忘れない

BOSAIを学ぶうえで、大切なこと。自然の恐ろしさを知る、災害で命が奪われてしまった人たちの声なき声に耳を傾ける、そして、かけがえのない大切な人を失う悲しみを共有することです。
シンサイミライ学校が生まれるきっかけとなった阪神・淡路大震災についてNHKの貴重なアーカイブス映像、遺族の手記などをご紹介します。

阪神淡路大震災 アーカイブス映像

  • 1月17日 地震発生

    午前5時46分

    NHK神戸局内(中央区)

    NHK神戸放送局の放送部内に設置されたカメラがとらえた地震発生時の様子。激しい揺れで棚は倒れ、あらゆる物品が散乱する。停電し、画面が暗くなる

  • 午前6時30分 第一報

    1995年1月17日午前6時30分

    神戸市中央区中山手

    NHK神戸放送局近くの大通り。
    暗闇にサイレンが鳴り、道路が渋滞している。
    電柱が倒れ、道路をふさいでいる。

    中華料理店が完全に崩壊している。

  • 午前7時 火災発生

    1995年1月17日 午前7時

    神戸市兵庫区

    地震直後から、各地で火災が起こった。
    しかし、消防車は足りず、道路は寸断。
    火を前に、なすすべは無かった。

  • 午前8時 難航する消火活動

    1995年1月17日 午前8時

    神戸市長田区

    火災現場に消防車が到着しても、
    水道管がいたるところで壊れていた。
    消火栓から、水は出なかった。

  • 午前8時14分 ヘリコプターからの第一報

    1995年1月17日 午前8時14分

    西宮市

    西宮上空。
    阪神高速から、煙が立ち上っている。
    高速道路は崩落し、バスが落ちそうになっている。

  • 午前8時24分 東灘区上空 阪神高速倒壊

    1995年1月17日 午前8時24分

    神戸市東灘区

    東灘区上空。
    阪神高速が、長さ500mほどにわたって、横倒しになっている。
    橋脚が根もとから折れている。

  • 午前10時45分 長田区上空 火災

    1995年1月17日 午前10時45分

    神戸市長田区

    長田区上空。
    立ち上がる火災の煙。
    大正筋商店街が燃えている。

  • 17日 三宮周辺ビルの倒壊

    1995年1月17日

    神戸市中央区三宮

    震災によって、大きなビルも次々と倒壊した。
    1981年(昭和56年)の建築基準法改正以前に建てられたビルでは、広範囲にわたって倒壊・全半壊が多くみられた。
    余震による二次災害の発生が危ぶまれた。
    しかし、超高層ビルでは、被害はほとんどなかった。

  • 17日 生田神社

    1995年1月17日

    神戸市中央区三宮

    地震発生直後(7時30分)の生田神社のようす。
    拝殿は壊滅的な被害を受け、境内の石鳥居なども壊れた。

    縁結びの神様として親しまれてきた生田神社。
    その変わり果てた姿は、震災で破壊された神戸の街を象徴していた。

  • 17日 ポートアイランド

    1995年1月17日

    神戸市中央区 ポートアイランド

    埋め立ての人工島、ポートアイランドは、大きな被害を受けた。
    砂の地盤から液体が吹き出し、地面が軟弱化する「液状化現象」が見られた。
    これによって、建造物が埋もれたり、倒れたりした。

  • 17日 新幹線 安全神話の崩壊

    1995年1月17日

    西宮市

    これまでの地震では、災害というものは局地的で、かつ分散的にして起きるのが常だった。しかし、今回の地震では、被災地はどこへ行っても壊滅的な被害を受け、まさに都市が絶滅という様相を呈していた。

  • 淡路島北淡町の被害と野島断層

    1995年1月17日

    淡路市

    地震後の淡路島を上空より撮影。
    震源は淡路島の北、明石海峡のごく浅い海底だった。
    淡路島の北淡町でも、震度7の激震を記録。多くの家屋が倒壊した。
    淡路島の北部の田んぼには、長い亀裂が発生した。浅い岩盤にある活断層、「野島断層」がずれ、その亀裂が地表に出てきたものだ。

  • 午後4時 自衛隊の救出活動

    1995年1月17日 午後4時

    神戸市東灘区

    マンションの1階部分が崩壊し、10人を超える人が閉じ込められている。

    自衛隊がかけつけ、手作業の救出を開始する。

  • 地震発生の夜 燃え広がる火災

    1995年1月17日

    神戸市長田区

    神戸市長田区では、震災で925人が死亡した。
    全半壊家屋は、神戸市内で最も多い2万3800棟だった。
    地震の発生直後から火の手が上がり、一帯は焼け野原になった。
    焼損延床面積52万3546平方メートル。
    なすすべはなかった。

  • 17日の夜 給水の様子

    1995年1月17日

    芦屋市

    あらゆるライフラインが破壊された阪神淡路大震災。
    なかでも命に欠かせない水は、大きな問題となった。人々は、身の回りのあらゆる容器を総動員して、毎日何度も水を運んだ。
    水道が全て復旧するには、3か月かかった。
    やがて、それぞれが、少しの水で生活する知恵を編み出していった。

  • 17日 営業を続けたコンビニやスーパー

    1995年1月17日

    神戸市中央区

    震災当日、 コンビニエンス・ストアが、被災者の暮らしを支えた。
    震災2日目のスーバー。被害を受けながらも、地域の人々のために、店をあけ続けた。

  • 18日午前6時 凍ったおにぎりを焼いて食べる

    1995年1月18日 午前6時45分

    神戸市灘区

    地震から一夜明けた公園の避難所。
    夜の冷え込みで、凍ってしまったおにぎりを焚き火で焼く。
    おにぎりは多くの人が食べられるよう、小さく握られた。
    焼けたおにぎりはお年寄りや子供、女性から配られた。

  • 18日午前11時 兵庫区火災バケツリレー

    1995年1月18日 午前11時

    神戸市兵庫区

    地震の翌日も火事は続いた。
    水道も止まり、消防車も来ないなか、住民自らが町内の消火器を
    かき集めて、火に立ち向かった。
    井戸水を住民が力を合わせてバケツリレー。
    頼りになってのは地域の力だった。

  • 18日トイレの問題

    1995年1月18日

    神戸市灘区、神戸市中央区

    神戸市中央区の避難所となった学校のトイレ。流す水が出ないため、すぐに詰まってしまった。マンホールのふたを開けて、その上に仮設のトイレを作る人もあらわれた。灘区、岩屋駅周辺の公園では、人々が地面に穴を掘り、公衆トイレを手作りした。充分な数のトイレが配備されるまでには、1ヶ月半かかった。

  • 18日午後8時 夜の避難所

    1995年1月18日 午後8時

    神戸市兵庫区

    湊川中学校避難所。
    地震でガスも電気も止まっている。
    暗く、寒い夜。
    被災者たちは、ローソクや懐中電灯で明かりを灯し、暖をとった。

  • 19日午前8時 西宮市仁川 地すべり

    1995年1月19日 午前8時

    西宮市

    阪神・淡路大震災で発生した土砂災害のうちで、最も大きな被害が出たのは、西宮市仁川百合野地区だった。
    幅100メートル、長さ100メートルにわたって、地すべりが発生した。
    12世帯34人が生き埋めとなった。

  • 19日 西宮〜神戸間を歩く人々

    1995年1月19日

    大阪市北区、西宮市、神戸市東灘区

    阪神淡路大震災では交通機関が寸断された。
    大阪から神戸に向かう阪急電車は2日目に、
    途中の西宮北口まで運転を再開。
    水や食料を運ぶ人であふれた。
    西宮から先は歩くしかなかった。
    神戸の三宮まで4時間の道のりだった。

  • 19日16時 都賀川で水をくむ人

    1995年1月19日16時

    神戸市東灘区

  • 震災5日目朝の野田北・鷹取の様子

    1995年1月21日 午前7時30分

    神戸市長田区

    投稿映像:野田北部まちづくり協議会
    同地区に住んでいた被災者の藤本富夫さんが撮影した貴重な映像。
    撮影しながら、自らの生活圏だった地域の変わりようを音声で克明に記録している。

  • 六甲町の火災

    1995年2月1日

    神戸市灘区

    神戸市灘区のほぼ中央にある六甲町です。この地域では建物の倒壊が激しかったことに加え、地震と火事が発生して50人以上の方が亡くなりました。六甲一丁目と二丁目では170件の住宅が全焼、死亡者の数も30人以上と、六甲町でも特に集中したところです。

  • 芦屋市津知町の被害

    1995年2月11日

    芦屋市

    国道2号線の南側に広がる芦屋市津知町は、阪神大震災で最も被害の大きかった地域のひとつ。
    震災当時、500世帯1200人が暮らしていた。家屋の倒壊が激しく、倒れてきた柱や梁に挟まれて、56人の命が奪われた。
    国道2号線を挟んで北側は、芦屋市清水町。古くからの木造家屋が建ち並んでおり、こちらでは90%近くの家屋が全壊した。

  • 震災6日目 西宮市夙川 室内の被害

    1995年1月23日

    西宮市

    被災した家のようす。
    2階は崩れ落ちている。
    家の中では、食器棚やタンスが倒れ、ものが散乱している。

  • 宝塚の被害 売布地区

    1995年1月17日

    宝塚市

    400戸あまりの家屋が被害を受けた売布地区は、高度経済成長期に人口が増加し、文化住宅が数多く建てられた地区。今回の地震では、建築後30年から40年の文化住宅が西の方向へ倒壊しています。南北二つの棟からなるちよの荘は入居者14人のうち3人の方が亡くなりました。

阪神淡路大震災ドキュメント 1.17

1995年1月17日午前5時46分、M7.3の巨大地震が兵庫県南部を襲いました。阪神・淡路大震災です。6434人の尊い命が奪われました。10数年の歳月を経ても、震災の記憶と教訓を未来に伝えていこうという取り組みが続けられています。

遺族の手記

  • 息子を無くした母の15年

    息子を無くした母の15年

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  • 支え合う震災遺族

    支え合う震災遺族

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