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遺跡コラム第1回 Column/Vol.1 異説 兵馬俑外伝?

遺跡コラム第1回 Column/Vol.1 異説 兵馬俑外伝?

等身大の人間を象った像がずらりと並ぶ兵馬俑。見た人ならば誰しも思うでしょう。

「何のためにこんな物を作ったのか?」

私たちもこの素朴な疑問を暖めながら多くの研究者にお話を伺い、取材を進めていきました。そもそも土の人形を墓の中に埋めること自体が、日本人にはなかなか理解しづらい行為です。取材に先立ち、まずイメージを膨らませました。この壮大な兵馬俑が作られるまでには、さぞかし多くの中国の墓で兵馬俑に似た“プレ兵馬俑”的な人形が作られていたに違いあるまい。始皇帝の兵馬俑はその集大成なのではないだろうか。そんな想定のもとで取材した研究者たちの言葉は、意外なものでした。

「兵馬俑のような、等身大でリアルな造形の俑(副葬品の人形)はそれ以前には全く出土しておらず、その後もない。まさに空前絶後の遺跡です。」

写真①は、戦国時代末期の秦の墓から出土した騎兵の俑。兵馬俑が作られる前、およそ100年以内の俑です。大きさは20センチ足らず、シンプルな造形です。こうした人形が一般的だったにもかかわらず、突然、兵馬俑において“巨大化”し“写実的”になったというのです。

さらに、こちらの写真②は兵馬俑の80年後、前漢時代の皇帝墓で見つかった俑。大きさは50センチと小さくなり、顔や肉体の造形も簡略化されています。そして、こうした俑は前漢の墓以降、見られなくなります。

 中国の歴史上、突然変異のように現れ、消えた兵馬俑…。それは、一体何を意味するのか。
 取材を続ける中で、私たちの視野を開いてくれた人がいました。西北大学の段清波教授。(写真③)長らく始皇帝陵園の発掘の指揮を執ってきた研究者です。段教授の論は、明快かつ驚くべきものでした。
 「兵馬俑は外来文化、特にギリシャやペルシャなど西方の彫像文化を受け入れたものでしょう。」
 段教授の論はこうです。始皇帝に先立つ紀元前4世紀、世界で最も進んだ彫像文化を育んでいたのは、地中海沿岸、とりわけギリシャ文明でした。その文化は始皇帝の100年前、アレクサンダー大王の東方遠征によって、アフガニスタンなど中央アジア一帯にまで伝播したことが分かっています。段教授はそこからさらに中国の最も西にあった秦まで伝わり、始皇帝はその彫像を目の当たりにして、自分の墓に取り入れたというのです。
 さらに、段教授は論を進めます。
 「兵馬俑だけではありません。例えば、始皇帝陵から出土した青銅製の馬車、銅車馬。青銅で馬車を作る文化はそれまでの中国にはなく西方由来です。始皇帝が各地を巡行した際に、石に文字を刻んた“刻石”を残しましたが、それも中国のオリジナルな文化ではなく、西方から学んだものでしょう。こうした例は、実は枚挙にいとまがありません。ある歴史書の中には、始皇帝が全国を統一したその年、秦の西側の国境で“大きな人”に出会ったという記載もあります。」
 驚きに言葉を失いつつも、頭に浮かんだのは教科書で学んだ世界史。たしかシルクロードは、秦のあと、前漢の時代に張騫によって開通したはずでは?
 「近年の考古学の成果は、それより遙か以前から東西交流が盛んだったことを明らかにしています。鉄器、黄金、小麦など様々なものが西方からもたらされ、中国に広まりました。秦は戦国諸国の中で西のはずれにあり、諸国から一段低いものと見なされていましたが、逆に外来文化の伝播という面でいうと真っ先に西方文化が伝わる情報の先進地だったんです。」
さらに、教授曰く。
 「私は、始皇帝が全国を統一後に行った数多くの政策、政治体制や法律、文字や度量衡の統一、道路交通網の整備などは、アレクサンドロスが征服し、かつ踏襲したペルシャ帝国から学んだものだと考えています。」
 さすがにここまで来ると、始皇帝を取材するものとしては落ち着いてはいられません。統一中国の礎となった始皇帝の国作りの青図は、外国から着想を得たというのですから。始皇帝・パクリ疑惑!?
 「マネをしたというのは、妥当な言い方ではないでしょう。そもそも、秦という国が伝統的に育んできた強さは、自国以外の文化の良い物を貪欲にどんどん吸収して、自分の物に変えていく力にありました。秦は、東方の六国から様々な技術や文化、人材を取り込み大きくなっていきましたが、それと同じで、西方由来の文化も分け隔て無く吸収したに違いありません。良い物や優れた人材ならば出自を問わず理解を示し、機会を与え、受け入れていく。その胸襟の広さがあったからこそ、秦の始皇帝は広大な中国を統一し、新たな文化を作り上げることができたのです。外に対して閉ざされた文明は滅びていくしかないのですから。」
 自国の文化を優先する閉ざされた価値観。現代を生きる日本人の一人として、異文化に偏見なく視野を開き、徹底した実用主義でそれを吸収した秦に学ぶところは、とても大きいのではないかと思い至りました。
 段教授の斬新な視点。今後の課題は、秦とペルシャ・中央アジアなどを結んだ伝播の系譜を具体的に明らかにすることだそうですが、調査はまだまだこれからとのこと。いつの日か、兵馬俑とギリシャ彫刻を結ぶ線が証明されるのを、楽しみに待ちたいと思います。

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