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2018年3月17日(土)

成田緑夢 切り開きたどり着いた金

ピョンチャンパラリンピック、スノーボードの男子バンクドスラローム、足に障害のあるクラスで金メダルを獲得した成田緑夢選手。5年前にケガをしてから、みずから切り開いた道の末にたどり着いた金メダルです。

加速がポイント バンクドスラローム

成田選手が16日に出場したバンクドスラロームは「バンク」とよばれる傾斜のついたカーブが連続するコースを1人ずつ3回滑り、最も速いタイムで競います。

転倒やコースアウトの危険性があるバンクをいかにスピードに乗ったまま滑るかがポイントとなります。

成田選手は順調な滑りで1回目でトップに立つと、2回目でさらにタイムを縮め、この時点で2位と0秒4の差でトップに立ちます。

それでも、3回目の滑りを前に、「さらにベストタイムを出さないと表彰台から外れてしまう」と、攻めの滑りをしようと考えました。

成田選手によると、これまでの大会では多くの選手が2回目、3回目とタイムが落ちていましたが、この日は回数を重ねるごとにタイムが速くなる傾向があったといいます。



3回目、「全部挑戦だと思って臨んだ」という滑りは圧巻でした。スタートからぐんぐん加速して体勢を崩してもスピードを緩めることなく、まさに“攻めの滑り”で2回目からさらに1秒近くタイムを縮めました。

「転倒の恐怖心は常にあるが、 パラリンピックの舞台でも挑戦し続けられた」と、12日のスノーボードクロスの準決勝でリードしながらも転倒して敗れた苦い記憶も頭からぬぐい去りました。

ほかのライバル選手たちも3回目は続々とタイムを縮めましたが、攻めを貫いた成田選手のタイムには及びませんでした。

成田選手は「1回たりとも同じ滑りはしていない。毎回コース取りも違ったし、ボードのセッティングも変えて、すべてにおいて挑戦して優勝できた。最高の気分です」と笑顔で話しました。

そして、けがで左足に障害を負ってからパラリンピックで頂点に立つまでの5年間を「夢のようですね」と振り返りました。

怪我でスノーボードに転向

スキーでソチオリンピックを目指していた5年前、自宅の屋上でトランポリンを使った練習中に宙返りの着地に失敗して大けがを負い、半年間入院。何時間にも及ぶ手術を繰り返しました。


医師からは「歩ける確率は20パーセント。左足を切断しなければいけないかもしれない。今後スポーツは何もかもできなくなる」と言われたといいます。

そのときは「自分の状況をしっかりと認識できていなかった」という成田選手。

障害を負ったという現実を理解できたのは退院して初めてスキーを再開したときでした。

「ショックだったのはけがのあと初めて雪に立ったときでした。こんなに滑れないのかと。足が動かない、コントロールができない感覚が心にダイレクトに響いて、そのときが一番落ち込んだ気がします」。

そこからパラリンピックという新たな目標を追いかけ始めます。

実家を出て1人暮らしを始め、トランポリン教室を開いて収入にし、スポンサーもみずから探し出しました。


自分がスノーボードに取り組む様子をインターネットの動画投稿サイト「ユーチューブ」やSNSに頻繁に投稿。

海外の大会のあとは、みずからテレビ電話を使った記者会見を開くなど、自分が活躍する姿を積極的に発信してきました。

「けがをしても、笑顔でスポーツができるということを多くの人に知ってもらうことが、自分がスポーツをする理由なんです」と話す成田選手。

1年ほど前からは、「世界に自分の言葉で発信するために英語を勉強したい」と外国人が多く暮らすシェアハウスでの生活を開始。

成田選手の成長はこうした強い探究心と行動力が源となっていました。

「夢や感動、希望、勇気を与えられるアスリートになりたい」という成田選手にとって、金メダルはこれまでの努力が実を結んだというだけでなく、みずからの夢の第一歩でもあります。


きょうは充実感に満ちた笑顔を見せてくれた成田選手が、次は、どんな活躍を見せてくれるのか楽しみです。

                   
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