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えん罪 失われた20年と家族の絆【後編】

2018年2月5日

無実の罪で20年という途方もない年月を獄中で過ごした女性がいる。青木惠子さん(53歳)。無期懲役から一転、無罪で釈放されたとき、青木さんは51歳だった。事件当時のまま時が止まっているという青木さん。えん罪で奪われた人生と、家族の絆を取り戻そうとする姿を追った。

えん罪が引き裂いた家族の絆

青木さんは両親との間にも、深いわだかまりがあった。逮捕されたとき、両親はまだ60代だった。大工だった父の平造さんは、青木さんの事件で多くの得意先を失った。80代になった今は、耳が遠くなり、支えが必要になっている。母親の章子さんは、青木さんが逮捕された後大病を患った。認知症の症状も出ている。

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釈放直後、青木さんは両親と同居していた。しかし、いさかいが絶えずに1年後家を出た。両親は逮捕された青木さんの元に10年以上面会に行かなかった。無実を訴え続ける青木さんのことを信じられなかったからだ。警察の言うとおり、罪を認めるべきだと娘に迫った。

一番信じて欲しかった親に信じてもらえなかった娘のつらさ。娘の無実を信じ切れなかった、親の負い目。親子が、その時のことに触れることはない。えん罪が親子の関係に亀裂を入れていた。

青木さんは、息子も遠ざけている。突然、大人になって現れた息子を受け入れるのが難しかった、という理由だけではない。インターネットの掲示板などには、この事件への見知らぬ他人からの誹謗中傷が後を絶たない。無罪となったが、世間は必ずしも無実とは思ってくれない。青木さんは、自分の存在が息子に迷惑をかけることを恐れていた。

「絶対やってるよとか、色んなこという人がいるわけじゃないですか。何が起こるか分からないから私と距離を置いたほうがいいと私は言ってるんですよ。私的には(息子を)守りたいわけですよ。今まで傷ついたわけですよ20年間、私は運命だけど、息子は関係ないじゃないですか。」(青木さん)

息子は今年結婚した。妻となった女性は、青木さんのことを知った上で結婚を決断した。両親にも事情を話し、最終的には認めてくれたという。青木さんは新しい家庭を持った息子のためにも、親子の関係を断とうとしている。

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食事はいつもひとり。食べたいものが何も思いつかなかったとき、手に取るのがトウモロコシ。亡くなっためぐみさんの大好物だった。青木さんは、心の中のめぐみさんとふたりだけで生きると決めているように見えた。

動き始めた“止まっていた”時間

10月上旬、青木さんはえん罪に関する講演のため、北海道へ向かった。しかしこの頃、青木さんの実家では重大な出来事が起きていた。

認知症の母親の章子さんが、ひとりで家を出たきり行方が分からなくなっていたのだ。前日夜、章子さんは、夫の平造さんと戸締まりの仕方をめぐって口論になり、朝になって家を出て行ったという。実家に、息子が妻とともに駆けつけた。

平造さんは、すでに警察に捜索を頼んでいた。実家のそばには大きな川が流れていて、心配なのは川に落ちることだ。

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息子にとって祖母の章子さんは親代わりだった。親戚の家でつらい思いをしていた自分を見かね、引き取ってもらった。祖父母の元で18年間暮らした。息子の妻が付き添い、平造さんも知り合いの元を訪ね、行方を探し回っていた。

夜になって、青木さんは、札幌での予定を切り上げ大阪に戻ってきた。実家に残っていた息子と青木さんは、いとこの家や家族で良く出かけた神社の周辺を回った。釈放されてから、ふたりきりで、こんなに長い時間を過ごすのは初めてのことだった。

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行方不明となって3日目。平造さんは、妻に厳しく当たった自分を責め続け、日に日に憔悴していた。母親を探す中で、どうしても青木さんの頭に浮かぶのが、22年前の記憶。自分を責め続ける父親の姿が、そのときの自分と重なった。

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行方不明となって2週間。この日、警察の要請で河原の草刈りが行われた。作業は7時間におよび、途中で雨が降り出したが、平造さんはその場を動こうとしなかった。青木さんもずっとそばに付き添った。母を待ち続ける父の姿を見て、自分が20年間、父にかけた苦労の大きさを初めて実感した。

「私は獄中で裁判に向き合って、親は親でもっとしんどいじゃない。世間のバッシングとか色々言われながら、それでもそこで生きていくしかないっていうのを生きて来たわけだから、私よりもすごいしんどいと思う。だから、自分のことをほおっておいても、自分のできることはしてあげたい。」(青木さん)

行方不明となって3週間。この日、青木さんはこれまで住所さえ教えていなかった自宅のマンションに初めて息子夫婦を招いた。不安な日々は続いていたが、この間も息子の妻が実家を訪れたり、息子も仕事で来られないときは青木さんにメールを頻繁に送ってくるようになっていた。気分転換のために、一緒に昼ご飯でも食べようということに、自然となった。

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そして章子さんが行方不明となって1か月。実家から50キロほど離れた海岸で章子さんの遺体が見つかった。心配したとおり、川で流されたと見られる。いちるの望みは、叶わなかった。

それでも、家族みんなで見送ることができた。

「あの家族が一つの目的に向かって、一生懸命やってたっていうね。そういう面ではね本当、母親がそういう風にしてくれたのかなっていうのはありますよね。絆っていうかね。」(青木さん)

天国の母親が家族を一つにしてくれたのかもしれない、青木さんはそう考えていた。

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その後のある日、みんなが実家に集まり、すきやきを囲んだ。家族で鍋を囲むのは、釈放されて初めてのことだった。

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青木さんは、今もめぐみさんとの時間を大切にしている。22年前の火災現場を、欠かさず訪れている。
娘を守れなかったことへの後悔の念が消えることはない。

「自分の大事な子どもが不幸な目にあったというこの事実は母親としての私の責任だと思ってるから。私は申し訳ないという気持ちを抱きつつね、死ぬまでね、そんな気持ちを抱きつつ生きていくし、それは一生忘れないし、許せないことだしっていう思いでね、います。」(青木さん)

青木惠子さん、53歳。止まっていた時間が少しずつ動き始めている。

えん罪 失われた20年と家族の絆【前編】

この記事は、2017年12月18日に放送した 「NHKスペシャル 時間が止まった私 えん罪が奪った7352日」 を基に制作しています。

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