マザー・テレサの名前について
マザーの本名はAgnes Gonxha Bojaxhiu (アグネス・ゴンジャ・ボヤジュ)。
テレサ(Teresa)は、修道名(正式にはMary Teresa of the Child Jesus)。フランス・リジューの聖テレジア(St Thérèse of Lisieux)にちなんでいる。しかし、同じ修道院内に、既に「マリア・テレジア(Marie- Thérèse)」という修道女がいたため、彼女の洗礼名はテレジアのスペイン語読み「テレサ(Teresa)」となったといわれる。1937年に終生誓願を立て、最終的にマザー・テレサとなった。番組内では、マザー・テレサの通称に従い、「マザー」と一貫して呼ぶことにした。
マザー・テレサの誕生日
マザー・テレサの誕生日は1910年8月26日。27日とされている文献もあるが、これは彼女が洗礼を受けた日(キリスト教徒としての誕生日)。
コルカタの地名
コルカタ(Kolkata)は、かつてのカルカッタ(Calcutta)。インドでは2001年より現地の言葉であるベンガル語での呼称・コルカタに改められている。
「死を待つ人々の家」について
1952年8月22日設立。「死を待つ人々の家」は、ベンガル語では「Nirmal Hriday(ニルマル・ヒリダイ)清い心の家」と呼ばれている。英語名は「Home for Dying Destitutes(英語的にはDestitute だが、施設の看板には、このスペルで書かれている)直訳: 死にゆく貧しい人の家」。今回番組では、通称としてより広く知られている英語名にちなんだ呼び名を採用した。
スコピエの場所について
マザーが生まれた1910年当時、スコピエはオスマン帝国の支配下にあり、ユスキュブ(Üsküb)と呼ばれていた。現在は、1991年よりマケドニア共和国の首都。
アッシジの「聖フランシスコの平和の祈り」について
番組内にて引用した部分以降も含めた全文(訳文)は以下の通り。
尚、マザーはノーベル平和賞受賞スピーチに先立ち、この祈りの言葉の全文を唱えているが、番組では最初の4行を引用した。
主よ あなたの平和をもたらす道具として 私をお使い下さい
憎しみのあるところには 愛を
争いのあるところには 許しを
分裂のあるところには 一致を (ここまで番組内にて引用)
誤りのあるところには 真理を
疑いのあるところには 信仰を
絶望のあるところには 希望を
暗やみには 光を
悲しみのあるところには 喜びをもたらす者として下さい
慰められるよりも 慰めることを
理解されるよりも 理解することを
愛されるよりも 愛することを求める心をお与え下さい
忘れることによって 自分を見いだし
許すことによって許され
自分を捨てて 死に永遠の命をいただくのですから
*原文
Lord, make me a channel of Thy peace that,
where there is hatred, I may bring love;
that where there is wrong, I may bring the spirit of forgiveness;
that, where there is discord, I may bring harmony; (ここまで番組内にて引用)
that, where there is error, I may bring truth;
that, where there is doubt, I may bring faith;
that, where there is despair, I may bring hope;
that, where there are shadows, I may bring light;
that, where there is sadness, I may bring joy.
Lord, grant that I may seek rather to comfort than to be comforted,
to understand than to be understood;
to love than to be loved;
for it is by forgetting self that one finds; it is forgiving that one is forgiven;
it is by dying that one awakens to eternal life.
マザーが所属した修道会
アイルランド・ダブリンに本部があるロレット修道会(The Loreto Covent)。
当時ロレット修道会が、インド・ベンガル地方で宣教活動をしている事を知り、入会を決意した。
マザーが教師を勤めた学校
マザーが教師を勤めたのは、ロレット修道会がコルカタ(当時のカルカッタ)東部地区にあるエンタリー(Entally)で経営する聖マリア女学校(St. Mary School)。地理、歴史、カトリック教理を教えた。
1944年に校長になっている。
神の声を聞いた日
1946年9月10日ダージリンに向かう列車の中で「神の声」を聞いた、とマザーは後に語っている。
マザーが1950年に設立した修道会Missionaries of Charity(神の愛の宣教者会)では、この日を”決意の日(Inspiration Day)“として、毎年祝っている。
当時のカトリックの規則
番組内で述べられた、当時のカトリックの規則とは、1962〜65年に行われたバチカン第二公会議以前の「カトリック教会法典(Codex Iuris Canonici)」。
「第601条(1) あらゆる隠修道女は、立願後は、聖座の特典がないかぎり、短期間であっても口実のいかんを問わず、修道院から出てはならない。ただし、死の危険、またはその他の極度の悪の危険が切迫した場合を除く。」(『カトリック教会法典 羅和対訳 ルイジ・チヴィスカ訳』有斐閣1962)とある。
マザーのサリー
木綿の白地に三本の青い線が入ったサリーを、最初マザーは市場で買い求めた、と言われている。インドの女性の民族衣装であるサリーは、通常シルク製が多く、デザインも凝っているが、マザーは一番安い木綿製を選んだ。青の色は、カトリックでは聖母マリアの色であり、このデザインを気に入ったマザーは、後に自身が設立したハンセン病患者の施設の人々に、同じデザインの布を織ってもらうようになった。
マザーが最初に訪れたスラム
マザーが所属していたロレット修道院のすぐそばにあったモティジィル(Motijhil)とよばれるスラム地区。
マザーが子供たちに教えた言葉とは
西ベンガル州の公用語であるベンガル語。(番組内では、ベンガル語のアルファベットを地面に書いている)
カーリー寺院(Kali Temple)とは
ヒンドゥー教の寺院。ヒンドゥー教における破壊の神シヴァの妻の一人カーリーを奉っている。カーリーはインド神話において戦いの女神であり、コルカタの守護神とされている。
宗教毎の看取りの作法
「死を待つ人々の家」では、連れてこられた人々に、必ず名前と宗教を聞き、亡くなった際には各自の宗教に則った看取り方をする。例えば、ヒンドゥー教徒はガンジス河の水を飲ませ、イスラム教はコーランの一節を唱える。
マザーが男性を看病している写真に重ねたインタビュー
1969年に放映されたBBC「Something Beautiful for God」、抜粋・要約したもの。
具体的な言葉については、下記<マザーの言葉・手紙の内容>を参照のこと。
シシュ・ババン(子どもの家)
ヒンドゥー語で「子どもの家」を意味するシシュ・ババン(ShiShu Bhavan)。1955年設立。孤児や、両親が貧困・病気等で育てることが出来ない子どもが預けられ,育てられている施設。
マザー活動の物資調達について
ロレット修道院から出た時、5ルピーしか所持金を持たなかったマザー。初期は、マザー自ら托鉢(たくはつ)をして、必要な物資(食料・薬品等)を集めていた。その後、マザーの知名度が高くなると、世界中から義援金や物資が届くようになった。この際、マザーは個人からの寄付金は喜んで受け取ったが、政府等からの国庫助成金のような定期的な援助金は辞退し続けた。これは、収支報告の義務が発生するためで、そのことで貴重なシスターを帳簿記帳などに割り当てるわけにはいかない(そんな時間があれば、一人でも多くの人を助けたい)とのマザーの考え方によるもの。
マザーが海外へ進出したタイミング
マザーが1950年に設立した「神の愛の宣教者会」は、当時の教会法により、創設されてから10年間は活動場所がコルカタ(当時のカルカッタ)の司教管区内部に限られていた。しかし、1959年にこの制度は撤廃され、その後マザーの活動はインド国内の他の都市へと広がっていく。そして、1965年に教皇直轄となったことで、世界中に支部を開くことが可能となった。
BBCディレクターによる、マザーへのインタビュー
1969年に放映されたBBC「Something Beautiful for God」より、抜粋・要約したもの。質問している男性は、ディレクターのMalcom Muggeridge氏。言葉そのものは、下記<マザーの言葉・手紙の内容>を参照のこと。
ノーベル平和賞授賞式会場
ノルウェーにあるオスロ大学 大ホール(正式名:The Aula Magna)。1989年まで平和賞授賞式が行われていたが、老朽化のため、現在は市庁舎で行われている。
ノーベル平和賞授賞式でのマザーのスピーチについて
スピーチに先立ち、マザーが唱えた祈りについては、前出の「聖フランシスコの平和の祈り」参照。
尚、彼女の受賞日当日のスピーチ(acceptance speech)とほぼ同内容のものが、翌日講演されている。
マザーの墓の場所
コルカタにあるMissionaries of Charity の本部であるMother Houseの中にある。
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