
まさに涙ぐましい、と言っても過言ではない。
ボールパークに足を運びさえすれば、試合開始の2時間前から試合終了まで、さらにそれ以降の子供達のベース一周までで、チケット代は十分取り戻せるはずだ。
しかし、ボールパークの真の楽しみはもちろん、力と力のぶつかり合うボールゲームそのものである。
家路についたとき、「今日のゲームはよかったなぁー。またこういう試合を見てみたいなぁー」と思える、そんなゲームに出会うことがある。
これは何十年に一度、いや一生に一度の出会いとも思える「ボールパーク物語」である。
エンジェルスの監督室でマイク・ソーシアと今ではすっかりセピア色に変わり果てた新聞を見ながら、「あの時」の話をした。
ソーシアは言った。
「ケーシーのポエムを知ってるかい?ポエムのケーシーは打てなかったけれど、このケーシーは三振ではなくてホームランを打ったんだよ。それにしてもセッティングがすごかったね。そしていいチームだったよ」
「あの時」とは1988年のワールドシリーズ第一戦、そして、このケーシーとはカーク・ギブソン(現アリゾナダイヤモンドバックス監督)のことである。
ちなみに、この驚きの出来事は、今やロサンゼルスのスポーツ史上、最高の出来事とも言われている。
そして、その新聞こそ1988年10月16日発行、ロサンゼルスタイムスのスポーツセクションなのである。
22年間にわたり、我が家では、ホームランを打った直後にガッツポーズをしながら1塁ベースに向かうギブソンの大きな写真の載ったそれが飾ってある。
88年のワールドシリーズはアメリカン・リーグを代表してオークランド アスレティックス。
アメリカン・リーグチャンピオンシップシリーズを4連勝、レッドソックスを下し、楽々と勝ち上がってきた。
ラルーサ監督のもと、バランスの良く取れたチームで、レギュラーシーズンで104勝、3番、4番には42本塁打ホセ・カンセコと、32本塁打マーク・マクガイアー。
当時まだまだスキニーな二人だったが、そのパンチ力はすさまじく、試合前の打撃練習ではスタジアムの場外に飛び出さんばかりの当りを連発し、ドジャースのファンを震え上がらせた。
投手陣も、21勝を上げたエースのデーブ・スチュアート、45セーブの押さえデニス・エカースリーを擁し、本当に強いチームであった。
一方のドジャースはといえば、監督はご存知トム・ラソーダ。
こちらは94勝。ナショナル・リーグチャンピオンシップ史上まれに見る熱戦といわれるメッツとの戦いが、最終第7戦までもつれ込み、やっと、まさにやっと勝ちあがったとの印象であった。(レギュラーシーズンはメッツの10勝1敗)。
そしてその熱戦には、大きな代償が伴った。
3番を打つ主砲ギブソンの両脚が、傷ついていたのである。
その年のギブソンは、打率2割9分、25本塁打、76打点と、突出した成績ではなかったものの、ナショナル・リーグのMVPを獲得していた。
気力を前面に押し出す彼の闘志が、チームを大いに引張ったからである。
さらに、投手陣の要、23勝オーレル・ハーシャイザーが先発、押さえと八面六ぴの活躍。
が、これも結果、第一戦には登板が出来ない状況をつくりだしていたし、抑え21セーブのジェイ・ハウエルもいまひとつ安定性を欠いていた。
シリーズ前の予想は、当然のことながら、圧倒的にアスレティックスの優勢であった。
ドジャースのラインナップを見たテレビ番組の司会者ボブ・コステスに、「ワールドシリーズ史上最低の打線」とコメントされた。
すかさずラソーダ監督はこれを逆手にとって、チームを鼓舞したと言われている。
さて、運命の第一戦は、10月15日薄暮の中、午後5時過ぎに始まった。
試合はア軍デーブ・スチュアートとド軍新人ティム・ベルチャーの先発で始まった。
1回の裏、ギブソンに代わって3番に入ったミッキー・ハッチャー(現エンジェルス打撃コーチ)が先制ツーランホームランを放ち、全力でベースを1周した。
ムードメーカーの彼らしい走りだった。
夢のワールドシリーズでの一発。
そのシーズン中は、たった1本しかホームランを打っていなかったのだから驚きだ(ワールドシリーズでは2本も打った)。
ド軍2-0ア軍
2回表、ピッチャーのスチュアートに四球を与えたうえ、ベルチャーが急に乱れ、ツーアウト満塁のピンチ。
迎えるは3番のカンセコ。
センター後方バックスクリーン前に設置されたテレビカメラ直撃の逆転満塁ホームラン。
低い弾道であっという間の逆転劇。
ド軍2-4ア軍
試合はその後、こう着状態。
アスレティックスは、ドジャース、ショートのアルフレド・グリフィン(現エンジェルス1塁ベースコーチ)のファインプレーなどで追加点を奪えない。
一方、6回の裏、ドジャースはソーシアのタイムリーヒットでマイク・マーシャル(吉田えりが頑張ったチコの現GM)がかえり、1点差に詰め寄った。
ド軍3-4ア軍
ドジャースが4-3と1点を追う形で、最終回の攻撃を迎える。3回に来て7回に帰るとやゆされるドジャースファンも、さすがに今日は帰らない。
ここでアスレティックスは、満を持して、押さえのエカースリーの登場。
ドジャースは6番ソーシアがポップアップ、7番ハミルトンが三振で簡単にツーアウト。
ここまでか、と誰もが思った。
ところが、代打で出てきたマイク・デービスがシーズン中には決して見せなかった選球眼の良さで四球を選ぶ。
ここにはわずかな勝負のあやがあったと言われる。
このデービスの打席の間、ウエ-ティングサークルには、守備の人デーブ・アンダーソンが素振りをくれていた。
たまに一発のあるデービスとは勝負を避けたのだ。
トム・ラソーダ監督の采配の妙か、あるいは単なる偶然か、それともこの直後に起こる、まったくもって信じられない出来事を演出する「野球の神様」の仕業か。
アンダーソンが代打で出そうな雰囲気の中、全員が目を疑うことが起こった。
両足の故障で、出場は誰もがあきらめていたギブソンが登場したのである。
まさに場は整った。
初球はファール、2球目もファールでカウントは早くも2ストライク。
3球目ファール、その後ボール、ファール、ボールと続き、7球目はボールで、その際デービスが2塁盗塁。
カウントはフルカウント。
ここで運命の第8球。
それまですべて直球を投げていたエカースリーの選んだ決め球はバックドアスライダーだった。
実は、ドジャースのスカウトが、試合前ひとつの情報を手に入れていた。
エカースリーは直球で押していても、どこかでスライダーを投げてくる、と。
まさにそのスライダーをたたいたギブソンの打球は、ゴルフの2番アイアンのショットと同じような弾道で、ライトスタンドに吸い込まれていった。
代打逆転サヨナラツーランホームラン。
3時間4分のドラマは、信じられない幕切れとなり、この後シリーズは大番狂わせへと進んでいったのである。
ド軍5-4ア軍
ソーシアが話したケーシーのポエム「Casey at the Bat」では、チームが最終回2点差を追う場面で、強打のケーシーは5人目の打者。
初めの2者は凡退するが、その後ふたりが塁に出て、ここでケーシー。
しかしながらケーシーは三振。
55983人が全員総立ちでギブソンに声援を送り続けた、そのファンの一瞬の放心はやがて歓喜の渦へ。
ホームベースにギブソンを迎えるドジャースの監督、コーチ、選手達の狂喜乱舞。
最高潮とはまさにこのことか。
やがて、あの長嶋茂雄氏に似た甲高い声でインタビューを受けるギブソン。
これがこのワールドシリーズでの彼の唯一の打席となったが、この試合で流れをつかんだドジャースは、一気に4勝1敗で頂点に駆け上がったのである。
シリーズMVPはハーシャイザーにいってしまったけれど、シリーズの流れを一振りで変えたギブソンがもらっても、不思議はなかったであろう。
ロッカールームに引き上げたギブソンが発した言葉は、あまりにも有名な「How Sweet It Is !!!」そう22年前の出来事である。
一生に一度の「ドラマ」はこのように「了」をむかえた。
ギブソンのセカンドを回るときのあの有名なシーン。
打たれたエカースリーの、打球の行方を追う表情の変化。
ラソーダが何度も何度もジャンプしながら、ホームに戻るギブソンを迎えにいく時の歓喜の顔。
有名なコラムニスト、ジム・マレーが記した「IT COULD HAPPEN ONLY IN HOLLYWOOD!」のタイトルがすべてを物語っているのである
ところで、今年になって、松井秀喜選手の活躍ぶりを見に、日本からエンジェルスタジアムに足を運ばれた方も多いと思われる。松井選手の姿をグランドに、ベンチにと捜されるファンのその近くに、今回登場した当時の選手達がいる。
監督のソーシア、コーチのハッチャーとグリフィン。
そう、あのインパクトを経験した3人がいま、エンジェルスで、あの時のベースボールを実践しようとしているかのようにも見える。
【著者】盆子原浩二(ぼんこばらこうじ)
1981年渡米以来メジャーリーグを見続ける。
1995年よりロサンゼルス日本語ラジオ放送でスポーツを担当、
現在はドジャースとエンジェルスを取材し日本のラジオ局に情報を発信中。