2003年 12月分 放映リスト

12月3日(水)放送 第160回
日米開戦を回避せよ〜新史料が明かす最後の和平交渉〜


12月10日(水)放送 第161回 
忠臣蔵 お裁き始末記〜忠義か、犯罪か?幕府がゆらいだ50日〜



第160回
日米開戦を回避せよ
〜新史料が明かす 最後の和平交渉〜

放送日

<本放送>
平成15年12月3日(水) 21:15〜21:58 総合 全国
<再放送>
平成15年12月10日(水)16:15〜16:58 BS2 全国
平成15年12月12日(金) 2:10〜 2:53 総合 全国(近畿のぞく)
平成15年12月21日(日) 8:00〜 8:43 総合 近畿のみ
出演者
松平 定知 アナウンサー

○ スタジオゲスト
五百旗頭真(いおきべ・まこと)氏
神戸大学法学部教授(日本政治外交史)
著書に「日本政治外交史」「日米戦争と戦後日本」「戦争・占領・講和」など。

簡笙簧(かん・しょうこう)氏
台湾・国史館纂修兼修纂処長
           
簑原俊洋(みのはら・としひろ)氏
神戸大学法学部助教授
番組概要

その時:1941(昭和16)年11月26日午後5時

出来事:アメリカから「ハル・ノート」が手渡される。
 日米開戦前夜、日本とアメリカは戦争を回避するため瀬戸際の和平交渉を進めていた。アメリカが日本の要求を認める形でを交渉が成立するかに見えた時、突然アメリカは態度を豹変。のちにハル・ノートと呼ばれる強硬案を日本側に提示する。このハル・ノートの内容に日本政府は絶望、開戦の最終決断を下すことになる。
 一夜にしてアメリカが態度を変えた背景には世界各国の壮絶な外交戦が関わっていた。今回初めて撮影が許可された中国の指導者・蒋介石の日記には、日米交渉の破綻をのぞむ中国の凄まじい外交戦の実態が克明に記されていた。一方、ナチスドイツと激闘を続けていたイギリス首相チャーチルは、アメリカに極秘電報を送り、日本との妥協に釘を刺していた。
 さらに一昨年、当時の日本外交の内幕を明かす新たな史料が発見された。日本がアメリカや中国の暗号電報を解読した文書が大量に見つかったのである。最近の研究では、この暗号解読文が、日米交渉の行方に大きな影響を与えたと指摘されている。
 日本に太平洋戦争の決断をさせた外交文書、ハル・ノート。その提出の裏に秘められていたドラマを新たな史料から描いていく。
番組の内容について

●新たに発見された暗号解読文とは?
外務省外交史料館に所蔵されています。一般閲覧も可能です。「特殊情報綴」という名称のファイルです。

●蒋介石の日記とは?
台湾の国史館に所蔵されています。一般閲覧はしておりません。
またこれは、番組でも紹介しているように写本であり、原本ではありません。

●東郷茂徳外務大臣の写真
毎日新聞社所蔵。以下、東郷茂徳外務大臣の写真はすべて同じ。

●ハル国務長官の写真
ユニフォトプレス所蔵。以下、ハル国務長官の写真はすべて同じ。

●「ハル・ノート」
外務省外交史料館所蔵。

●「暗号解読文」(日本がアメリカや中国などの暗号を解読していた文書)
外務省外交史料館所蔵。

●東郷茂徳外務大臣の演説
NHK所蔵。1941年11月17日の第77回帝国議会外交演説。
「現内閣におきましても、太平洋の平和を維持せんがために、日米会談を継続するに決定。
帝国政府においては、本交渉の成立に向かって最善の努力を傾注しておる次第であります」
   
●旧首相官邸の映像
外観はNHKが撮影した映像です。内部は再現(イメージ)映像です。

●「大本営政府連絡会議議事録」
防衛庁防衛研究所所蔵。

●「乙案」
外務省外交史料館所蔵。

●「東郷外務大臣から野村駐米大使あての電報」
外務省外交史料館所蔵。

●ルーズベルト大統領の写真
アメリカ国立公文書館所蔵。以下、ルーズベルト大統領の写真はすべて同じです。

●「解読された乙案」
アメリカ国立公文書館所蔵。
日本の機密電報をアメリカが解読・翻訳したのちの文書です。

● 野村吉三郎駐米大使の写真
日本ニュース(NHK所蔵)より。以下、野村大使の写真はすべて同じです。

● 来栖三郎駐米大使の写真
毎日新聞社所蔵。以下、来栖大使の写真はすべて同じです。

● アメリカの「暫定協定案」
アメリカ国立公文書館所蔵。

● 旧アメリカ国務省の映像
外観、内部ともにNHKが撮影した映像です。以下同じです。

● 胡適大使の写真
台湾・国史館の映像です。以下、胡適大使の写真はすべて同じです。

● 蒋介石の写真
台湾・国史館の映像です。以下、蒋介石の写真はすべて同じです。

● 国史館・簡笙簧氏の肩書きについて
纂修兼修纂処長です。「処長」とは部門長のことで、「所長」ではありません。

● チャーチルの写真
毎日新聞社所蔵。以下、チャーチルの写真はすべて同じです。

● 旧日本大使館の映像
外観はNHKが撮影した映像です。内部は再現(イメージ)映像です。

●「野村駐米大使から東郷外務大臣あての電報」
外務省外交史料館所蔵。

●「特殊情報綴」(暗号解読文=日本がアメリカや中国などの暗号電報を解読していた文書)
外務省外交史料館所蔵。

●「チャーチルの電報」
イギリス・チャーチル資料館所蔵。

● 「ハル・ノート」
外務省外交史料館所蔵。
ハル・ノートの内容については、「日本外交文書 日米交渉 下巻」(外務省編纂)を参照ください。

● 東郷外務大臣の言葉(著作「時代の一面」より)
「目もくらむばかりの失望にうたれた。
ハル・ノートを受け取ってからは働く熱を失った」

●「東郷外務大臣から野村駐米大使あての電報」
外務省外交史料館所蔵。

● 蒋介石の言葉(日記の記述)
「昨日以前のアメリカの日本への妥協的な態度は、根本から変わった。
外交とは、つねに変化し続ける無常のものである」

● 東郷外務大臣の言葉(著作「時代の一面」より)
「深夜の帝都は 深い静寂の裡にあって数刻の後には 世界歴史上の大事件の 起こるべきを思い種々の感想にうたれた
当時を偲ぶだに 今なお 目頭の熱きを覚ゆる」

番組内で使われた資料などの所蔵先一覧
-
参考文献
●参考文献・論文
  
「戦争・占領・講和」五百旗頭真著(中央公論新社)
「日本外交文書 日米交渉 下巻」(外務省編纂)
「現代史資料34」(みすず書房)
「大東亜戦争開戦経緯<5>」 防衛庁防衛研修所戦史室著(朝雲新聞社)
「時代の一面」東郷茂徳著(原書房)
「米国に使して 日米交渉の回顧」野村吉三郎著(岩波書店)
「泡沫の三十五年 日米交渉秘史」来栖三郎著(中公文庫)
「ハル回顧録」コーデル・ハル著(中公文庫)
「第二次世界大戦」W・S・チャーチル著(河出書房新社)
「蒋介石 マクロヒストリー史観から読む蒋介石日記」
        黄仁宇著、北村稔他訳(東方書店)
「真珠湾の日」半藤一利著(文藝春秋)
「ハル・ノートを書いた男」 須藤眞志著(文春文庫)
「蒋介石」保阪正康著(文春文庫)



第161回
忠臣蔵 お裁き始末記
〜忠義か、犯罪か?幕府がゆらいだ50日〜

放送日

<本放送>
平成15年12月10日(水)21:15〜21:58 総合 全国
<再放送>
平成15年12月19日(金)[18日(木)深夜]
  0:15〜0:58 総合 全国 (関東、近畿を除く)
平成16年 1月 4日(日) 8:00〜8:43 総合(近畿のみ)
平成16年 1月 9日(金)[8日(木)深夜]
   0:15〜0:58  総合 全国(近畿を除く)
出演者
松平 定知 アナウンサー

○ スタジオゲスト
藤本義一(ふじもとぎいち):作家
井原西鶴をはじめとする元禄文化に詳しい
番組概要

その時:元禄16年(1703年)2月4日

出来事:赤穂浪士、切腹
 吉良邸討ち入りによって、今も絶大な人気がある赤穂浪士。しかし大石内蔵助たちは、最初から「義士」として認められたわけではない。討ち入りが、幕府高官を集団で暗殺した事件とみなされれば、単なる犯罪者とされて終わる可能性もあったのだ。無罪放免からまで打ち首まで議論が百出。堂々めぐりのお裁きは、幕府の政治を根底から揺るがしかねない問題へと発展したのである。
すべての発端は2年前、殿中松の廊下の刃傷事件。「法」を重視する将軍・徳川綱吉は、浅野内匠頭に即日切腹を命じた。しかし今回の討ち入りを同様に法に照らして厳罰に処すれば、主君の恨みを晴らそうとした浪士たちの「忠義」を認めないことになり、幕府は批判の矢面に立たされる。かといって彼らの忠義を評価して無罪にすれば、徒党を組んで幕府高官を襲撃することを了承することになり、江戸の平和は崩壊する。「法」か「忠義」か?将軍・綱吉たちは、この大石内蔵助が投げかけた究極の問いかけに、右往左往するのである。
番組では、討ち入りで本懐を遂げた後の、「それからの赤穂浪士」たちのエピソードを交えながら、幕府が裁定を下すまでの50日の大論争を軸に、本音と建て前の間で揺らぐ政治の矛盾を浮き彫りにする。
番組の内容について

●赤穂浪士の全般的な事柄については赤穂市史編纂室「忠臣蔵」第1巻(平成元年)、浪士の書状、事件の記録については「忠臣蔵」第3巻(昭和62年)を主な資料とした。

●裁定を巡る過程については国書刊行会「赤穂義人纂書(あこうぎじんさんしょ)」(1,2,補遺)および中央義士会事務局長編著「赤穂義士実纂」、雄山閣「赤穂義士史料復刻版」(上、中、下)を主な資料とした。
「赤穂義人纂書」:原本は磐城平藩士・鍋田晶山が収集した赤穂事件に関する記録集。
(1851年頃)原本は散逸、写本の一部が国立国会図書館に伝わり、それを元に国書刊行会から(1910〜1911)発行された。番組中の幕府側の意見はこの資料が基礎となっている。

●「赤穂義人纂書」には俗書、偽書とされるものも混在しているが、赤穂浪士討ち入り後の史実の研究はまだあまり成されておらず、研究者の間で完全に偽書であると断定  されているもの以外は取り上げている。
(徳川家の正史である「徳川実記」でさえも、赤穂事件に関しては幕府に都合のいいように後から編纂されたものであるという説が有力)
  
●赤穂浪士討ち入りの装備について
赤穂市大石神社蔵
鎖襦袢/鎖頭巾…堀部安兵衛着用
臑当/大石瀬左衛門着用
呼子鳥笛(よびこぶえ)/大石内蔵助所用
龕燈(がんどう)/特に記述なしVTR−1

●2人の浪士が大目付に差し出した口上書の文言
「主君の仇、ともに天を戴かずの思い押さえがたく候」
(「浅野匠家来口上」…赤穂市立歴史博物館蔵の「義士墨跡」より要約抜粋)

●討ち入りを聞いた幕閣の反応
「武士道の廃り申さず候と相見え候」
(「赤穂鐘秀記(あこうかねひでき)」より、老中阿部正武の言葉として引用。
「赤穂鐘秀記」は「赤穂義人纂書(あこうぎじんさんしょ)」)

● 事件翌日の商人の手紙
「江戸中の手柄」
江戸に住む商人浅田孫之進が山城国の庄屋浅田金兵衛に宛てた手紙から抜粋。
(「浅田家文書」東京大学経済学分図書館蔵)

● 幕府の使者が上杉綱憲に赤穂浪士討伐を思いとどまらせた言葉
「裁きの儀は、幕府が取り仕切るので手出しは無用」
米沢塩井家覚書(よねざわしおいけおぼえがき)に記載された、幕府の使者、畠山義寧の言葉を要約抜粋したもの。(「赤穂義士史料」上巻)

● 泉岳寺でしたためた浪士の書状
「みな共けんし次第、切腹仕る筈に御座候」
元禄15年12月15日、浪士三村次郎左衛門が母に宛てた手紙より抜粋引用。
(「忠臣蔵」第三巻(赤穂市史編纂室)に掲載)

● 浅野内匠頭の取り調べについて
刃傷の原因は決定的なものがわかっていないのが現状。怨恨説のほかにも諸説あるが、ここでは通説となっている怨恨説を例として取り上げた。この説の根拠としては浪士堀部弥兵衛金丸(ほりべやひょうえあきざね)の私記に、悪口を言われたことが記載されている。

● 内匠頭切腹に対する幕府内部の疑問の声
内匠頭を取り調べた多門伝八郎(おかどでんはちろう)の記録の中に、浅野と吉良の処分が不公平だとして、再考を上層部に訴えたが却下されたという記述がある。

● 大石内蔵助の幕府に対する嘆願書
「我が主君内匠頭は吉良殿を殺めたゆえに…(以下略)」
「赤穂城引渡覚書」(岡島八十右衛門常樹覚書)中に記載されている、3月29日、大石内蔵助が幕府へ送った使者に持たせた嘆願書から要約抜粋。通常「鬱憤の書き付け」と呼ばれる書状。結局、事を荒立てたくない赤穂藩江戸家老や、浅野家の親戚筋の知る ところとなり、幕府の元には届かなかった。

● 12月24日、大石内蔵助の書状
「どのような裁きとなるか…(以下略)」
大石内蔵助ほか、原総右衛門、小野寺十内が連名で友人・寺井玄渓に宛てた手紙から要約抜粋。

● 幕閣会議での浪士を批判する意見
日付は定かではないが「徒党を組み誓約をなすこと禁ずる」という、武家諸法度の条項を理由に浪士を処罰する意見がでたことを記す記述が「徳川実記」など当時の記録に複数登場する。

● 武士として扱うべきでないという意見
「世間の目をごまかすために…(以下略)」
当時の将軍側用人・柳沢吉保の家に伝わる「柳沢秘蔵実記」より要約抜粋。
記録には老中たちの発言とされている。

● 「打ち首となれば忠義は認められない」について
前出の「柳沢秘蔵実記」を受けた補足説明。「切腹」が武士にのみ許された死罪であることから、打ち首に処せられるということは武士として扱われないことを意味する。

● 林大学頭・信篤の意見
「いにしえより…(以下略)」および「強いてこの輩に厳罰を…(以下略)」
「赤穂義人纂書」に掲載された「五美談」より要約抜粋。作者、日時の記載はなし。
林信篤は綱吉が作った昌平坂学問所(湯島聖堂にあった)の初代学頭を務めた儒学者。
浪士たちの切腹後、いち早く「復讐論」を記し、浪士たちの「忠義」を賞賛した。
「復讐論」の中では、法によって切腹させられたことも当然と述べているが、これは林の主張と矛盾しており、彼が置かれた立場上、そういわざるを得なかったというのが研究者たちの見方であり、裁定の審議中は助命論を述べたとされている。

● 荻生徂徠の意見
「もし忠義だけを説けば〜」および「浪士たちを無罪として命を助ければ〜」
「五美談」より要約抜粋。林の助命論に対する反対意見として記されている。荻生徂徠は側用人・柳沢吉保の陪臣の儒学者。綱吉もしばしば教えを乞うたとされてい る。徂徠はこのほかにも、柳沢から意見を求められ切腹論を述べたという記録や、自ら「徂徠擬律書」という文書を記し切腹を訴えたという記録もある。ここでは林の意見に対する反論としての記述を採用した。

● さらに厳しい批判について
浪士たちの切腹後、厳しい批判を展開した学者・佐藤直方の意見。
裁定を決める過程で言われたかどうかは不明であるが、批判的意見の一例として紹介。

● お預け先の細川家に子供が訪れたエピソード
細川家での浪士たちの世話役・堀内伝右衛門の覚書に詳しく記載されている。
「堀内伝右衛門覚書」(赤穂義臣対話)

● 小野寺十内の妻の歌
浪士小野寺十内の妻・丹がお預け中の十内に送った手紙の中に書かれている。
文章自体は、浪士原総右衛門が、細川家の世話役・堀内伝右衛門のために、歌だけを書き写したもの(「義士墨跡」赤穂市立歴史博物館蔵)

● 裁定を決めるため投票を行ったという記録について
「三島氏随筆」(「赤穂義人纂書」に掲載)
この中で編者・鍋田晶山は「此の書虚実如何と言う事を知らず、然れ共県官の語大いに理あり」とわざわざ注釈をつけている。
作者は不詳、日付も1月下旬としか書かれていない。
研究者たちの間でもこの記録はあまり採用されていないため「この記録が事実とすれば」と番組中でもことわりを入れた。
理由としてはまず原書が見あたらないこと、そして番組上では「投票」としている「入札(いれふだ)」という手法が、江戸時代の幕府で、物事を決めるために行われた という記録が見あたらないためである。
(戦国大名、江戸時代の庶民の間ではしばしば このような決議が行われていた)
しかし、綱吉の心のうちを類推できる数少ない記録であること。当時の幕府の混迷ぶり、幕閣たちの無責任な様子が端的に記されているため、番組の趣旨に欠かせないものとし てあえて紹介した。
綱吉の意見は、先に出てきた荻生徂徠の意見に沿ったものであり、1月下旬の時点で綱吉がこのような結論に達したことは、他の資料からも類推できる。

● 大石たちの望む武士としての死(切腹)について
大石ら浪士は1月下旬から2月頭(切腹を言い渡される直前)に家族や知人に宛てて、切腹を期待する旨の手紙を書いている(「忠臣蔵」第3巻)

● 公弁法親王の言葉について
「徳川実記」より要約抜粋。徳川実記には、「附録」として、公弁法親王は綱吉の問い かけに対し、何も答えず帰ってしまったという、もう一つの説も併記されている。
両論とも「世に伝えるところによると」と、伝聞型で書かれており、参考文献も両論併 記の場合が多い。綱吉は切腹に対する迷いがあったため、法親王に意見を求めたという 説が一般的なので、決断を促す言葉として「本文」の記述を採用した。

● 切腹を言い渡された大石の言葉
「いかように仰せつけられることも覚悟しておりましたが〜(以下略)」
「細川家御預始末記」より要約抜粋。

● 幕府の使者が内密に大石に告げた話について
「細川家御預始末記」に幕府目付・荒木十左衛門が大石を呼び寄せ、自分の意志で、吉良義周が処分されたことを伝えたことが記されている。「堀内伝右衛門覚書」にも大石一人が幕府の使者に何事かを伝えられ、後から内容を知ったと記されている。

● 切腹直前の大石の言葉
 「何かとお心をつけられかたじけないが、何の申し遣わすこともない」
 「堀内伝右衛門覚書」より抜粋

● 「仮名手本忠臣蔵」に切腹の場面は描かれていない
「仮名手本忠臣蔵」では、討ち入りし本懐を遂げた後、引き上げる場面で終わっている。 「仮名手本忠臣蔵」以前の赤穂浪士を題材にした演目には、切腹まで描いたものもあっ た。(近松門左衛門「碁盤太平記」など) 

●細川家屋敷跡
港区高輪の区立高松中学校の敷地内。大石はじめ17人の浪士がここで切腹した。見学不可。

● 細川綱利の言葉
「細川家御預始末記」「堀内伝右衛門覚書」より要約抜粋。

● 大石内蔵助辞世の句
大石内蔵助が討ち入り後、泉岳寺において詠んだとされる辞世の句。
「あら楽し 思ひは晴るる 身は捨つる浮世の月に かかる雲なし」

番組内で使われた資料などの所蔵先一覧
●資料などの所蔵先一覧

「赤穂義人纂書」(「五美談」「三島氏随筆」「林信篤肖像」:国立国会図書館 古典籍資料室
「大石内蔵助肖像」「浅野内匠頭肖像」「大石内蔵助書状」(元禄15年12月24日付):花岳寺
「義士墨跡」(浅野匠家来口上):赤穂市立歴史博物館
「浅田家文書」(浅田孫之進の書状):東京大学経済学部図書館
「甲斐業書第3巻」(柳沢家秘蔵実記):国立公文書館
「荻生徂徠肖像」:致道博物館
「寛文武家諸法度」:明治大学刑事博物館
「天和武家諸法度」:岡山大学付属図書館
「柳沢吉保肖像」:一蓮寺
「吉良上野介木像」:華蔵寺
「徳川綱吉肖像:徳川黎明会
参考文献
●参考文献 *は絶版または入手困難◇は非売品
・「忠臣蔵」一、三巻(赤穂市史編纂室)
*「赤穂義人纂書」(国書刊行会)
*「赤穂義士史料 復刻版」上,中,下巻(雄山閣)
*「赤穂義士実纂」斎藤茂 編(赤穂義士実纂頒布会)
◇「検証・赤穂事件」1.2巻(赤穂市立歴史博物館)
*「新版正史赤穂義士」渡辺世祐(光和堂)
・「実録忠臣蔵」飯尾精 著(神戸新聞総合出版センター)
*「赤穂四十六士論」田原嗣郎 著(吉川弘文館)
・「徳川綱吉」塚本学 著( 〃 )
・「赤穂浪士〜紡ぎ出される忠臣蔵」宮澤誠一 著(三省堂)
・「忠臣蔵−赤穂事件・史実の肉声」野口武彦 著(ちくま新書)
・「忠臣蔵 101の謎」伊藤成郎 著(新人物往来社)
・「日本の歴史L元禄・享保の時代」(集英社)
・「元禄人間模様」竹内誠 著(角川選書)
・「古文書で読み解く忠臣蔵」吉田豊 佐藤孔亮 著(柏書房)
・「江戸川柳で読む忠臣蔵」阿部達二 著(文春新書)
・「大石内蔵助の生涯」中島康夫 著(三五館)

 




Copyright (c) 2004 NHK(Japan Broadcasting Corporation) All Rights Reserved.