【ベナレスの呼称について】
ベナレスという呼称は、イギリス植民地時代の呼び名です。
現在は、ワーラナーシーやバラナシという呼称が一般的ですが、人口に膾炙している「ベナレス」を番組では用いました。ちなみにムスリム時代はバナーラスと
呼ばれていました。
【ヒンドゥー教最大の聖地】
インドには様々な聖地があります。「ここで死ねば解脱できる」と信じられている聖地もベナレスだけではありません。
しかし、インドの人々の暮らしを記した文献などをもとに、番組では「最大の聖地」としました。
【ベナレスの歴史について】
町が出来た正確な年代はわかっていません。
しかし、アーリア人のガンジス流域への進出の年代、並びに複数の学者の方から教えていただき、番組では「およそ3000年」とさせていただきました。
また、紀元前5世紀頃、インドがマガタ、コーサラなど16の王国が併存していた頃、ベナレスはカーシー王国の都でした。また、「聖地」としての歴史も数千年を越え広義の意味で古都物語のシリーズの一つの場所として選定しました。
【マニカルニカーガート関連】
マニカルニカーガートは、南北6キロメートルのガンジスの岸辺のほぼ中央に置かれています。その歴史は諸説ありますが、番組では火葬場をとりしきる一族への取材に基づき「数千年の歴史」とさせていただきました。また、「死を迎え入れる都市」としてという表現についてですが、8世紀〜の巡礼者むけのプラーナ文献において、「ここで死ねば解脱できる都」とあることからそうしたナレーションにしました。
なお「大いなる火葬場」という言葉もベナレスの幾つかある別名の一つです。
ベナレスには二つの火葬場があります。一つは番組で紹介したマニカルニカーであり、もう一つはハリスチャンドラという火葬場です。二つの火葬場は同じ一族がとりしきっており、そこで働く人々も共通で、ローテーションで働いています。
また、遺体の数や薪のトン数などは、イギリスの学者JONATHAN P.PARRYが記した「DEATH IN BANARAS」(1988年出版)と現地での取材をもとに算出したものです。
【ムクティバワンについて】
「死を間近に控えた人々が訪れる館」という性格上、その人々にご迷惑をおかけする可能性があるため、場所をお伝えすることはできません。こうした館はベナレスに幾つかありますが、その数は若干減っているようです。ムクティバワンの主な運営主体は、ある財団です。そこからの寄付が大部分をしめています。滞在費は無料ですが、光熱費などは払う必要があります。多いときには月に30家族以上が訪れ、少ないときは月に数家族ということもあります。
【巡礼者の言葉について】
8世紀にベナレスを訪れたPANTHAという巡礼者の言葉から抜きだしたものです。
この言葉は石碑に刻まれていたものですが、現在は石碑それ自体は失われ、拓本のみが遺されているようです。
【ベナレスの聖地の理由】
ベナレスが特別な聖地とされた理由は様々あります。
例えば、太陽が「何もない」対岸から登ること。かつて池や小川など「水に溢れた場所」であったこと。番組では、ガンジス河との関連で、その内の一つの理由を紹介させていただきました。
【絵地図について】
この絵地図は、デリーのナショナルミュージアムに保管されているものです。
しかし、地図の傷みが激しいことから展示は行われていません。撮影は、幾つかの条件と共に特別に許可されたものです。実際の地図は3メートルから5メートルほどの巨大なものです。書かれた年代は推定年代です。
【サンニャーシーについて】
彼らの人数などについては全くわかっていません。
彼らは、広い意味では、サードゥー(良き行いをする人)と呼ばれる人々です。
スワループさんの現在の立場は、サンニャーシーの手前のブラフマチャーリーと呼ばれます。精神的な指導者(グル)の判断によって正式なサンニャーシーとなります。
【宣教師の言葉】
番組のテロップで記したようにALEXANDER DUFFの「INDEIA AND INDIAN MISSIONS」という本の記述から抜粋したものです。
【ベナレス市政報告書について】
1925年のベナレス市政報告書です。
イギリスの学者JONATHAN P.PARRYの「DEATH IN BANARAS」(1988年出版)に詳しく述べられています。