アフリカの角といわれるソマリアは、紅海をはさんでアラブ世界とアフリカが接する戦略的要衝である。
1960年の独立以来、今日に至るまで政権争いが絶え間なく繰り返されてきた。
1969年、クーデターで政権を奪取したバーレ大統領は、敵対する部族を徹底的に弾圧した。1991年、諸部族は蜂起しバーレを追放したが、その後、アイディド将軍派とマフディ暫定大統領派の勢力争いが激化し全土が内戦状態に陥った。冷戦期に米ソが残した地雷や小火器が内戦を残忍なものにした。内戦と干ばつで30万人以上が餓死し、100万人以上が難民として近隣諸国に流出した。
1992年、国連はこの事態を「国際平和に対する脅威」と見て、「人道的介入」を開始、アメリカなどによる第一次、第二次の国連ソマリア活動(UNNOSOM)に加え、統合機動部隊(UNITAF)を投入、史上初の人道上の理由による武力介入を行った。この行動は、一定の成果をあげたもののソマリア当事者の反発を買い、派遣兵士に犠牲者が出た。事態は、国連平和維持軍と現地武装勢力の戦争状態になり、1994年2月、安保理は強制行動を停止、「人道的介入」は失敗に終わった。
以来、ソマリア内戦は泥沼化し、首都モガディシオをはじめ主要な都市は完全な廃虚となった。国際社会やアメリカが介入し、結局は放棄したソマリアは、内戦のまま見捨てられ報道も一切途絶えた。現在、3つに分裂した地域では、それぞれ政府軍と反政府勢力が抗争を繰り返している。この数年の空白のあいだに、国際テロ組織アルカイダの影がソマリアに忍びよっているという情報が…。
アメリカが空爆をほのめかすソマリアの今をルポした。


 
 
かつてフランスの植民地であった西アフリカのセネガル、マリ。この100年、イスラム教が急速に信徒を拡大してきた。なかでも注目されるのが、イスラム教スーフィズムの流れを汲むムリッド教団だ。毎年教祖を記念する祭りには数百万人の信徒が集い、その経済力はセネガル一国を左右するほどまでになっている。
もともと西アフリカにイスラム教が伝来したのは11世紀のこと。その後、西欧諸国による奴隷貿易や植民地支配という過酷な歴史を歩むなかで、イスラム教は植民地化に抵抗する民衆の心を捉えていった。そして19世紀末、フランスによって流刑にされたアーマド・バンバによってムリッド教団が作られる。彼らは「労働は神への道」とするバンバの教えを信じ、やがて植民地の主要輸出品である落花生栽培を支えるようになる。1960年の独立後、ムリッド教団は独自の農場を基盤に拡大を続け、都市部にさらには海外へとそのネットワークは広がっていった。パリ、ニューヨークなどに出稼ぎに出た信徒からの巨額の送金もあり、ムリッド教団はいまや「国家のなかの国家」とも言われるような経済力を持つにいたったのである。首都ダカールでは商業活動の半数が統計に現れないムリッド信徒であると言われる。自らもムリッド信徒であるワッド大統領も教団の経済への貢献を高く評価し、教団本部をたびたび訪れている。
 番組では、拡大を続けるムリッド教団の活動をルポ。西アフリカが植民地からの自立を目指すなかで、なぜイスラム教が力を得ていったのかを明らかにしていく。


 
 
 悪名高いアパルトヘイトが終わって10年、南アでは経済的な再分配が進まず、貧富の格差が拡大し、黒人と白人の対立がむしろ激しくなり、犯罪の発生率は年々増加している。
人口4000万人のうち500万人がエイズにかかっている。ようやく母子感染の薬が外国の援助で手に入るようになったが、子供が救われても親が死亡すれば、数十万人のエイズ孤児が生まれ、社会がそれを引き受けることができない。薬だけでは南アのエイズ問題は解決できないところまできている。
同様に白人の支配が行われたジンバブエも独立後の後遺症に悩んでいる。白人の農場を黒人に返還する際の補償をイギリス政府が十分に行ってこなかったため、黒人による白人農場への襲撃が激しくなっている。ときには、白人農場で働く黒人も襲撃の対象になり、黒人同士の殺し合いにまで発展している。
去年8月に南アのダーバンで開かれた「反人種差別国際会議」で、黒人の奴隷売買は「人道に対する罪」と認められたが、旧宗主国は謝罪も補償もしないとし、アフリカ諸国の反発を招いている。
アフリカでは、奴隷制度、植民地支配、そのもっとも凶暴な形を取ったアパルトヘイトなど過去の負の遺産を清算できないまま21世紀を迎えている。