2001年 02月分 放映リスト

2001年2月7日(水)第38回 
6000人の命を救った外交官
〜杉原千畝 ビザ大量発給決断の時〜

2001年2月14日(水)第39回
シリーズ二・二六事件 1

2002年2月21日(水)第40回
シリーズ二・二六事件  2

2002年2月28日(水)第41回
秀吉の妻・おね 関ヶ原を動かす


第38回
6000人の命を救った外交官
〜杉原千畝 ビザ大量発給決断の時〜

放送日

放送日 平成13年2月7日(水)21:15〜21:58(総合)
再放送 平成13年2月11日(日)07:45〜08:28(近畿ブロック)
出演者
松平 定知 アナウンサー
○ スタジオゲスト
関栄次(作家)
ザンビア、ハンガリー駐在大使を歴任し1992年退官。
その後、「遙かなる祖国」(PHP)
「ハンガリーの夜明けー1989年の民主革命ー」(近代文芸社)
等の作品を執筆。
番組概要

その時:1940年7月29日

出来事:杉原千畝 ユダヤ人へのビザ大量発給開始
 第二次世界大戦中、ナチスに追われたユダヤ人にビザを発給し、6千人の命を救った外交官・杉原千畝。 去年公開された千畝の手記からは、これまであまり語られなかった千畝の姿が浮かび上がってきた。「多数ノ工作費提案アリ、一切拒否」。千畝は危険なスパイの仕事を要求されながら、それを拒み続けていた。また「特殊事務」のために赴任したリトアニアの領事館には、ドイツの秘密警察も潜んでいたという。ユダヤ人へのビザ発給は、千畝と家族の命を危険にさらす可能性もあったのである。しかし千畝は、頼ってきたユダヤ人たちの命を救うために決断をする。  戦後、外務省を辞職させられた千畝だが、去年10月初めて外務省は正式に謝罪、千畝の名誉回復 がはかられた。  新しく公開された手記を軸に、千畝が官僚的な手続きにとらわれることなく、人道的な立場に立って、多くの命を救う決断を下した瞬間を描く。
番組の内容について
  • 杉原千畝と本国の外務省とのやりとり
    その都度述べている言葉は、
    1.杉原千畝の書いた手記
    2.メモ
    3.杉原幸子夫人の著作「6千人の命のビザ」
    4.外務省外交史料館に残されている電報を用いた。
  • 杉原メモ
    杉原千畝が晩年に書き記したメモ。後に手記を書こうとした杉原が、その下書きとしてメモを書いたものと考えられる
    渡辺勝正氏談(杉原千畝研究家・大正出版社社長)
  • 杉原千畝の生まれ故郷
    岐阜県八百津町町役場0574-43-2111
    (八百津町・杉原千畝記念館では杉原千畝を紹介 する展示がされている)
  • 小学校の成績表
    名古屋市立古渡尋常小学校6年、の時の成績表。 (写真の権利は杉原家所有、写真は大正出版)
  • 早稲田大学リポート
    早稲田大学、大隈講堂前。新宿区西早稲田。 エピソードは、杉原の手記による。問い合わせは大学当局まで。
  • 外交官養成募集について
    杉原千畝の「手記」に述べられている言葉より抜粋。
  • ハルビンでの就職
    杉原の履歴書に「1924年、外務省書記生として採用」とのくだりから、24才での就職とした。(杉原家とも確認済み)
  • 関東軍への杉原の言葉
    「6千人の命のビザ」杉原幸子著より抜粋。杉原の「手記」には満州外交部辞任の理由 ととれる言葉が残されている。
  • 「工作費、一切拒否」メモ(去年公開された杉原メモ)
    杉原家が委託し、大正出版の社長で杉原研究家の渡辺勝正氏によって管理されていたメモ。杉原千畝の晩年に書かれたものと考えられる。問い合わせは大正出版まで。 渡辺氏著作「真相」の中で触れている。
  • 杉原千畝のカウナス赴任の目的について
    ソ連とドイツの情報を探るための赴任であった事は、日本とポーランドの研究雑誌「ポロニカ」において、杉原が自らの赴任理由について語っている。 さらに、杉原はポーランドの地下組織とのつながりを持つことで様々な情報を得ていた ことも、彼の言葉から聞くことが出来る。
  • リトアニア
    カウナス 第二次世界大戦当時、リトアニアの首都だった街。現在は工業都市として発展。 リトアニアに関しては、リトアニア大使館 ・日本領事館(カウナス) 現在、日本文化センターとして管理されている。執務室のあった部屋は一般公開されている。問い合わせは、リトアニア大使館、あるいは旅行会社まで。
  • グッジェのメモ(去年公開された杉原メモ)
    一般の公開はされてはいないが、渡辺勝正氏「真相」(大正出版)の中でメモについて 触れている。
  • リトアニア併合と、領事館の明け渡し期限について
    杉原千畝の「手記」の中で、8月25日までに領事館閉鎖の告知について触れている。 (7月22日にソ連邦への加盟を決定、8月3日に併合が成立となった。)
  • 1940年7月18日の様子について
    エピソードについては、杉原千畝の「手記」からの引用、抜粋。 写真は、杉原家が写した当日のもの。問い合わせは大正出版まで。
  • ユダヤ人と杉原千畝とのやりとり
    主に杉原千畝の「手記」による。
  • 1940年7月23日、電報(松岡外務大臣から来栖大使宛)
    外務省外交史料館所蔵。避難民への取り扱いに関してと題された電報。
  • 杉原さんがビザを発給したユダヤ人のリスト
    外務省外交史料館に所蔵。閲覧等に関しては、外交史料館に問い合わせ。
  • 7月9日から発給されているビザに関して
    杉原さんが発給したビザのリストによる。杉原さんの「手記」によれば、「7月29日 からビザを発給し始めた」との言葉がある。つまり、それまでのビザ発給は、避難民たちへのビザ発給ではなく、正規の手続きを踏んだビザ発給であるとの解釈から ---渡辺勝正氏による
  • 外務省からの回答
    杉原さんの「手記」による。
  • 長男と母親とのエピソード
    「6千人の命のビザ」杉原幸子著による。
  • 7月28日付 杉原千畝から外務省にあてた電報
    外務省外交史料館に残されている電報。現物は判別しづらいものとなっており、番組で はテロップでの紹介とした。
  • 決断の時の言葉
    杉原さんの「手記」による
  • ビザの発給を始めた時の言葉
    杉原さんの「手記」による
  • 9月5日。杉原一家がリトアニアを去る場所
    リトアニア・カウナスの「カウナス駅」 現在でも中央駅としてカウナスの中心的な場所
  • 駅を発つ時の言葉
    「6千人の命のビザ」杉原幸子著による
  • 外務省からの呼び出し
    写真は昭和26年の外務省。日産会館という建物であったとのこと。
    問い合わせは外務省まで。写真は共同通信社。
  • ユダヤ人との再会
    「6千人の命のビザ」によるエピソード
  • 息子からの手紙
    「6千人の命のビザ」によるエピソード
  • 杉原千畝生誕100年記念式典
    主催者:杉原千畝100年記念事業委員会(ティグレ)
  • 杉原千畝写真関係
    杉原千畝の写真は、全て杉原家の所有。権利関係を担当しているのは大正出版。 151-0053 東京都渋谷区代々木2−27ー8 
    大正出版 渡辺勝正(代表)
番組内で使われた資料などの所蔵先一覧
-   
参考文献

▼主な参考文献
「6千人の命のビザ」 杉原幸子著
「決断 命のビザ」 渡辺勝正著
「真相」 渡辺勝正著
上記3冊ともに(大正出版)
「自由への逃走」 中日新聞社会部編(東京新聞出版局)
「日本に来たユダヤ難民」ゾラフ・バルファフティック(原書房)



第39回
シリーズ二・二六事件 1

放送日

放送日 平成13年2月14日(水)21:15〜21:58(総合、全国)
再放送 平成13年2月18日(日)7:45〜 8:28(総合、近畿)
         2月19日(月)15:10〜15:53(総合、全国)
出演者
松平 定知 アナウンサー
鹿野睦 アナウンサー
○ スタジオゲスト
井出孫六 (作家)
近代日本史をテーマに数々のルポルタージュを発表。 主な著書「終わりなき旅」「アトラス伝説」「戦後史」など *出演者の連絡先は教えられません。 何かあれば、担当者までご連絡下さい。

● 再現ドラマ
真崎甚三郎 相馬剛三(そうま ごうぞう)
磯部浅一 千葉哲也(ちば てつや)
番組概要

その時:昭和11年(1936)2月26日

出来事:陸軍青年将校が決起、重臣たちを襲撃

 近代日本最大のクーデター2・26事件。その後の軍部の台頭を決定づけた昭和史のターニングポイントであるが、その真相は今なお闇の部分が深い。
 NHKでは、放送文化財ライブラリーに保存されていた交信傍受記録や事件の特設軍法会議主席検察官、匂坂春平氏が密かに保存していた事件記録の発掘などによって真相究明を続けてきた。さらに近年、ないといわれていた裁判正式記録も公開され、事件に対する陸軍首脳部の関与がどのようなものだったか実体が浮かび上がろうとしている。 番組では、2回シリーズで、これまでの取材の蓄積を元にファシズムへの道を開いた事件の<勃発>と<収拾>の瞬間にスポットを当て、2・26事件の研究の最前線を伝えていく。

番組の内容について
● 番組の内容について
  • 二・二六事件の全容について
    青年将校に率いられた兵士1400人あまりが岡田啓介総理大臣はじめ重臣たちを襲撃し、4日間に わたり、首都の中心部を制圧したクーデター。殺害されたのは、斉藤実内大臣、高橋是清大蔵大臣、渡辺錠太郎教育総監、警備の警官4人、松尾伝蔵大佐(岡田総理の身代わりになった)、合計8人。
  • 東京地方検察庁の二・二六事件裁判記録について
    平成5年、歴史研究者の請求に応じ、東京地方検察庁が一部公開された。これまで複写の閲覧は許されていたが、実物のテレビ撮影が認められたのは今回が初めて。戦後、GHQに押さえられていた ものが日本に返却され、東京地方検察庁に保管されていた。複写の閲覧も研究目的に限られている。 一般への公開は行っていない。
    番組で紹介した箇所については、戦前の軍法会議に詳しい弁護士の原秀男さん(故)の著書「二・二六 事件軍法会議」(文芸春秋社、1995)に掲載されている。
  • 「陸軍大臣告示」について
    番組では、裁判で公式のものとされた午後3時20分、東京警備司令官から下達された大臣告示の文面に従い、第1項と第2項を紹介した。
    一、決起の趣旨は、天聴に達せられあり
    (訳:決起の趣旨は天皇のお耳に入れつつある)
    一、諸子の行動は、国体顕現の至情に基づくものと認む
    (訳:お前たちの行動は国体を明らかにしたいという真心からでたものと認める)
    ただし、いわゆる「大臣告示」は細かな文面の違うものが十種類以上もあり、事件収拾を長引かせる原因となった。
    従来、「大臣告示」は正午過ぎに開かれた軍事参議官会議で作成されたものと言われてきたが、正式裁判記録の中の近衛師団長、橋本虎之助の匂坂検察官への回答書によると「午前10時50分」にすでに下達されていたことになる。
    この10時50分の大臣告示については、様々な説があるが、東京警備司令官、香椎浩平とその直前に面会している山下奉文少将の2人がこの文章の下達に関わった と推定した。なお、この大臣告示「午前節」については、これまで松本清張の「昭和史発掘」や東京憲 兵隊長、坂本俊馬大佐の軍上層部検挙計画でも触れられているが、今回の裁判記録はそれを補強する資料として位置づけられる。
  • 「皇道派」と「統制派」について
    皇道派は、真崎甚三郎大将を中心に、天皇をあがめ国体至上主義を唱えるグループ。 露骨な派閥人事を行った。荒木貞夫、香椎浩平、山下奉文など。 一方、統制派は、こうした皇道派に反発し、軍の統制を強め、常道に戻そうとするグループ。 国家改造によって、強力な国家総動員態勢を敷こうとする陸軍内のエリート。 橋本虎之助、杉山元、片倉衷など。ただし、皇道派に比べると、派閥としての実体ははっきりしないという説もある。
  • 真崎甚三郎の読み方について
    「まさき」「まざき」の2通り読み方がある。番組では遺族の読み方に従い濁って読む形で統一した。 スタジオで、キャスターよりお断りを入れている。
番組内で使われた資料などの所蔵先一覧
  • <番組で紹介した主な史料・場所>

  • 国会前兵士写真
    毎日新聞社。国会前の兵士はキャプションでは「反乱軍」となっているが、 「鎮圧軍」とする説もある。使用の際は要注意。
  • 反乱軍写真
    共同通信社。幸楽前で撮影したものといわれる。
  • 東京地方検察庁の裁判記録 〜前項A
  • 事件当時のフィルム
    アニドウ・フィルム。
  • 天皇を中心に撮影した集合写真
    匂坂家所蔵。昭和9年、宇都宮で撮影したもの。
  • 陸軍省写真
    共同通信社。
  • 相沢三郎新聞記事
    東京日々新聞(昭和10年8月13日)
  • 永田鉄山惨殺事件現場写真
    国会図書館憲政資料室 匂坂資料。閲覧可能。
  • 満州事変フィルム アニドウフィルム。
  • 真崎甚三郎写真  毎日新聞社。
  • 「真崎甚三郎日記」 国会図書館憲政資料室 真崎甚三郎資料。閲覧可能。
  • 農村困窮フィルム アニドウフィルム。
  • 安藤輝三写真   文殊社。
  • 磯部浅一写真   文殊社。
  • ドラマ(磯部と真崎の面会) 磯部浅一
  • 裁判証言をもとに再現
  • 歩兵第三連隊
    現在の東京大学生産技術研究所。
  • 19人青年将校写真
    「NHK特集 二二六事件・消された真実」より
  • 「電話傍受綴」
    国会図書館憲政資料室 匂坂資料。閲覧可能。
    番組で紹介した箇所は、第8巻、その中に「西田税から真崎甚三郎宛に2月21日の電話会話が傍受されていた記録がある。戒厳令施行前の電話傍受は当時の電信法で保証されていた「通信の秘密」を侵すものである。 誰が行っていたかについては統制派の勢力が及んでいた陸軍省・逓信省・参謀本部の可能性が高いが、断言は出来ない。(NHKエデュケーショナル中田整一氏談)
  • 電話の自動交換機、録音機の前で行ったリポート
  • 場所は、逓信総合博物館2階の展示コーナー。
  • 録音機は、NHK放送博物館に展示されている昭和14年に製造されたものを撮影のために借用。(逓信総合博物館に行っても見られません)傍受の原理を説明するためイメージとして使用したものでこの録音機が実際に傍受に使われた訳ではありません。 
  • 録音盤は、NHK文化財ライブラリーに保管されていたもの。 全部で20枚。その内復元に成功したものは、約2時間半、64通話分。その内容については、「戒厳指令「交信ヲ傍受セヨ」」(NHK取材班、日本放送出版協会)に記載されている。
  • 「政治的非常時変勃発に処する対策要綱」
    防衛庁防衛研究所図書館。 表紙は「・・・に対する・・・」となっていますが、これはのちに表紙をつけた人の書き間違いで、中身は「・・・処する・・・」となっています。コメントの間違いではありません。
  • 中田整一さん
    現在、NHKエデュケーショナル常務取締役。 番組でも紹介したとおり「NHK特集 戒厳指令「交信ヲ傍受セヨ」」「NHK特集 二二六事件・消された真実」を制作されたプロデューサー。 二二六事件をライフワークとして追求されてきた方です。 主席検察官、匂坂春平の残した資料を初めて世に紹介され、角川書店「検察秘録 二・二六事件」の出版にも関わるなど、テレビ制作者の枠を越えて歴史研究者としても仕事されている方としてインタビューを行いました。
  • 「昭和11年1月21日の日記」
    「斯くしても平沼男に政権の来ること断じてなからん。斯くして失敗したるとき何人が責任の衝にあたるや、この際、青年将校より責めたてらるれば進退に極まるに至るべし・・・」
    「其の通りに放置せば其の結果如何、吾人の自滅を待つのみ、愚劣なる策動をなすも不可なれど無為にして終わるも愚なり・・・」
    真崎がこの時期、平沼内閣を実現する困難に直面し、焦りを感じていたことを伺わせる記述。
  • CG要人殺害の地図
    事件の全貌を俯瞰するためにNHKで新たに制作したもの。
  • 渡辺錠太郎邸
    東京荻窪。現在は、長男の渡辺誠一さんが一人で住んでいる。
  • 事件当時の渡辺邸
    毎日新聞社。
  • 事件当時の様子
    裁判記録の検証調書の記述。 「被害者渡辺錠太郎が西側床の間に南枕にて仰臥しおり付近に巾一尺長さ一尺五寸の血痕並びに血塊あり。同室押入襖前に巾七寸、長さ一尺の血痕、一部血塊となりあり。同所角柱わきに長さ二寸余の骨片三個あり。周壁を検するに東襖に二個、上部欄干に十三個、北方襖及び壁上に三十個の弾痕認められ・・・骨片押入内に散乱す」 ・香椎浩平写真   共同通信社。
  • 旧近衛師団司令部の建物
    千代田区北の丸公園内にある。現在は、東京国立近代美術館工芸館。
  • 片倉衷写真
    文殊社。
  • ドラマ(事件当日、陸軍大臣官邸での真崎と磯部の会話)
    磯部浅一「行動記」をもとに再現
  • 伏見宮写真    文殊社。
  • 東京地検で見せた裁判記録  近衛師団長、橋本虎之助が匂坂検察官に宛てた回答書 その中に、「大臣告示を午前10時50分に受け取った」という記述がある。 資料接写はその回答書に「別紙第一」として添付されていた「大臣告示」。
  • 橋本虎之助写真  共同通信社。
  • 橋本の写真に合成した文字
    上の橋本回答書の一部。「其の真意奈辺にあるや捕捉し難く」 橋本はこの大臣告示を怪文書のたぐいと考え、部下には下達しなかった。
  • CG香椎と山下
    「大臣告示」が東京警備司令部から近衛師団に伝えられたときの状況を示す ためにNHKで新たに制作したもの。
  • 昭和天皇写真 NHK資料室。
  • 東溜の間写真
    宮内庁。「皇城」(中島卯三郎編、雄山閣)掲載写真を使用。
  • 軍事参議官写真 
    「NHK特集 二・二六事件 消された真実」より
  • 「陸軍大臣より」
    国会図書館憲政資料室 匂坂資料。閲覧可能。 黒字の原文が、午後3時20分 東京警備司令部から下達された内容。 赤字の修正が、軍事参議官会議で決定した文面。 もとの原文は、「諸子の行動」の部分など、午前10時50分に近衛師団に伝えられた内容に近い。
  • 映画「叛乱」(新東宝)
    監督 佐分利信
    原作 立野信之
    脚本 菊島隆三
    山下奉文少将が26日午後3時過ぎ、陸軍大臣官邸に出向き、青年将校の前で大臣告示を下達する場面。この番組に限っての使用許可を得ています。二次使用はできません。
  • 小高脩平さん
    埼玉県川越市に在住。二・二六事件への参加者は、埼玉県出身の郷土兵が多い。小高さんは昭和11年1月に歩兵第三連隊に入隊。47日目に事件に遭遇。首相官邸襲撃に参加を命じられる。
  • 中庭に集まる反乱軍写真    共同通信社。
  • 「軍隊に対する告示」 26日午後3時に下達された告示。決起部隊を正規の軍隊の一部に組み入れる命令。これによって原隊から決起部隊に食事が支給されるという奇妙な光景が生じた。
  • 食事を支給される反乱軍写真  共同通信社。
  • 幸楽前の反乱軍写真    共同通信社。
  • スタジオで井出さんが解説したモニター画面
    「大臣告示」を巡る26日の動き 午前10時50分
    香椎、「大臣告示」を近衛師団に下達
    「行動」 正午過ぎ  宮中会議、開催。
    「大臣より」作成
    「真意」 午後3時20分
    香椎、全軍に下達 「行動」
  • 九段会館    東京千代田区。
  • 軍人会館写真
    共同通信社。(3枚とも)戒厳令が公布された際、戒厳司令部が置かれた
  • 軍人会館前の香椎浩平写真   共同通信社。
  • 国会前の戦車写真  共同通信社。
  • 国会に向かう鎮圧軍写真 NHK資料室。
  • 事件に参加した小高さんの証言。呼び名が次々に変わった。
    「26日 決起部隊→27日
    占拠部隊→28日騒擾部隊」
  • アドバルーン写真 共同通信社。
  • 「下士官兵に告ぐ」のビラ写真 共同通信社。
  • 町の中を行進する帰順兵写真  共同通信社。
  • 第三連隊に入る兵写真     共同通信社。
  • 磯部浅一写真         毎日新聞社。
参考文献
  • <参考文献>
  • 「戒厳指令「交信ヲ傍受セヨ」」
    NHK取材班
    日本放送出版協会
  • 「雪はよごれていた」
    澤地久枝
    日本放送出版協会
  • 「二・二六事件軍法会議」
    原秀男  
    文芸春秋
  • 「検察秘録 二・二六事件 1〜4」
    原秀男・澤地久枝・匂坂春平
    角川書店
  • 「二・二六事件」
    高橋正衛
    中公新書
  • 「昭和史発掘 7〜13」
    松本清張
    文芸春秋
  • 「軍ファシズム運動史」
    秦郁彦
    河出書房新社 ほか

 




第40回
シリーズ二・二六事件 2

放送日

放送日 平成13年2月21日(水)21時15分〜21時58分(総合、全国)
再放送 平成13年3月5日(月) 15時10分〜15時53分(総合、全国)
出演者
松平 定知 アナウンサー
鹿野睦 アナウンサー
○ スタジオゲスト
井出孫六 (作家)
近代日本史をテーマに数々のルポルタージュを発表。 主な著書「終わりなき旅」「アトラス伝説」「戦後史」など *出演者の連絡先は教えられません。 何かあれば、担当者までご連絡下さい。

● 再現ドラマ
匂坂 春平:早川純一(仕事 3470-2881)
真崎甚三郎:相馬剛三(仕事 3470-2881)
磯部 浅一:千葉哲也(アンクルベイビー 3409-4581)
番組概要

その時:昭和11年(1936)2月26日

出来事: 陸軍青年将校が決起、重臣たちを襲撃
 昭和史のターニングポイント、二・二六事件を「勃発」と「収拾」の二つの瞬間に注目して取り上げる二回シリーズ。先週放送の第一回の「その時」は、昭和11年2月26日。 陸軍青年将校に率いられた1483人の決起部隊が、重臣たちを襲撃した「勃発」の時。  シリーズ二回目である今日の「その時」は、昭和12年9月25日。事件への関与が濃厚といわれていた陸軍大将・真崎甚三郎に無罪判決が下り、二・二六事件を裁いた東京陸軍軍法会議の公判が全て終結した日。
番組の内容について

  • 二・二六事件の内容と裁判について
    二・二六事件は、昭和11年2月26日から4日間にわたって起こった事件。青年将校(「青年」といっても年齢は20代前半から30代前半)に率いられた兵士1483人が、岡田啓介総理大臣はじめ重臣たちを襲撃し、東京の中枢部を制圧した。殺害されたのは、齋藤実内大臣、高橋是清大蔵大臣、渡辺錠太郎教育総監、警備の警官4人、松尾伝蔵大佐で、合計8人。 二・二六事件を裁く裁判は、「東京陸軍軍法会議」という。軍法会議は、軍内部の刑事事件を裁く裁判所のことであり、通常は各師団ごとに付設されているが、二・二六事件の場合は、特設軍法会議とされ、「非公開、弁護人なし、一審制」という被告にとって厳しい枠が設けられた。 裁判は昭和11年3月4日から、昭和12年9月25日まで、一年半に及んだ。
  • 東京地方検察庁の二・二六事件裁判記録について
    平成5年、歴史研究者の請求に応じ、東京地検が一部公開した。これまで複写の閲覧は許されていたが、実物のテレビ撮影が認められたのは、今回がはじめて。戦後、GHQに押さえられていたものが、日本に返却され、東京地検の地下倉庫に保管されていた。 現在、複写の閲覧に関しても、研究目的に限られている。一般公開は行っていない。 番組で紹介した箇所については、戦前の軍法会議に詳しい故原秀男さんの著書「二・二六事件軍法会議」(文芸春秋社、1995)に掲載されている。
  • 「匂坂春平」について
    東京陸軍軍法会議で、12人の検察官を取り仕切る主席(主任ともいう)検察官。 明治35年、明治法律学校を卒業、はじめ司法省、後に陸軍の法務官となって以来、数々の軍法会議で活躍。5・15事件で主席検察官を務めたときは、その法の正義に則った論告求刑のありかたで知られた。 13年前、NHK特集「二・二六事件 消された真実」で、匂坂家に残されていた匂坂春平関係史料が戦後はじめた公開された。そこでは、大臣告示の下達時間の問題に踏み込みながら、匂坂が軍上層部を追及していた過程が描かれた。
    今回の番組は、一面では、その過程を東京地検の資料で更に裏付けたものといえる。
  • 度々引用した磯部浅一の言葉について
    いずれも磯部浅一が獄中で書き留めた「獄中手記」から、ほぼ正確に引用した。詳しく知りたい方は、「二・二六事件 獄中手記・遺書」(河出書房新社)を参照されたい。
  • 二・二六事件当時のフィルム  アニドウ・フィルム
  • アドバルーン写真  共同通信社
  • 原隊へ帰る写真  共同通信社
  • 19人の青年将校写真 「NHK特集 二・二六事件 消された真実」より
  • 法廷イメージ 「NHK特集 二・二六事件 消された真実」より
  • 磯部浅一写真 文殊社
  • 磯部浅一の言葉 磯部浅一「獄中手記」より
    cf.「軍を毒するは青年将校に非ずして、軍中央部の奴らではありませんか」
  • 匂坂春平写真 匂坂家蔵
  • 匂坂春平の言葉 「疑点及び意見」
    (匂坂資料:国会図書館憲政資料室蔵)
    国立国会図書館憲政資料室 
    〒100−8924東京都千代田区永田町1−10−1
    (注)文字は「陸軍永久の歴史に伝わる」だが、前後の文意から意訳して「陸軍永久の歴史に関わる」問題とした
  • 東京地方検察庁保管の二・二六正式裁判記録
    東京地検:〒100-8903 東京都千代田区霞ヶ関1−1−1 
  • 匂坂哲郎さん 匂坂春平の長男
  • 匂坂春平写真 匂坂家蔵
  • 五・一五事件での匂坂写真 第一師団軍法会議の公判の模様(匂坂家蔵)
  • 五・一五での活躍を報じる新聞 読売新聞(匂坂家蔵)
  • 東京陸軍軍法会議の法廷があった場所  
    現渋谷公会堂のあるあたりが刑務所のあった所。現NHK東館あたりが軍法会議法廷の特設バラックが建てられた場所
  • 東京陸軍軍法会議について
    解説したのは 松本一郎さん。獨協大学名誉教授(専攻:刑事訴訟法)。現在は弁護士。著書に東京地検の正式裁判記録に基づく「二・二六事件裁判の研究」(緑蔭書房)がある。
  • 裁判を実際に受けてインタビュー
    藤城銀次さん。旧姓青木。元歩兵第三連隊第二中隊軍曹。事件では齋藤内大臣、渡辺錠太郎教育総監襲撃に参加。禁錮7年の刑を受けた。
    都内在住。(連絡不可)
  • 襲撃シーン  映画「叛乱」(新東宝)より。
    監督 佐分利信、原作 立野信之、脚本 菊島隆三
  • 陸軍大臣官邸写真 共同通信社
  • 真崎甚三郎写真 共同通信社
  • 伏見宮邸写真 文殊社
  • 陸軍上層部会議(軍事参議官会議)シーン 映画「叛乱」より
  • 香椎浩平写真 共同通信社
  • 大臣告示読み上げシーン 映画「叛乱」より
  • 警備するシーン 映画「叛乱」より
  • 戒厳司令部写真 共同通信社
  • 藤城銀次さん 前記参照。
  • アドバルーン写真  前記参照。
  • 帰隊する反乱軍写真  共同通信社
  • 鹿野リポーター紹介の史料  
    東京憲兵隊隊長・坂本俊馬大佐が匂坂に宛てた極秘文書「軍上層部内の叛軍一味徒党検挙計画案」
  • 昭和11年5月6日 第69回帝国議会の秘密会の寺内答弁について
    「帝国議会衆議院秘密会議事速記録集」(国立国会図書館憲政資料室蔵)から。
  • 刑務所シーン 映画「叛乱」より
  • 香田清貞写真 毎日新聞社
  • 安藤輝三写真 毎日新聞社
  • 磯部浅一写真 文殊社
  • 磯部浅一の告発状 匂坂資料(国会図書館憲政資料室所蔵)より
  • 磯部浅一と真崎甚三郎の法廷対決
    被告人・真崎の予審法廷に磯部が出廷したときの調書から忠実に再現。史料は、東京地検裁判記録「7月10日 第三回被告人訊問調書(被告人 真崎甚三郎)」より。
  • 処刑場シーン
    映画「叛乱」より
  • 北一輝・西田税写真
    共同通信社
  • 「香椎浩平訊問要領」
    匂坂資料(国会図書館憲政資料室蔵)
  • 香椎浩平捜査報告書に添付する意見書草案
    二案とも匂坂資料
  • 正式な意見書
    東京地検蔵
  • 匂坂春平の正装写真  匂坂家蔵
  • 慰霊像 二・二六事件で犠牲になった人々
    (処刑された人々だけでなく襲撃にあった重臣たちも含む)の慰霊像。NHK放送センター東口前にある。
  • 磯部浅一の墓
    回向院(東京都荒川区南千住5−33−13)
  • 匂坂晩年の写真 匂坂家蔵
番組内で使われた資料などの所蔵先一覧
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参考文献
「二・二六事件裁判の研究」(緑蔭書房)
「雪はよごれていた」(日本放送出版協会)
「二・二六事件軍法会議」(文芸春秋)
「匂坂資料1〜8」(角川書店)
「二・二六事件」(中公新書)
「二・二六事件 獄中手記・遺書」(河出書房新社)
「北一輝と二・二六事件の陰謀」(恒文社)
「史蹟 回向院」(鈴木出版)
「2・26事件と昭和維新」(新人物往来社)  他



第41回
秀吉の妻・おね
関ヶ原を動かす

放送日

放送日 平成13年2月28日(水) 21:15〜21:58 総合
再放送 平成13年3月2日(金) 15:00〜15:43 BS2
出演者
松平 定知 アナウンサー
黒崎めぐみアナウンサー
○ スタジオゲスト
橋田壽賀子(はしだ・すがこ)
脚本家。松竹で映画脚本を手がけた後、数多くのテレビドラマを手がける。
昭和54年、放送文化賞受賞。
主な作品に、民放では「愛と死を見つめて」「渡る世間は鬼ばかり」など。NHKでは、「おしん」「春よ来い」「いのち」「春日局」など。大河ドラマ「おんな太閤記」ではおねを主人公とした物語を書いている。
番組概要

その時:慶長5年(1600)7月18日

出来事: 北政所、豊国神社で行われた先勝祈願の式に姿を現さず
 慶長5年(1600)年9月15日に行われた関ケ原の合戦。この戦いの二ヶ月前、亡き秀吉の正妻・おね(北政所)は、京都・豊国社(トヨクニシャ)での決起に参加しないという意外な行動をとった。おねのこの行動は、思わぬ形で天下分け目の一戦に影響することになった。 秀吉の死後、おねは、秀吉を祀る豊国社へ足しげく通い、夫の菩提を弔う静かな日々を送っていた。しかし、おねを慕う大名たちを勢力に取り込もうと目論む家康は、おねに協力を求めるべく接近。対する石田三成もおねに豊臣存続を訴えた。 東西両陣営の取り込み工作がしきりに行われるなか、慶長5年7月17日、石田三成は家康追討の兵を挙げる。そして慶長5年7月18日、秀吉をまつる京都・豊国社では、大坂城に集う西軍の使者が戦勝祈願を行った。秀吉と、この日に参詣に現れるはずのおねの名のもとに、戦を豊臣の名のもとに正統化し、豊臣恩顧の大名たちを一気に西軍へ引き入れようとしたのだ。しかしこの日、おねは豊国社に姿をみせなかった。 近年、豊国社の宮司・梵舜(ぼんしゅん)の日記が研究され、この時期の北政所の行動が明らかになりつつある。平和を願いながら「秀吉の妻」の地位ゆえ否応なく戦乱に巻き込まれるおねの悲劇と、彼女の行動が関ヶ原合戦の帰趨に決定的な影響を与えた時を、新しく研究された資料をもとに描く。
番組の内容について

  • 「おね」という呼称について
    北政所については「ねね」という名前が流布しています。近年の研究によれば、「おね」あるいは「ね」と呼ぶのが妥当であろう、とされています。
    NHK大河ドラマでも、『秀吉』(1996年)は「おね」と呼称しました。
    本番組でも、これに倣っています。
  • 「豊国社」の読み方について
    「豊国社」「豊国神社」は、一般的に「ほうこく」と呼び習わされています。しかし、この神社の名前の由来となった秀吉の神号「豊国大明神」は、「とよくにだいみょうじん」と読むのが正しく、したがって、「とよくにしゃ」「とよくにじんじゃ」という読み方を用いました。また、豊国社は厳密には「とよくにのやしろ」と読むべきですが、簡明を期して「とよくにしゃ」という表現を使いました。
  • 『舜旧記』について
    『舜旧記』は、『梵舜日記』とも呼ばれ、豊国社の社僧だった神龍院梵舜が書いたものです。その存在は古くから知られていましたが、おねの行動の記録として注目されるようになったのはここ5年ほどのことです。 おねは徳川家康と結んでいたのではないのか? 司馬遼太郎著『関ヶ原』、永井路子著『王者の妻』などでは、秀吉の死後、おねが徳川家康に急接近し、自分の子飼いの武将たちを東軍へと導き、関ヶ原では家康を勝利させたという記述が出てきます。しかし、これらのもとになっている資料のほとんどは『明良洪範』『大日本野史』など、江戸時代になって書かれたものがほとんどです。同時代資料では、関ヶ原前後のおねの行動はほとんどわかっていません。  番組では、『舜旧記』を軸として、『義演准后日記』『時慶卿記』『高台寺文書』『足守木下家文書』などの記述を取り入れながら、再構成を試みました。
  • 秀吉とおねの年の差について
    秀吉の生年については、天文5年(1536)という伝承と、天文6年(1537)という説があります。このうち、おねについての伝承を伝えるものの多くが、秀吉の生年を天文5年としています(『太閤素性記』の記述による)。したがって、おねの伝承に関するこのパートでは、秀吉の生年を天文5年として扱っています。天文17(1548)年生まれのおねと12歳違い、というのはそのためです。
  • 朝鮮出兵時の年号(天正20年)について
    歴史書などでは、最初の朝鮮出兵を「文禄元年」としています。しかし、文禄に改元されたのはこの年の12月8日です。朝鮮へ最初の軍隊が渡ったのは4月12日なので、番組では「天正20年」と表現しました。 醍醐花見図屏風 醍醐の花見の様子を江戸時代に描いたものです。屏風は千葉県佐倉市の国立民族博物館に所蔵されています。なお、画中の登場人物のそれぞれが誰であるかということについては詳細なことはわかっていませんが、通説として、醍醐寺に残る花見行列の順番の記録にもとづいた比定があり、これにもとづいて「おね」と「淀殿」を紹介しました。 醍醐の花見での盃争い 加賀藩の記録『陳善録』に見えます。花見の舞台となり、ロケを行った醍醐寺三宝院庭園は拝観可。また、毎年4月の桜のシーズンには、醍醐の花見を再現した『太閤花見行列』のイベントが催されます。詳細は醍醐寺まで。
    醍醐寺
    601−1325
    京都市伏見区醍醐東大路町
  • おねと淀殿が詠んだ歌とその訳
    醍醐の花見に出席した人々が詠んだ歌は短冊に書かれました。その短冊が今も醍醐寺に残されています(醍醐花見短冊、重文。公開はされていない)。
    番組中で紹介したおねと淀殿の歌は、以下のとおりです。

    ともなひて 眺めにあかし 深雪山 帰るさ惜しき 花の面影
    (あなたと一緒に思いにふけりながらこの桜を見ている)

    花もまた 君のためにと さきいでて 世にならひなき 春にあうらし
    (この醍醐の桜も秀吉を称えるように咲きそろい、世に並びない春にめぐり合うことができたようです)

    番組中の訳については、京都橘女子大学朝尾直弘先生にもご検討いただき、意訳しました。
  • 高台寺に伝わる秀吉の遺品
    いずれも高台寺の蔵の中に納められているもので、通常は見ることができません。
    豊国神社 現在の豊国神社は明治時代に再建されたものです。
    境内拝観自由。
    また、宝物館には、太閤秀吉ゆかりの品々が納められています。
    豊国神社 
    605−0931
    京都市東山区大和大路正面茶屋町
  • 秀吉の墓
    現在も京都東山・阿弥陀が峰の山頂にあり拝観できます。
    詳しくは豊国神社へ。
  • 舜旧記
    舜旧記の原本はほとんど失われており、ごく一部が東京・國學院大學に所蔵されています。今回は、全巻を写本で揃えている京都大学でロケを行いました。 「豊国祭礼図屏風」について 慶長9年8月18日、秀吉の7回忌に際してその祥月命日に行なわれた豊国社の祭礼の様子を、狩野内膳が描いたもの。豊国神社所蔵のものを撮影しました。
    豊国神社宝物館で見ることができます。
  • 「近江派」「尾張派」という表現
    豊臣家中の対立を表現する言葉としてたびたび利用されるので、本番組でも使用しました。その性格から、それぞれ「文吏派」と「武断派」と表現されることもあります。「近江派」には、近江出身の石田三成、増田長盛、長束正家、片桐且元および淀殿、「尾張派」には、尾張由来の加藤清正、福島正則、浅野長政・幸長父子、小早川秀秋らおよび北政所がそれぞれあげられます。
  • 石田三成の娘について
    石田三成の娘・辰子が、北政所周辺の書状類に登場するのが慶長4年(1999)12月なので、養女となった月としました。なお、辰子は関ヶ原の合戦後、北政所の仲介によって津軽家へ嫁ぎ、二代藩主津軽信枚(のぶひら)の側室となっています。
  • 番組中「政所の御養女」として紹介した文書
    大正時代に編纂された『津軽旧記伝類』のものです。 家康の北政所訪問 当時の公卿、山科言継の日記『言継卿記』に、慶長4年4月18日および慶長5年4月18日に、それぞれ豊国社に参詣後、北政所のもとを家康が訪ねた旨の記録があります。
  • 当日の再現について
  • 祭礼の様子については、『舜旧記』はもちろんのこと、豊国祭礼図屏風、広文庫、明良洪範、豊国社祭礼記、兼見卿記、高台寺文書、豊国神社の伝承などから再構成を試みました。 湯立神事 広辞苑等では「ゆだて」となっていますが、京都では伝統的に「ゆたて」と濁らずに読む慣習となっており、番組でもこれに従いました。なお映像は、毎年1月20日に京都市伏見区の城南宮(ジョウナングウ)で行なわれる湯立神事の際、イメージカットとして撮影させていただいたものです。
  • 兄・木下家定について
    木下家定は、姫路城主で、北政所の実の兄。小早川秀秋の父親にあたります。『寛政重修諸家譜』の家定の項に、北政所警護のために大坂から駆けつけた旨の記録があります。 秀秋宛書状について 福島正則とともに、おねと親しく、東軍の中核を務めた浅野幸長(おねの養父の孫)・黒田長政との連署。両者はこの時期、福島とともに家康軍の中核をなす存在であったため、福島と同一のグループとして扱い、平明を期すために浅野・黒田の名前は割愛しました。
  • おねの手紙
    伊達政宗に宛てた手紙のなかの一節です。「大坂の御事は、なにとも申候はんずることの葉も御入候はぬことにて候(大坂落城のことについては、何とも、申し上げる言葉もみつかりません)。」
    お霊屋(おたまや) 高台寺境内にあります
    。拝観自由。詳細は高台寺に問い合わせて下さい。
番組内で使われた資料などの所蔵先一覧
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参考文献

<主要参考文献>
『北政所』(中公新書)津田三郎(※ただし絶版。図書館で)







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