原爆の絵 〜市民が残すヒロシマの記憶〜
21:00〜21:58 
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  今、広島で新しいプロジェクトが動き始めている。被爆者が自らの記憶を元に原爆投下直後の状況を描いた「原爆の絵」を体系的に整理し、データベース化することで、映像に残っていない被害の実態を後世に永久に伝え残そうという壮大な試みである。

 あのキノコ雲の下で、人々はどのような惨禍に見舞われていたのか。原爆投下直後の広島の人々を記録した写真は、8月6日、爆心地から2.3キロ離れたところで撮影された3枚しか残されていない。激しい熱線に焼かれ、衝撃波に襲われた人々…爆心地付近の惨禍をビジュアルに記録するものは、被爆者たちが自らの記憶を描いた「原爆の絵」だけである。

 被爆から57年。被爆者の平均年齢は70歳を超え、被爆体験の風化が叫ばれるなか、広島市とNHK広島では今年、「原爆の絵」の募集を呼びかけた。これまでに寄せられた絵は1121枚(7月30日現在・数字は毎日更新)にのぼる。

 これが被爆体験を残す最後の機会だと初めて絵筆をとった人、57年間他人に話すことのなかった悲惨な光景を絵にした人、病床から絵を描き送ってきた人、広島を離れた地で今も絵を描き続けている人・・・一枚一枚に平和への強い願いが込められている。
 広島では28年前にも「原爆の絵」の募集が行われ、2200枚あまりの絵が今も残されている。
 今回集められた絵をあわせ、3000枚に達する「原爆の絵」が、いつ、どこの場所を描いた光景なのかを確認し、データベース化する作業が着々と進められている。
 3000枚の絵は、昭和20年8月6日午前8時15分の原爆投下直後から、爆心地で、そしてその周辺で何があったのか、市内をくまなくカバーしている。データベース化の作業を通して、 57年前キノコ雲の下で人々が遭遇した惨禍の実態を立体的に解き明かし、「原爆の絵」を後世に記録として残すことの意味を伝える。


 
長崎の子・映像の記憶 〜原子雲の下に生きて〜
21:00〜21:58 
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 爆心地からわずか700メ−トルのところにある山里小学校では、1500人の児童のうち1300人が死亡した。生き残った児童のうち37人は被爆から4年後の1949年、永井隆博士の呼びかけで手記を書き、『原子雲の下に生きて』として出版された。この文集に感動した映画監督の樋口源一郎は、1950年に山里小学校の子どもの姿を描いた記録映画『長崎の子』を制作した。さらに1980年、NHKは37人の子どもたちのその後を追跡調査し、ドキュメンタリ−番組『あの子・原子野に生きた37人』を制作・放送した。
 一方アメリカは、終戦直後に長崎で原爆被害の調査を開始、山里小学校の子どもたちも調査の対象となった。その様子は膨大なカラ−の記録フィルムとして残された。
 こうした記録映像は、言葉以上に時代や世代を超えて体験を未来へ伝承するメディアである。
 巨大な科学技術開発、国際政治の駆け引き、放射能被害の研究など、歴史の構造に翻弄されたごく普通の人間の真実を、長崎の子どもたちを記録した多くの記録映像を複眼的に交錯させて描き、現代の人類が抱える課題を深層から浮き彫りにする。


 
ドラマ「焼け跡のホームランボール」
21:00〜22:14 
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  終戦後(昭和21年)の日本人を描いた井上ひさしの長編「下駄の上の卵」を、ハイビジョンドラマ化した作品。昨年に引き続き、今年もNHKスペシャルの終戦の日関連シリーズ初日に、井上ひさし原作のドラマを放送。
 昭和21年7月、山形県南部の小さな宿場町・小松。主人公・国民学校6年生の修吉(鈴木祐真)たちの野球チームは連敗続き。原因は里芋の茎で作った手製のボールだ、本物の軟式ボールが欲しい!
 子供たち5人は山形から闇米を抱えて夜行列車で上野に向かう。大人(大杉嗹・清水美砂)を騙したり、騙されたり――ボールは手に入るのか。夢を追う子供たちの悪戦苦闘を、笑いと涙いっぱいに描いていく。

原作:井上ひさし「下駄の上の卵」
脚本:尾西兼一
音楽:栗山和樹
語り:緒形拳
演出:田中賢二


 
幻の大戦果 〜台湾沖航空戦の真相〜
21:00〜21:58 
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  太平洋戦争末期の昭和19年(1944)10月。敗色濃い日本に突如、大戦果が報道された。日本の基地航空部隊が空母11隻撃沈をはじめアメリカの機動部隊を壊滅するに等しい戦果を挙げたとされた「台湾沖航空戦」の大本営発表である。日本国民はこの報道に驚喜した。首相は国民大会で戦勝を祝し、天皇からは御嘉尚(ごかしょう)の勅語が発せられた。誰もがその大勝利を信じて疑わなかったのである。
 しかし・・・。後日、この大本営発表は全くの誤報であったことが判明する。アメリカ機動部隊の空母は実は一隻も沈んでいなかったのである。しかも、大本営海軍部はその事実をつかんでいながらごく一部の人々によって情報が隠蔽されてしまった。幻の大戦果を信じた日本軍はその後、レイテ決戦、特攻作戦というさらに絶望的な戦いへと突き進むのである。
 なぜ誇大戦果が生まれたのか、なぜ情報が隠蔽され悲劇が引き起こされたのか。番組では、台湾沖航空戦に参加した特別雷撃部隊・T部隊の生存者をはじめ基地司令部参謀、大本営海軍部参謀などさまざまな関係者の証言を集めながら、幻の大戦果が生まれたプロセスを検証。さらに、その大戦果がその後、どのように悲劇を生んでいったのかを明らかにして、大本営という組織に横たわっていた構造的な問題を浮き彫りにする。


 
海上自衛隊はこうして生まれた
21:00〜21:58 
  対テロ戦争における初めての戦時派遣、有事法制案の国会審議など、自衛隊の活動が大きく広がろうとしている。
 冷戦時は、アメリカの対ソ戦略の一翼を担い、湾岸戦争後は、初の海外派遣として海上自衛隊が出動。そして今もインド洋でアメリカ軍への後方支援活動が続いている。
 この海上自衛隊はどのように創設されたのか?
 番組では、発足から半世紀を過ぎた今、内外に残る膨大な映像資料や情報、そして当時の関係者の証言などから、海上自衛隊創設の全貌を明らかにする。
 日米安全保障条約が発効して50年。今、自衛隊の歴史を検証することは、日本の戦後の安全保障のあり方を検証することにもつながる。


 
いま 対話のとき 〜NYーカイロー東京 若者たちは語る〜
第1部 19:30〜20:45 第2部 21:00〜21:58 
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 8月15日の終戦の日、NHKスペシャルでは、21世紀の担い手であり主役である世界の若者たちの対話を軸に、これからの世界のあり方を考える。
 ニューヨークの超高層ビルの崩壊とアフガニスタンへの報復攻撃、また紛争が泥沼化するパレスチナ。
 あの9.11から1年、若い感受性を激しく揺さぶられた若者たちは、それぞれ何を考えてきたのだろうか。
 ニューヨーク、カイロ、そして東京、それぞれの文明圏に生きる若者たちがひとつの場につながり、包み隠さず胸襟を開いて、率直な意見を交わす。

「あなたは過去をどうやって乗り越えますか?」
「テロや戦争といった暴力以外に解決方法はないのですか?」
「21世紀、私たちはともに生きていくことができますか?」

 ニューヨークには、テロ現場の至近距離にあるニューヨーク大学の学生やイスラエルからのユダヤ人留学生。カイロには、イスラム諸国の学生が学ぶカイロアメリカン大学の学生。そして東京には、パレスチナ問題に取り組むNGOの学生やアジアからの留学生。
 国家や民族、宗教を越えた若者たちの真摯な対話の中から、共生への手がかりを探る。「8月15日」を世界の人々が車座に会し、共生を模索する「文明の対話の日」としたい。

【ゲスト】大江健三郎(作家)
     岡本行夫(外交評論家)
【司会】 柳沢秀夫 解説委員
     武内陶子 アナウンサー