2000年 11月分 放映リスト

2000年11月1日(水)第27回
伊能忠敬 56歳からの挑戦

2000年11月9日(水)第28回
桶狭間の戦い 〜織田信長、逆転への情報戦略〜

2000年11月15日(水)第29回
坂本龍馬暗殺事件 〜魔の一瞬が歴史を変えた〜

2000年11月22日(水)第30回
「学校」誕生 〜初代文部大臣・森有礼の挑戦〜

2000年11月29日(水)第31回
将軍慶喜・最後の決断 〜幕末を動かした大坂城脱出〜



第27回
伊能忠敬 56歳からの挑戦

放送日

放送日:平成12年11月1日(水)21:15〜21:58(総合)
※大相撲中継のため、全国再放送予定は今のところありません。
出演者
松平 定知 アナウンサー
小田切千アナウンサー

○ スタジオゲスト
早坂 暁(はやさか あきら 脚本家・作家)。

1929年生まれ。 愛媛県生まれ。東京在住。
主なシナリオ作品「夢千代日記」「天下御免」小説「ダウンタウンヒーローズ」など。

(再現ドラマ出演)
伊能忠敬役 東山 三六(アクタープロ)
主なロケ地 鳥取砂丘
番組概要

その時:文政4年(1821)7月10日

出来事:大日本沿輿地全図完成 幕府に献上される。
 日本で初めて実測による日本地図を誕生させた伊能忠敬。伊能の作った精度の高い日本地図は、軍事用、教育用など、昭和に至るまで百年間にわたって使われ日本の近代化を支える事になった。地図づくりは、実は、伊能が50歳の隠居後から始めた学問だった。 日本初の近代地図が誕生した背景には、二十近くも年の離れた天文学者の師匠との固い絆があった。「地球の大きさを知りたい」という目標から始まった二人の測量計画は、幕府を動かし、遂に日本地図を作るという国家事業にまで発展していった。師匠の死を乗り越え、急激に衰えていく体力と闘いながら71歳で日本全国を測りきった伊能忠敬。測量開始から200年目の今年。番組では、近年見つかった全長10メートルもの伊能九州図を紹介しながら、伊能忠敬の第二の人生に賭けた思いを描く。
番組の内容について
  • 番組エンディングに出てきた、ウオーキングの風景
    「伊能ウオーク・平成の伊能忠敬 ニッポンを歩こう 21世紀への100万ウオーク」
    主催 日本歩け歩け協会 伊能忠敬研究会 朝日新聞社
    後援 文部省、厚生省など
    2001年正月をゴールに日本全国を歩いて廻ろうという試み 鳥取、近畿、名古屋、東京方面が予定されている。 一般の方の一日だけの参加も可能。
    詳しくは、近畿日本ツーリスト東京支店「伊能ウオーク係」
    рO3−3214−5566
  • 年齢はすべて数え年で統一しています。
  • 番組の流れにそった案内 イントロ ・伊能忠敬
  • 野外ドラマの場所
    鳥取砂丘
  • 伊能忠敬肖像 伊能忠敬記念館 
    千葉県佐原市佐原イ1722−1
    рO478−54−1118
    午前9時〜午後4時30分 月曜 休館
    JR佐原駅徒歩10分
  • 日本地図  伊能中図
    東京国立博物館 蔵
    ※撮影には、複製品使用 株式会社 武揚堂
  • 新しい地図史料のリポート
    物件:「九州沿海図」(公開はしてません)
    場所:東京国立博物館 資料部 スタジオ0
  • 地図パネル イントロに出た東京国立博物館蔵の地図を複製化したもの
    場所は鹿児島湾。
  • 伊能忠敬の生まれた場所
    千葉県九十九里町小関※現在は伊能忠敬記念公園となっている。
  • 宇宙の画像
    NHKスペシャル 銀河宇宙オデッセイ未編集素材より
  • 宇宙のCG
    NHKスペシャル 銀河宇宙オデッセイ未編集素材より
  • 伊能家旧宅
    千葉県佐原市佐原 前出 伊能記念館そば 随時見学可
  • 恒星図 「赤道恒星図」 伊能家蔵 見学不可
  • 浅草のリポート 浅草寺 雷門前 
    ※説明している天文方暦局があった場所は、現在の台東区浅草橋3丁目。史跡「天文台跡」看板が立っている
  • 天文方暦局の絵
    「寛政暦書」に掲載 国立天文台 蔵
  • 天文台の絵のアップ
    「富嶽百景浅草鳥越の図」に掲載 石川英輔蔵
  • 地球CG
    前出「銀河宇宙オデッセイ」
  • 黒船映像
    長崎県ハウステンボス рO956−27−0181
  • 蝦夷地(北海道)地図
    「享保年度 日本図」 国立歴史民俗博物館蔵
  • 測量を許可する幕府の文書
    蝦夷地測量許可書」 伊能家 蔵
  • 赤い線の有る図 牡鹿半島の伊能図「文化元年大図」
    伊能忠敬記念館 蔵
  • リポーターが船で説明している所 宮城県牡鹿郡沖合
    牡鹿半島〜三陸海岸 ・高橋至時(よしとき)が伊能忠敬に出した手紙の内容 
    現代文訳
    「今、天下の学者は、あなたの地図が成就する時を日を数えながら待っています。あなたの一身は 天下の暦学の盛衰に関わっているのです。」
  • 忠敬の計算を記した文書
    「子午線一度長計算書」 伊能忠敬記念館 蔵
  • ラランデ暦書
    国立天文台 蔵 
  • 測量の様子を描いた絵画
    「浦島測量の図」 
  • 呉市入船山記念館 間重富(はざましげとみ)が伊能忠敬に出した手紙の内容
    現代語訳
    「西洋人が科学に携わる時には、 自分のためにではなく、人のため、天下のためにみな命がけでやるといいます。天につくすつもりで事業を達成されますように祈っております」
  • 「歯はほとんど無くなり」
    伊能忠敬書簡 伊能忠敬記念館 蔵
  • 伊能忠敬が九州で詠んだ歌
    「七十に近き春にぞあひの浦、九十九島(くじゅうくしま)をいき(壱岐)の松原」
  • リポーターが説明している場所
    伊能忠敬の最終測量地点
    東京中央区八丁堀 交差点 忠敬の測量日記「江戸測量終わる」より
    ※翌年、伊能隊は、伊豆測量を行っているが忠敬は不参加。翌々年、江戸第二次測量も、部分参加のみである事から、忠敬の最終測量は、1815年までとした。
  • 完成前の伊能の地図
    伊能図(写し) 
    中部、近畿中国 学習院大学図書館 蔵 
  • インタビュー 伊能忠敬研究会
    代表 渡辺一郎氏 伊能研究の書籍を多数執筆。
    (参考文献参照)
  • イギリスの海図
    1861年版「日本図」 イギリス海軍水路部 蔵
  • イギリス側の感想
    「これらの地図は西洋の器具や技術を使ってい ないにも関わらず、正確に描かれていて 十分に信頼できるものである。」 (イギリス海軍中佐の報告)
  • 明治維新の錦絵
    ガス資料館 蔵
  • 小学校必携日本地図
    国立国会図書館 蔵 東京の図
  • 千葉県佐原の伊能忠敬の墓
    観福寺(かんぷくじ) 
    千葉県佐原市佐原見学可能
  • 東京台東区の伊能忠敬の墓
    源空寺(げんこうじ)
    東京都台東区東上野見学可能
  • 人々の歩いているイベント
    伊能ウオーク冒頭参照
番組内で使われた資料などの所蔵先一覧
-
参考文献
  • 主な参考文献
    「図説 伊能忠敬の地図をよむ」渡辺一郎 河出書房新社 1800円
    「伊能忠敬の歩いた日本」渡辺一郎 ちくま新書 660円
    「伊能測量隊まかり通る」渡辺一郎 著NTT出版 3800円 
    「伊能忠敬」小島一仁 三省堂選書 900円
    「伊能忠敬の科学的業績」保柳睦美 編著 絶版
    「伊能図を読む」朝倉書店 東京地学協会 5000円社


第28回
桶狭間の戦い
〜織田信長、逆転への情報戦略〜

放送日

放送日 平成12年11月8日(水)午後9時15分〜58分 総合テレビ
再放送 平成12年11月10日(金)昼0時15分〜58分 BS2
再放送 平成12年11月12日(日)午前7時45分〜8時28分 
総合テレビ近畿ブロック。
出演者
松平 定知 アナウンサー

○ スタジオゲスト
小和田哲男 (静岡大学教授・戦国史)
番組概要

その時:永禄3年(1560)5月19日

出来事:織田信長、桶狭間で今川軍に突撃

 尾張の小大名織田信長が駿河の大大名今川義元を討ち、戦国時代の趨勢を一転させた桶狭間の合戦。 今川軍二万五千に対し、織田軍はわずか四千。さらに近年の研究成果から、決戦場となった桶狭間の今川本陣は、谷底ではなく周囲を見渡せる山の上にあったことが分かってきている。兵力は少なく、地形の上でも不利な条件の中で、信長はいかに勝利できたのか。 従来この戦いは、信長が一か八かの捨て身の奇襲攻撃により、運良く破った戦いとされてきた。しかし、突撃に至る信長の行動をつぶさに追っていくと、信長は事前に今川の情報を集めて周到に準備を重ね、十分に勝算を持って決戦の場に臨んでいたことが分かる。  事前に「情報網」を張り巡らせて相手の行動や天候の変化を冷静に分析、そして「今川軍が昼食休憩中」という決定的なチャンスを知らせる情報を掴んだ瞬間に行動を起こし、危険ながら最も早く作戦を実行できる正面突破を敢行した。  決定的な情報を掴み、その情報を最大限に生かす機敏な行動と状況判断によって勝利を勝ち取った、信長の桶狭間合戦の突撃の時を描く。

番組の内容について
● 番組の内容について
  • 【桶狭間は「山」だったのか】
    歴史研究家の藤本正行さんの研究。
    「信長公記」に「おけはざま山」と記されていることから、桶狭間は「山」だったと指摘。後世の研究では、山の上から奇襲攻撃をかけたように描かれていたが、最近の学界の定説は、「桶狭間=山」になりつつある。 藤本正行「信長の戦国軍事学」を参照。
  • 【今川軍と織田軍の兵力について】
    ゲストの小和田哲男氏による。
    信長公記によれば、今川軍の兵力は4万5千だが、今川義元の同盟者である北条氏康の「北条五代記」や、武田信玄の関係の「甲陽軍鑑」では二万あまりとなっていることからの推測。一方、信長軍は4千といわれるが、周辺の砦の守りなどに兵を裂き、実質は3千という計算。
  • 【信長の攻撃ルートについて】
    善照寺砦から中島砦を経由して一直線に桶狭間を攻撃するというルートは、藤本正行氏の説。「信長公記」に「善照寺砦」を出た信長が「中島砦」に向かったと記されていることからの推測。戦前の陸軍が桶狭間の戦術を分析した際、「迂回説」を採用したことからこれが定説化していたが、信長公記を丹念に読み直した藤本正行氏の研究で、学界の奔流は「直進説」に傾きつつある。
  • 【番組で紹介した主な史料】
    ●織田信長肖像 長興寺蔵 (愛知県豊田市)
    ●「信長公記」 陽明文庫 (京都府京都市右京区)
    ●今川義元木像 高徳院(愛知県豊明市)
    ●明治21年に陸軍が作成した地図
    静岡大学の小和田教授が所有 (国土地理院で最も古いものは明治23年)
    ●太刀  (義元左文字) 建勲神社 (京都市北区)
    普段は京都国立博物館に展示。
    銘は 「永禄三年五月十九日義元討捕刻彼所持刀  織田尾張守信長」
  • 【番組中で登場した人物】
    ●「敦盛」の舞と謡い
    野村与十郎 氏による 幸若舞の「敦盛」は、言葉が残るのみで舞も謡いも現存していません。 今回の舞は、与十郎さんに特別に振りと節回しをつけていただきました。
  • 【番組中で紹介した場所】
    ●熱田神宮
    桶狭間の合戦に向かう信長が立ち寄ったところ。 戦いの後に信長が寄贈したという「信長塀」が残っている。 (名鉄広見線明智駅下車歩10分)
    ●善照寺砦
    信長軍の前線基地。現在は「砦公園」となっている。
    (名鉄名古屋線鳴海駅下車歩10分)
    ●桶狭間古戦場
    桶狭間古戦場と考えられるいくつかの場所のうち、最も有名な場所
    (名鉄本線中京競馬駅下車歩15分)
    ●建勲神社
    信長を祀った神社。信長が今川義元から奪った刀は、常時はここにはありません。 普段は、京都国立博物館に展示されており、年に数回、お祭りの時などに神社に帰ってきます。
  • 【番組で紹介した主なエピソードの出典】
    ※基本的には、すべて「信長公記」を基に、「三河後風土記」「甫庵信長記」「甲陽軍鑑」を参照。
    ●信長の少年時代 服装や鷹狩りなど 信長公記より
    ●信長が今川義元に偽の手紙を送った逸話 武田信玄関係の「甲陽軍鑑」による ●信長が「もうかえれ」と言った   信長公記より
    ●今川軍を砦に引きつけ、今川軍本隊を手薄にするおとり作戦 「信長公記」から小和田氏が推察した信長の戦術 (小和田哲男「桶狭間の戦い」を参照)
番組内で使われた資料などの所蔵先一覧
-
参考文献
  • <主要参考文献>【主な参考文献】
    @太田牛一/原著  榊山潤/訳 「信長公記」 上下巻 (教育社新書)
    A小和田哲男 「桶狭間の戦い」 (学研M文庫)
    B藤本正行  「信長の戦国軍事学」 (洋泉社)



第29回
坂本龍馬暗殺事件
〜魔の一瞬が歴史を変えた〜

放送日

本放送 平成12年11月15日(水)21:15〜21:57:30 総合テレビ 全国
再放送
19日(日) 7:45〜 8:27:30 〃 近畿ブロック
20日(月)15:10〜15:52:30 〃 全国
※金曜日のBSの再放送については、大相撲中継のため休止
出演者
松平 定知 アナウンサー
小田切千アナウンサー

○ スタジオゲスト
黒鉄ヒロシ(マンガ家)
幕末史に造詣が深く、長編マンガ『坂本龍馬』で、 平成12年文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞を受賞。
番組概要

その時: 慶応3年(1867)11月15日

出来事:坂本龍馬暗殺される
 明治の世を目前にした慶応3年11月15日。幕末の世を動かした坂本龍馬が暗殺された。黒幕が誰か今なお結論は出ず、幕末最大のミステリーとなっている。 黒幕が誰かは、薩摩藩、幕府、土佐藩、など様々な説があり、一緒に殺された中岡慎太郎との心中だった、という説まである。 龍馬は一体誰にどのように殺されたのか?そしてなぜ殺されなくてはならなかったのか。  幕府から放たれた密偵の動き、暗殺1ヶ月前からの薩摩藩の過激な行動、そして今まで注目されていなかった史料から明らかにされる龍馬の思わぬ油断…。  龍馬の暗殺直前の動きを詳細に追っていくと、龍馬が、強い後ろ盾もなく、京都で多くの危険にさらされていた様子が浮かび上がる。  今回は、龍馬暗殺にまつわる史料を徹底的に洗い出し、その史料をもとに龍馬暗殺の運命の日を詳細なドキュメントとして再現する 。
番組の内容について
  • Q:「坂本龍馬」は「りょうま」ではなく、「りゅうま」ではないのか?
    A:同時代の龍馬の関係者の手紙や文書の中に、「坂本良馬」と当て字で書かれているものが、多数存在するため、「りょうま」と呼ぶのが定説となっています。
  • Q:番組で表記される日付について
    A:すべて旧暦で統一してあります
  • Q:龍馬の年齢について
    A:すべて数えで計算しています
  • Q:松平アナ「龍馬暗殺は明治という時代まであと11ヶ月」というコメントについて、「10ヶ月ではないか?」
    A:龍馬暗殺が慶応3年11月15日、明治への改元が慶応4年9月なので、そのまま数えると10ヶ月なのですが、旧暦で4月の後ろに閏4月が入っているので、11ヶ月とカウントしました。
  • Q:「永井尚志」の呼び名について、「ながいなおゆき」と読んでいたが、「なおむね」ではないか?
    A:旧来「なおむね」と読まれてきたが、永井尚志の子孫より「永井家では代々、『なおゆき』と読んでいる」という申し出があり、近年では「なおゆき」「なおむね」の両方が併用されている。 今回の番組では、「国史大辞典」(吉川弘文館)での記載に準拠し、「なおゆき」としました。
番組内で使われた資料などの所蔵先一覧
  • 【資料の所蔵先等】
    《龍馬の手紙・文書》
    ◇「文久3年6月29日 坂本乙女宛」(「日本を洗濯」と記した姉への手紙) 京都国立博物館 tel.075-541-1151
    ◇「慶応3年10月18日 望月清平宛 」(土佐藩邸に入れない、と記した手紙) 高知県立坂本龍馬記念館 tel.088-841-0001
    ◇「慶応3年11月7日 陸奥宗光宛」(「世界の咄し」と記した手紙)      国立国会図書館 tel.03-3581-2331
    ◇「慶応3年11月11日 林謙三宛」(「シュラか極楽か」「永井玄蕃は同心」と記した手紙) 高知県立歴史民俗資料館 tel.088-862-2211
    ◇「新政府綱領八策」下関市立長府博物館 tel.0832-45-0555
    ◇「海援隊約規」※個人蔵・連絡先公表せず 《肖像写真》
    ◇「坂本龍馬肖像(立像)」 高知県立歴史民俗資料館 tel.088-862-2211 ◇「坂本龍馬肖像(縁台に座る)」東京龍馬会 ※連絡先は個人のため公表せず ◇「西郷隆盛肖像」鹿児島県歴史資料センター黎明館 tel.0992-22-5100
    ◇「木戸孝允肖像」東京都港区立港郷土資料館 tel.03-3452-4966
    ◇「徳川慶喜肖像」※個人蔵・連絡先公表せず
    ◇「寺田屋お登勢肖像」伏見寺田屋 tel.075-611-1223
    ◇「今井信郎肖像」霊山歴史館 tel.075-531-3773 《他の文書》
    ◇「大坂町奉行与力史料」※個人蔵・連絡先公表せず
    ◇「改訂肥後藩国事史料(慶応四年雑録一)」 財団法人永青文庫 tel.03-3941-0850 ※寄託先:熊本大学附属図書館 tel.096-384-5000
    ◇「丁卯日記」(慶応3年11月14日「龍馬の秘策は内府公関白職」の記載) 東京大学史料編纂所tel.03-3812-2111
    ◇「討幕の密勅」鹿児島県歴史資料センター黎明館 tel.0992-22-5100 《地図・絵画など》
    ◇「改正京町絵図細見大成」(京都の地図) 京都府立総合資料館 tel.075-781-9101
    ◇「大政奉還の図」明治神宮聖徳記念絵画館 tel.03-3401-5179
    ◇「新製與地全図」(龍馬の親戚の家に伝わる世界地図)※個人蔵・連絡先公表せず
参考文献
  • 【今回使用の主な参考文献】
    ※絶版の可能性アリ。出版社に確認を!
    《ゲスト・黒鉄ヒロシ氏の関連書籍》
    ☆「坂本龍馬」 PHP研究所
    ☆「幕末暗殺」 〃 《坂本龍馬の基礎資料》
    ☆「坂本龍馬全集」宮地佐一郎編 光風社出版  
    ☆「龍馬の手紙」   〃    PHP研究所
    ☆「坂本龍馬日記(上・下)」菊池明・山村竜也編  新人物往来社 
    ☆「坂本龍馬大事典」 〃 《龍馬暗殺関連》
    ☆「完全検証 龍馬暗殺」(別冊歴史読本1993年春号) 新人物往来社
    ☆「龍馬暗殺」(ビッグマンスペシャル歴史クローズアップ) 世界文化社
    ☆「龍馬暗殺 完結編」菊池明著 新人物往来社 


  • 【書籍について】 ★番組の内容をKTC中央出版より順次出版中。



第30回
「学校」誕生
〜初代文部大臣・森有礼の挑戦〜

放送日

本放送平成12年11月22日(水)21時15分〜21時58分 総合
再放送 平成12年11月27日(月)15時10分〜15時53分  総合
出演者
松平 定知 アナウンサー
柘植恵水アナウンサー

○ スタジオゲスト
犬塚孝明(鹿児島純心女子大学教授)
明治維新対外関係史を専攻。「森有礼」「森有礼全集」など編著書多数。
鹿児島純心女子大学連絡先
鹿児島県川内市天辰町2365番地 0996-23-5311

森 有礼役:天宮 良(アクトレインクラブ所属)
番組概要

その時:明治22年(1889)2月11日 

出来事:森有礼、襲撃される(大日本帝国憲法発布の日)
 大学を頂点に高・中・小と連なる、わが国のピラミッド型教育システム、義務教育、教科書検定、さらに運動会や修学旅行…現在の教育では当たり前になった学校制度は、明治18年に初代文部大臣となった森有礼が構想し、実現したものである。
  明治5年、新政府がにわか仕込みで作った初期の学校制度「学制」は、欧米の翻訳教科書の使用、高価な授業料、さらには教師の育成の遅れなども相まって、学校によって授業内容にバラつきが生じるなど、不調であった。また自由民権運動の高揚と相まって批判にさらされ、中には焼き討ちにあう小学校まで出る始末だった。
  幕末、英米に留学した森は、新政府の外交官として精力的に欧米の教育制度の研究に取り組み、条約改正交渉の経験を通じ、列強と対等に渡り合うためには「国民」の創出、すなわち国家が主導で教育を行う学校制度を整備することが何よりも必要だと考えた。
  一方、天皇の側近の教育係、元田永孚は、天皇の威徳で国民の統合を図る儒教主義教育を推進、「修身」を学校の中心科目に据えさせるなど、文教行政に大きな影響力を与えていた。長い外交官生活から帰国した森は、元田の儒教主義に真っ向から対立することになる。 明治18年12月22日、森は初代文部大臣に就任、翌年、「諸学校令」を公布した。
森の改革は、「学制」の欠点を踏まえ、義務教育による国民皆学、帝国大学を頂点にした能力主義による学校システムの構築、検定による教科書の質の向上、という独自のものだった。
森は、精神主義的な「修身」ではなく、実利的な知育体育を重んじる学校制度の充実によって、国民の統合を図ろうとした。
  しかし、明治22年、大日本帝国憲法発布の当日、森は襲撃され翌日命を落とす。翌年、勢力を挽回した元田らは「教育勅語」を発布、以後森が築いた学校制度は皮肉にも戦前まで続く修身教育を支える装置として機能することになる。  番組では、明治の学校教育の黎明期、森が元田の儒教主義と対立しながら教育改革を断行する過程を検証しながら、現代に通ずる日本の学校制度の意味を問い直す。
番組の内容について
  • 開智学校
    〒390-0876 松本市開智2丁目4番12号
    0263-32-5725
  • 「三重県下頑民暴動之図」
    東京大学明治新聞雑誌文庫
    〒113−0033東京都文京区本郷7−3−1 
    03−5841−3171
  • 森有礼写真
    国立国会図書館憲政資料室
    〒100−8924東京都千代田区永田町1−10−1 
    03−3581−2331
  • 森有礼著“Education in Japan”
    ジョンズ・ホプキンズ大学蔵(メリーランド州ボルティモア市)
  • 「義務教育は森有礼が始めた」の根拠について
    保護者に対する就学義務をはじめて法的に明記したのは森文部大臣による〈小学校令〉から。それ以前の教育令などは、就学奨励であっても義務ではなかった。
  • 大日本憲法発布式之図
    憲政記念館
    〒100−0014東京都千代田区永田町1−1−1 
    03−3581−1651
  • 「薩英戦争絵巻」
    薩摩藩英国留学生写真
    尚古集成館
    〒892−0871鹿児島市吉野町9698−1 
    099−247−1511
  • 薩摩藩英国留学生出航地
    鹿児島県西部串木野市にある羽島港。JR串木野駅から車で20分。市が建てた記念碑が近くにある。
  • ブロクトンの新生社本部跡
    ニューヨーク州エリー湖畔にある。周囲の葡萄園も含めて、現在は、ローズマリー・ヘイズさんの私有地となっている。
  • キャサリン・マカリスター博士
    エンパイヤ・ステート大学・フレドニア地域コーディネーター。「ハリスの私的及び公的共同体生活のビジョン」というパンフレットを最近出版。ハリスについて詳しい。
  • 「留別の書」
    コロンビア大学図書館蔵。森が同僚の鮫島と連名で、アメリカに残る留学生に宛てた手紙。
  • 森有礼旧蔵アルバム
    石黒コレクション保存会蔵
  • 森有礼著“Education in Japan”
    ジョンズ・ホプキンズ大学蔵(メリーランド州ボルティモア市)
  • 「明六雑誌」
    慶應義塾大学三田メディアセンター
    〒108−8345東京都港区三田2−15−45
    03−3453−4511
  • 開智学校
    重要文化財旧開智学校
    〒390-0876 松本市開智2丁目4番12号 
    0263-32-5725
  • 「小学読本」とウィルソン・リーダー
    中村紀久二氏所蔵
  • 試験を実施した場所と子供たち
    都留市尾県郷土資料館内に再現された明治時代の教室
    都留市尾県郷土資料館(尾県学校)
    〒402−0006山梨県都留市小形山1565−1 
    0554−45−0675
    (火木土日10:00〜16:00開館)
    子供たちは地元の都留市立禾生第二小学校の皆さん。
  • 上級学校進学率の棒グラフ
    「三重県教育史」のデータをもとに作成
  • 県教育費収入の円グラフ
    「文部省年報」のデータをもとに作成
  • 「三重県下頑民暴動之図」
    東京大学明治新聞雑誌文庫
    〒113−0033東京都文京区本郷7−3−1 
    03−5841−3171
  • 「暴動罹災調」
    三重県文化課県史編さん室蔵 
    住所:三重県津市栄町1−954
  • 元田永孚写真
    国立国会図書館憲政資料室
    〒100−8924東京都千代田区永田町1−10−1
    03−3581−2331
  • 「幼学綱要」
    中村紀久二氏所蔵
  • 開智学校巡幸の錦絵
    旧開智学校蔵 
    〒390-0876 松本市開智2丁目4番12号
    0263-32-5725
  • 開智学校にある明治天皇の御座所
    開智学校内にある。一般参観可。
  • 大隊調練之図
    神奈川県立歴史博物館蔵
    〒231−0006神奈川県横浜市中区南仲通5−60 
    045−201−0926
  • 「体操教範」
    元日本大学文理学部教授・木下秀明氏蔵 日本大学文理学部
    〒156-8550 世田谷区桜上水3−25−40
    03-3329-1151
  • 兵式体操実演
    協力は日本大学文理学部体育学科の皆さん
  • 「読方入門」「読書入門」
    国立教育研究所所蔵
    〒153−8681東京都目黒区下目黒6−5−22 
    03−5721−509
    解説者=中村紀久二氏(教科書研究センター主任研究員)
  • 「小学日本略史」「高等小学歴史」
    中村紀久二氏蔵(教科書研究センター主任研究員)
  • 柘植アナがリポートした運動会
    練馬区立大泉第三小学校の運動会を撮影
  • 伊勢神宮外宮での「不敬事件」
    リポートについて 参拝に同行した森有礼秘書官・木場貞長の談話が最も信頼できる史料とされ、こ れに依った。明治維新研究の大家・大久保利謙さんの「森有礼」に詳述されている。
  • 「大日本憲法発布式之図」
    憲政記念館 
    〒100−0014東京都千代田区永田町1−1−1 
    03−3581−1651
  • 「森有礼暗殺主意書」
    国立国会図書館憲政資料室
    〒100−8924東京都千代田区永田町1−10−1 
    03−3581−2331
  • 「教育勅語」
    旧開智学校蔵 〒390-0876 松本市開智2丁目4番12号
    0263-32-5725
  • 森有礼書「自警」(明治19年1月)
    文部省3階文部大臣室に掲げられている。
  • 森有礼の墓
    青山霊園内にある。
  • 森有礼の孫
    関屋綾子さん。元日本YWCA会長。丸木美術館館長。
番組内で使われた資料などの所蔵先一覧
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参考文献
  • 参考文献:
    「新修 森有礼全集全5巻」(文泉堂)
    「森有礼」(人物叢書、吉川弘文館)
    「教育勅語成立史の研究」(東京大学出版会)
    「日本近代教育百年史」(国立教育研究所)
    「日本教育小史」(岩波書店)
    「教科書の社会史」(岩波書店)
    「教科書で見る近現代日本の教育」(東京書籍)
    「兵式体操からみた軍と教育」(杏林書院)
    「教育勅語への道」(三元社)
    「週刊朝日百科日本の歴史103 学校と試験」(朝日新聞社)
    「一本の樫の木」(日本基督教団出版局)
    「運動会と日本近代」(青弓社)
    「林竹二著作集2森有礼」(筑摩書房)
    「三重県教育史」(三重県庁)
    “MORI ARINORI”(Harvard University Press) 
    他論文等多数



第31回
将軍慶喜・最後の決断
〜幕末を動かした大坂城脱出〜

放送日

平成12年11月29日(水) 21:15〜21:58(総合)
再放送:平成12年12月4日(月) 15:10〜15:52(総合)
再放送:平成12年12月3日(日)7:45〜 8:28(総合・近畿ブロック)
※BS2での再放送はありません。
出演者
松平 定知 アナウンサー
鹿野睦アナウンサー

○ スタジオゲスト
田中 彰さん(北海道大学名誉教授)
1928年山口県生まれ。終戦の8月15日を陸軍士官学校(60期生)で迎え、この敗戦体験が近代天皇制の起点としての明治維新史研究の伏線となる。東京教育大学大学院修了。文学博士。1991年に北海道大学を定年退官。幕末の長州藩から維新史研究に踏み込む。「開国と倒幕」、「明治維新」など著書多数。

(再現ドラマ出演)
徳川慶喜役 中村嘉夫(なかむらよしお ターゲット・所属)
事務所住所・〒106-0031 東京都港区西麻布1-10-8
電話03-3405-6289 FAX03-3405-1949
番組概要

その時:慶応4年(1868年)1月6日

出来事:徳川慶喜、大坂城脱出
 慶応3年10月。徳川幕府第15代将軍・徳川慶喜は大政奉還を実行し、二世紀半に渡って幕府が握っていた政権を朝廷に返上した。しかし、慶喜にとって大政奉還=権力放棄ではなかった。それどころか、幕府の機構を改革して日本を「議会」を備えた近代国家に改造すること、そして、自らは「大君」として君臨することで実質的な権力維持を目論んでいた。対する倒幕派はクーデターを断行。天皇を中心とする新政府の樹立を宣言するが、慶喜は巧みな工作でクーデターを骨抜きにしようとしていた。  鳥羽伏見の開戦後は自ら指揮を執り闘うことを宣言、戦力の面でも慶喜率いる旧幕府軍が新政府軍をはるかに上回っていた。ところが慶喜は不可解な行動に出る。戦力的に有利な状況にも関わらず、開戦の三日後、慶応4年1月6日の夜、慶喜は大坂城を脱出し、江戸に戻ってしまったのだ。これにより旧幕府軍の士気は低下し、戦局は一気に新政府軍に有利に傾く。  最後の将軍・徳川慶喜は、なぜ戦いの最も重要な局面で逃げ出してしまったのか。また、慶喜が抱いていた政権構想とはどんなものだったのか…。  
番組では、将軍の国から天皇の国へ―大きく舵を切った幕末のクライマックスにおいて重要な鍵を握った慶喜の謎の行動とその決断に迫る。
番組の内容について
  • 徳川慶喜肖像
    写真はすべて、茨城県立歴史館の所蔵
    〒310-0034 茨城県水戸市緑町2-1-15 
    Tel 029-225-4425
    ・羽織姿
    ・京都時代の肖像
    ・書物が脇にある
    ・衣冠束帯姿
    ・ナポレオン3世贈呈の軍服着用
    ・30歳代肖像
    ・狩猟の姿
  • 徳川慶喜の生地
    慶喜が生まれたのは、江戸の水戸藩邸。当時、江戸には、水戸藩邸の上屋敷、中屋敷、下屋敷などが数カ所にあった。撮影現場は、水戸藩藩主の屋敷があった上屋敷あと、現在の小石川後楽園。
  • 徳川斉昭肖像
    (財)水府明徳会彰考館徳川博物館蔵
    〒310-0912 茨城県水戸市見川1-1215-1 
    Tel 029-241-2721
  • 黒船映像
    ハウステンボス所有の観光丸の映像(再利用の際には許可・二次使用料が必要) ハウステンボス(株)
    電話 0956-58-0080 
    長崎県佐世保市ハウステンボス町
    http://www.huistenbosch.co.jp/
  • 英仏のアジア進出地図(1860年代)
    世界歴史地図(ムーア著)を参考に作成した。
  • レオン・ロッシュ肖像
    連絡先非公開
  • 幕府軍の教育施設のあった場所
    野毛山公園の南麓の京浜急行黄金町駅から日ノ出町駅に至る川沿いの部分にあったといわれている。 当時「太田陣屋」と呼ばれていた。
    リポート部分については、衣装を軍事服飾史研究家の柳生悦子先生にご提供いただいた資料を基に再現。 所作、教官の帽子については、軍事史研究家の淺川道夫先生にご協力頂いた。
    参考「歴史群像シリーズ53 徳川慶喜」の中の「大名連合軍による軍制の統一化を模索」(保谷徹著)
  • 大坂城での練兵風景
    松戸市戸定歴史館蔵
    〒271-0092 千葉県松戸市松戸714-1
    電話 047-362-2050
  • 外国公使との謁見の図、慶喜の肖像(石版画)
    イラストレイテッド・ロンドンニュース
    東京大学史料編纂所蔵
    〒113 東京都文京区本郷7-3-1 
    Tel 03-5841-5962
  • 岩倉具視の蟄居宅
    岩倉具視肖像 岩倉公旧蹟保存会 蔵
    〒606-0017 京都市左京区岩倉上蔵町100番地
    電話 075-781-7984
    ※ここには、肖像や旧宅以外にも岩倉具視に関する様々な資料を見られる展示室が併設されている。
  • アーネスト・サトウ
    アーネスト・サトウは、日本語に堪能なイギリスの外交官で、サトウの書いた「アーネスト・サトウ日記」 は、幕末維新史の重要な資料として有名。明治に入って、イギリス公使として日本に着任している。
  • 討幕の密勅
    個人蔵。(寄託先)鹿児島県歴史資料センター
  • 黎明館
    鹿児島県鹿児島市城山町5−1
    電話 099-222-5100 討幕の密勅が、実際に天皇の裁断を経たもの、いわゆる「真勅」かどうか、学会では、諸説ある。 たとえば、井上勲氏は、「王政復古」(中公新書)などで、偽勅の可能性が強 いと主張している。 一方、原口清氏は、真勅の可能性が強いと主張しており、学会での論争の決着はついていない。 いずれの場合でも、当時朝廷で詔勅を出すのに必要だった摂政・関白の承認を経ておらず、天皇の署名・御璽の押されていない正式な詔勅でない点は確実。
  • 二条城(元離宮二条城)
    京都市中京区二条通堀川西入二条城町
    電話 075-841-0096
  • 大政奉還の絵
    明治神宮聖徳記念絵画館蔵
    東京都新宿区霞ヶ丘9番地
  • 明治神宮外苑
    電話 03-3401-5179
  • 大政奉還の上表文
    東叡山現龍院蔵 (連絡先非公開)
  • ロッシュの手紙
    慶応3年11月2日(1867年11月28日)に本国政府宛てに出された手紙。 連絡先非公開
  • 議題草案 議題草案は、オランダ留学で西洋の法律・政治制度を研究した西周の書いたいわば、憲法草案である。 大政奉還後の11月に書かれた。そして慶喜の側近・平山敬忠の手元に保管されていたもので、幕府の側の政権構想を物語るものとして知られている。 今回の番組では、これを出演者・田中彰氏の説に従い、慶喜の政権構想案として紹介した。
    国立国会図書館・憲政資料室蔵
    〒100-8924 東京都千代田区永田町1−10−1
    電話 03-3581-2331
  • 大君制国家について
    「開国と倒幕」・田中彰著(集英社)に詳しい
  • 番組に写っている銃(スペンサー銃)
    兵庫開港金札
    霊山歴史館蔵(常設展示にはなく、いつも見られるわけではありません。)
    京都市東山区清閑寺霊山町1 電話 075-531-3773
  • 王政復古の詔 東京大学史料編纂所・蔵
    〒113 東京都文京区本郷7-3-1
    Tel 03-5841-5962
  • 小御所会議の絵
    明治神宮聖徳記念絵画館蔵
    東京都新宿区霞ヶ丘9番地・明治神宮外苑
    電話 03-3401-5179
  • 江戸・薩摩藩邸あと
    東京都港区芝三丁目。NECビルの北の通りには、薩摩藩邸の碑がある。
  • 薩摩藩邸焼き討ちの絵
    「近世史略薩州屋敷焼撃之図」 東京都立中央図書館・東京誌料文庫 蔵
    〒106-8575 東京都港区南麻布5−7−13 
    電話 03-3442-8451
  • 悩む慶喜のことば
    徳川慶喜公伝4巻(p.190)所収
    「朝廷に対して刃向かふべき意思は露ばかりも持たざりしに、誤りて賊名を負ふに至りしこそ悲しけれ」 (中略)と、悔恨の念に堪へず、いたく憂鬱し給ふ。
  • 蒸気船映像
    ハウステンボス所有の観光丸の映像
  • 大坂城脱出の錦絵
    霊山歴史館蔵(常設展示にはなく、いつも見られるわけではありません。)
    京都市東山区清閑寺霊山町1 
    電話 075-531-3773
  • 太政官札
    霊山歴史館蔵(常設展示にはなく、いつも見られるわけではありません。)  
  • 慶喜が過ごした家の庭
    現在料亭になっている。
  • 慶喜が過ごした家
    「西草深邸」の写真
    茨城県立歴史館・蔵
    〒310-0034 茨城県水戸市緑町2-1-15 
    Tel 029-225-4425
  • 慶喜所用のカメラ 久
    能山東照宮博物館・蔵
    電話 054-237-2437 
    静岡県静岡市根古屋390
  • 慶喜の写真
    「稲刈り」、「麦刈り」 徳川慶朝氏所蔵(連絡先非公開)
  • 「写真撮影中の徳川慶喜・徳川昭武撮影」 松戸市戸定歴史館の図録「最後の将軍・徳川慶喜」NO.180 個人蔵。 
番組内で使われた資料などの所蔵先一覧
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参考文献
  • 主な参考文献
    「開国と倒幕」・田中彰著(集英社)
    「明治維新」・田中彰著(岩波ジュニア新書)
    「徳川慶喜」・松浦玲著(中公文庫)
    「幕末日本とフランス外交」・鳴岩宗三(創元社)
    「徳川慶喜公伝」全4巻 渋沢栄一著(平凡社東洋文庫)
    「日本の歴史19 開国と攘夷」小西四郎著(中央公論社)
    「日本の歴史20 明治維新」 井上清著(中央公論社)
    「斬」綱淵謙錠著(中公文庫)
    「歴史群像シリーズ53 徳川慶喜」(学研)




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