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水災害から身を守る

第3回  先人の知恵と情報を知って身を守る -水災害の知恵と対策-

執筆者

石垣 泰輔
関西大学環境都市工学部 教授
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水との闘い

「水との闘い」は、狩猟から稲作による生活に変わった時から始まっています。当初は、小川の流れを柵(しがらみ)でせき止め、溝を使って田んぼに水を引く利水を目的としており、洪水は天災として避けがたいものでした。その後、国家の統一が進み、難波京・平城京・平安京などの古都や、その周辺地域を流域とする淀川水系で、さまざまな水害対策が行われ始めました。

淀川水系で行われた主な河川工事を年代順に挙げると、5世紀の仁徳天皇による茨田堤の築造、秦氏による葛野大堰(かどのおおい)築造に始まり、近世では豊臣秀吉による宇治川と巨椋池(おぐらいけ)の分離および文禄堤築造、淀堤築造による桂川合流点の引下げ、角倉了以*1)による大堰川舟路開削および大和川付け替えなどがあります。明治以降では木津川付け替え、宇治川付け替え、新淀川開削、巨椋池干拓および三川合流点の導流堤・引堤などがあります。

近世以降の河川工事は、水害対策として、現在もその機能を果たしており、治水の根幹をなしています。一方、奈良盆地内の大和川水系では、条理制に伴った河道の付け替えが古くから行われ、水害対策として「霞堤(かすみてい)」「引堤」および「請堤(うけてい)」が築造されました。一部は現存しているものの、近年に河川改修が進んだことにより、水害対策としての機能を失っているのが現状です。

鎌倉時代以降、政治の中心が関東地方にも拡大し、「多摩川堰」「利根川築堤」などの治水事業が行われるようになりました。戦国時代には武田信玄の「信玄堤」、前述の秀吉による築堤などの大河川を対象として治水事業が行われ、その後の江戸時代まで続きました。江戸時代以前の伝統的な治水・利水法は(表1)のように地域ごとに異なっていて、河川の特徴に応じた方策が用いられていました。明治になり、欧米先進技術が導入されるとともに、近代技術を用いた治水事業が行われ、「水との闘い」は、住民の手から行政の手へと移っていきました。しかしその結果、水の危険性を知ることや被害を防止・軽減する知恵が失われ、防災意識の低下にもつながりました。

先人の知恵 -伝統的治水技術-

江戸時代以前の伝統的治水技術は、水の勢いを抑えて被害を軽減するという「減勢治水」の考え方に基づいた技術で、河川の氾濫や浸水をある程度許すことにより、結果的に生態系など、環境への影響を小さくするものでした。伝統的治水技術には、その技術を持っている「人」、水害防備林や水制工などの施設としての「物」、および言い伝えや祭りなどとして受け継がれている「知恵」が含まれます。地域で対応する広い視野から、複数の対策が組み合わされている場合もあり、地域特性を考慮した方策が用いられていました。このような伝統的な水害対策は全国各地に見られますが、その一つとして、淀川沿いに現存する「段蔵」を紹介します。

「段蔵」とは、複数の蔵が階段状に連なっているものです。床の高さが異なることから、浸水の深さに応じて濡れると困るものをより高い蔵に収納するようにして、被害を軽減する工夫がなされています(写真1)。また、周辺が長期間水没したときに使用する木舟が最も低い蔵に収納されています。このような蔵は、関東地方の「水屋」「水塚」、北上川の「水山」など、地域によって呼び方が異なります。いずれも土盛りした敷地の上に建てられた蔵で、目的は同じですが、形態は異なっています。床の高さは、周辺地盤の状況で異なり、水がたまるような地形では2~3mと高く、床下浸水程度の被害が多い地区では1~2m程度となっています。数は少ないのですが、現在でも旧家に残っており、過去の水害実績を知ることができます。

「水屋」「段蔵」による水害対策は有効であり、その盛り土高は、過去の浸水実績を示す証拠であるとともに、浸水区域の地形的な特性を示しています。したがって、過去の水害経験に基づく盛り土高は想定しうる浸水深なので、再び水害が起きる可能性は大きいと考えられます。むしろ、これを上回る可能性もありますので、盛り土高の意味が地域住民に十分認識されていない現状では、大きな被害が発生する可能性があります。

一般的にいえば、このような「水屋」は、川と共存して暮らしてきた住民が自衛手段として行ってきた水害対策であり、個人の資産を守るだけではなく、地域住民の避難場所でもありました。また、この対策は、河川の氾濫・浸水を想定したものであり、その被害を軽減することに重点が置かれ、「ある程度被害を防ぐ」「氾濫・浸水を遅らせる」「家屋に浸水する濁水を浄化する」という考えに基づいています。その例は、八条宮家の別荘として知られる「桂離宮」にも見られ、過去の浸水実績を考慮して盛り土された土塁(堤)、氾濫水の勢いを弱めるための水害防備林、浄化作用を兼ねた笹垣(写真2)、土盛りされた水屋形式の草庵、高床式の書院などが水害に対応した方策であり、現在も、その有効性が認められます。

近年、浸水想定区域の公表が行われ、よりリアルな情報が住民に提示されるようになってきましたが、ここで取り上げた「水屋」「段蔵」は、実績の浸水深を目で見ることができる身近な情報であり、川の個性と歴史から学んだ地域住民が残した貴重な経験情報として、水害対策に生かされるべきものです。すなわち、「水屋」「段蔵」が街角の「浸水深実績標識」として利用され、住民が地域の特性を知ることで水害への備えがなされることが望まれます。

伝統的な水害対策は、ここに挙げた「水屋」「段蔵」のほか、「輪中堤」「霞堤」「乗り越し堤」「控堤」「請堤」「水制・水刎(は)ね」などが知られています。しかし、「物」だけでなく、「人」や「知恵」などでも現在なお有効と考えられるものもあります。その多くは、河川対策と流域対策を組み合わせたものであり、まさしく、現代の総合治水対策と同様の考え方に基づいているといえます。ただ、その対象とした流域が狭く、局所的なものであったため、上下流地域との利害が対立し、争いが生じました。そして、幾多の「水争い」を経た長い時間の中で、施設の位置や規模が決定されてきました。

このようにして得られた結果は、川の個性と歴史を踏まえたものであり、工学的対応の限界から氾濫を許さざるを得なかったことが、結果として自然環境を守ることにもなりました。これは伝統的な水害対策が、現在の環境を考慮した水害対策に役立つことを意味していますので、今後、水理学的および河川工学的な検討を行った上で、その長所を生かしていくことが重要であると考えています。また、近年は地球規模の気候変動の影響により、地下空間への浸水や車の水没といった、これまでにない形態の水害被害が発生しており、新たな対策も必要です。

住民が行う自助・共助に必要な情報と対策

災害時に、住民が自ら身を守る自助、隣近所の住民が助け合う共助に必要な情報は、水災害時の危険性と避難時の危険性に関するものです。水災害時の危険性(第1回「何が起きるかを知って身を守る -水災害の危険性-」/石垣泰輔 *2)と水災害の避難時の危険性(第2回「出来ることを知って身を守る -水災害の避難時の危険性-」/石垣泰輔)*3)はすでに述べましたので、ここでは、少し違った観点から説明します。

水災害時の危険性を示すものとして、前述したように、「水屋」などに見られる先人の知恵として周辺に残っている場合があります。2011年3月の東日本大震災の後、歴史的津波の記録として堆積物が注目されましたが、津波到達地点を表す「津波碑」が先人からの警告として残されています。

例えば、和歌山県田辺市の東光禅寺にある「津波碑」(写真3)は、現在の海岸から500m程度内陸に入った標高12m以上もある場所に立っています。ここは南海トラフの巨大地震に伴う津波来襲が予想されているエリアです。その場に立つと、津波の到達を想像することが非常に難しい場所であることが分かります。巨大津波が来襲した際に、この碑の存在が住民の記憶の片隅に残っていれば、どこまで避難する必要があるのかの判断基準となります。先人の知恵に学ぶとともに、行政が公表しているハザードマップなどの情報を活用すれば、より安全な避難ができます。

このような先人の知恵や「言い伝え」は、災害対策が住民の手から行政の手に移るにつれて活用されなくなってきていますが、地域の住民の命を守るのは住民自身です。先人の知恵と先進技術が地域住民を守ったという例として、2010年10月に、ベトナム戦争の激戦地であった中部で発生した水害で、2階の天井まで達する6.4mに及ぶ浸水被害があったタンホア地区の例を紹介します。

この地区は、カルスト地形の盆地内にあり、湛水した氾濫水は地表面から浸透した後に地下の鍾乳洞を通じて排水されるため、長時間に及ぶ水没被害の常襲地です(写真4)。そのため、先人の知恵として高台に長期の生活が可能な避難所が設置してあり、避難用の舟が各戸に常備されています。ライフラインや道路の整備が遅れていたこの地区では、先人の知恵と経験で「水害と闘って」きましたが、今回は状況が少し変わりました。この水害で一人の犠牲者もなかった背景には、衛星放送と携帯電話という先進技術がありました。

住民は衛星放送テレビとアンテナを舟に乗せて避難するとともに、避難情報の伝達には携帯電話が使われました。これまでの水害では、固定電話が水没したために唯一の情報源が失われて気象情報が得られず、地区内の連絡もできなかったといいます。住民の命と財産を守った背景には、先人の知恵と先進技術で得た情報に基づいた地区長の的確な決断がありました。以上のように、自助・共助に必要なものは、地区の先人が残した知恵と公的機関からの情報です。それを生かした地区ごとの対策が身を守るのです。

公共機関が行う公助に必要な情報と対策

「河川には、個性があり歴史がある。人間がそれを扱うには、この2点が大切である」。これは、明治初期にオランダ人河川技術者として日本に滞在したヨハネス・デ・レーケによる言葉で、司馬遼太郎の「オランダ紀行」でも紹介されています。河川に限らず、自然災害に対応する人々への教訓ではないでしょうか。われわれが忘れがちな「自然の中で暮らしている」という立場から生まれた先人の知恵や「言い伝え」が重要であることを語っている言葉です。

公助に必要なものの一つは、平常時および災害時の情報提供です。平常時の情報提供は、ハザードマップなどによる防災・減災意識向上を目的とした啓蒙活動、防災や避難の訓練、防災教育などが挙げられます。水災害のハザードマップは、浸水区域と浸水深が明示されていますが、避難時の危険性を判断するには、浸水深と流速が必要です。流速を地図上に示すのは難しいので、第2回コラム(第2回「出来ることを知って身を守る -水災害の避難時の危険性-」/石垣泰輔)*3)で示した浸水深と流速から得られる「避難困難度指標」を用い、そのような状態になるまでの時間を示すマップが有効ではないかと考えています(例えば図1)。

防災や避難訓練では、防災教育を取り入れ、水の力を体験できる装置(第2回「出来ることを知って身を守る -水災害の避難時の危険性-」写真3、4/石垣泰輔)*3)が有効です。なお、防災教育は、学生や一般の人を対象として行われていますが、市町村の職員全員が行政区域で発生した既往災害に関する知識を活用できれば、より効果的な災害対応が可能ではないでしょうか? 具体的には、既往災害の外力規模を知ることで、マンホールがあふれる内水災害では1時間降雨強度、川があふれる外水氾濫や土砂災害では総降雨量、高潮災害では台風の最低気圧や最大風速、津波氾濫では地震の規模や震度などがそれに該当します。災害発生が予測される際に、このような既往災害の記録が個々人の対応行動の判断基準となりますし、防災教育の担い手にもなれます。

もう一つ公助に必要なものは災害対策です。災害対策は、築堤やダムなどによる構造物対応と情報伝達、避難等の危機管理、土地利用規制等の非構造物対応です。公共機関が提供する情報は、広域情報ですから事前情報としては有効ですが、被災が予想される地区で身を守るには周辺状況の把握、避難訓練などの体験、地域に残る先人の知恵や「言い伝え」などに基づく地区リーダーや個人の判断などが重要です。

これまで3回のコラムで、私自身が得た水災害に関する検討データや知識を紹介してきました。この内容が、水災害の防災・軽減に少しでも役立つことを心から願ってやみません。


*1)角倉了以(すみのくらりょうい):戦国時代の京都の豪商。大堰川(おおいがわ)の開疏を行い、高瀬船による河川交通で物資の流通を可能にした。
*2)第1回「何が起きるかを知って身を守る -水災害の危険性-」/石垣泰輔
*3)第2回「出来ることを知って身を守る -水災害の避難時の危険性-」/石垣泰輔

(2014年4月25日 更新)