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火山噴火

第1回  20世紀最大の桜島大正噴火とその教訓 ~桜島の噴火の歴史 ‐1~

執筆者

石原 和弘
京都大学名誉教授 火山噴火予知連絡会副会長
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110年余の眠りから覚める

1914年(大正3年)1月12日に始まった桜島噴火は、わが国が20世紀に経験した最大の噴火です。当時、直径約10kmの火山島では、東桜島村と西桜島村合わせて約2万1,000人が約20の集落で農業、漁業で生計を立てていました。逃げ遅れた人々から25名の犠牲者が出ました。噴火の規模に比べ犠牲者が少ないのは、住民の自主避難、近隣の住民と行政などによる迅速な救助活動によると考えられます。

1779年(安永8年)年11月8日に発生した安永噴火は、桜島の歴史上、最大の噴火です。桜島の南岳の南北の両山腹に出来た多数の火口から、大量の軽石の噴出を伴った噴火(プリニー式噴火)で始まり、溶岩の流出も伴いました。さらに、北東沖で海底噴火が発生し、いくつかの新島の出現と津波を伴いながら、1年以上活発な噴火が継続しました。その後約20年間、噴火が断続的に続き、降灰により島民を苦しめました。安永噴火が収まった後の100年余り、桜島は静穏な状態を保ちます。

1913年(大正2年)に入ると、周辺で地変(火山の噴火または地震などの地殻変動)が続発します。4月に霧島山御鉢(おはち)が2回噴火、5月中旬から11月にかけて霧島北麓のえびの市の真幸(まさき)付近では、断続的に有感地震が頻発しました。6月29、30日には鹿児島市を含む薩摩半島全域で、強震となるM5.7とM5.9の地震が西方海域で発生しました。御鉢は11月8日、12月9日、翌1914年1月8日と、ほぼ1か月間隔で噴火を繰り返しました。

御鉢が噴火した翌日1914年1月9日(金)の夜から、桜島では弱い地震が時々起きました。桜島の住民が強い揺れに不安を感じ、鹿児島市民も気付いた最初の地震は、1月11日(日)の午前4時前に発生しました。この地震をきっかけに、地震の回数は次第に増えました。桜島では午後に入ると1時間に50~60回の地震を数え、安永噴火の再来を恐れ、一部の集落は避難を開始しました。

東・西桜島村の役場はそれぞれ朝から、郵便局の電話で鹿児島測候所に繰り返し問い合わせをします。「震源地は桜島ではない、桜島に危険はない」という回答を受けて、村長らは住民に避難の必要はないと伝え、避難を制止します。しかし、半数以上の集落は、11日夕方からそれぞれの集落の船で対岸の町村を目指して避難を始めました。135年前の安永噴火の教訓が伝承されていたのでしょう。噴火開始直前には、島民の半数以上の1万数千人がすでに桜島を離れていました。

噴火は東西の両山腹から始まり、大地震が起きた

翌1月12日(月)午前8時頃には中腹に薄い白煙が、9時頃には山頂から白煙が上がり、一部集落では井戸の水位の異常な上昇、南部の有村海岸では熱湯や水の湧出が観察されました。午前10時5分頃に西山腹の、引ノ平(ひきのひら)付近から噴煙が立ち昇り、10分後には東山腹の鍋山付近からも噴煙が上がります。南岳の東西両方の山腹の標高約500m付近から標高100m付近まで、それぞれ長さ約2.5kmにわたり直線状に並んだ併せて10数個の火口から噴火が始まったわけです。このような状況の中で、周辺の村の和船や鹿児島港に停泊していた汽船は警察の要請を受け救援に向かい、12日中に島民3,000人余りを救助しました。泳いで逃げようとした人々などから死者2名、行方不明者23名が出ています。

当時人口7万人の鹿児島市内では、当初は市民が物珍しく噴煙を見物していたものの、午後になると爆発音が激しくなり、津波や有毒ガスが襲来するといううわさが流れ、多くの市民が郊外へ避難し始めました。そのような状況の下で、午後6時29分に桜島の南西沖を震源とするM7.1の大地震が発生しました。この地震によって、鹿児島市を中心として家屋や石塀・煙突などの倒壊、斜面の崩落が発生し、道路等にも亀裂が生じ、鹿児島市周辺の鉄道など交通機関、電信電話などが不通になりました。この地震により一般市民は深刻なパニックに陥って郊外へ避難し、市内は巡回する陸軍の歩哨と警察官の姿のみが見られる状態になりました。地震による死者は29名、負傷者108名で、桜島での犠牲者の数を上回っています。

1月13日午後8時14分に、西山腹で火柱が高く上がる大爆発が発生し、落下する無数の赤熱した噴石により、西桜島村の小池、赤生原、武、藤野と西道の5集落の約700戸が焼失しました。この噴火後は爆発音が次第に収まり、間欠的な爆発と溶岩流出活動へ移行しました。14日には郊外に避難していた鹿児島市民も市内に徐々に戻り始めます。大正噴火のクライマックスは、噴火開始から約2日であったわけです。

溶岩流は、西側では西桜島村役場にあった横山と赤水の2集落を、東側では東桜島村役場のあった有村と脇、瀬戸の3集落を埋め尽くしました。1月末には東側溶岩流の先端が幅約400mの瀬戸海峡を埋めて、大隅半島に接岸しました。南東部の海底に延びた溶岩流の厚さは、最大120~130mあります。溶岩流の総量は13億4,000立方メートルと推定され、864年に起きた富士山の貞観(じょうがん)噴火による青木ヶ原溶岩流を上回ります。

大正噴火で噴出した軽石と火山灰の総量は、約6億立方メートルと推定されています。大部分は1月12日の噴火開始から1日半の間に噴出したと考えられます。大隅半島に避難したものの、降り注ぐ軽石と火山灰により行き倒れになった人もいます。噴煙は九州全域を覆い、南は小笠原諸島から北は東北地方南部までほぼ全国で降灰が確認されました。火山灰・軽石が厚く堆積した大隅半島では、2月と3月の大雨により土石流・洪水が発生し、死者6名、行方不明者2名が出ました。

噴火直後の行政の迅速な対応

1月12日朝の噴火開始直後から、谷口知事の指示で、鹿児島県は警察、陸軍などの協力のもと、17隻の民間の汽船も動員して島民の救助活動を開始しました。鹿児島湾沿岸の和船74隻も救助にあたり、12日中に3,000人余りが救助されました。また、避難民を収容する救護所を、医師会や赤十字社の協力を得て鹿児島市内の学校、寺院などに開設しました。鹿児島市以外の村でも、役場と住民が避難民の救護にあたりました。

知事は政府に対して震災予防調査会委員の東京帝国大学教授・大森房吉博士の派遣を要請。大森博士が1月16日鹿児島到着後に県庁で示した、鹿児島市に噴石や火山ガスなどの危険は及ばないという趣旨の見解を公表し、市民の不安解消に努めました。大森博士は桜島と市内の現地調査を繰り返し、20日には市内で講演を行い、活動の見通しと避難民が帰還可能な桜島の集落名を具体的に示しました。これを受け、県庁は住民の帰島と移住の検討を始めました。鹿児島商業会議所は、復興策の一つとして観光慰問団の招致を図り、3月24日までに全国から7,431名が来訪したと記録されています。

2月9日に鹿児島に入り、約2週間にわたり噴火活動の調査を行った米国ハワイ観測所長トーマス・ジャガー博士は、数万人の死者が出た1902年の西インド諸島マルティニク島モンプレ山噴火などと比較し、桜島・鹿児島市の約9万人の自主避難、周辺の住民の避難者に対する救援活動、行政の迅速な危機対応や移住計画の立案、大森博士の適切な見解公表、測候所による火山活動記録を高く評価しています。

大正噴火の教訓「住民ハ理論ニ信頼セズ」の真意

測候所の見解を信用して住民の避難を制止し、自らは噴火が始まるまで島に留まった東桜島村役場の村長らは、避難する船もなく、冬の海を帆柱につかまって泳いで避難しようとしました。途中、村役場の収入役は行方不明となりました。

東桜島村は、村長の無念の思いを後世に伝える桜島爆発記念碑を10年後に建立しました。「大正三年一月十二日桜島の爆発は安永八年以来の大惨禍にして」で始まる碑文の最後には、住民への教訓が記されています。現代風に訳すと次のようになります。

「桜島の爆発は、歴史に照らして明らかなように将来も免れることはできない。住民は理論を信頼せず(理論だけに頼らず)、異変に気づいたら噴火が起きる前に避難の用意をすることが肝要である。日頃から倹約に勤めて資産を蓄え、いつ災害に巻き込まれても路頭に迷うことがないよう覚悟すべきである」

この碑を「科学不信の碑」と解説する人もいますが、あまりにも一面的です。大噴火は将来も必ず起きるという認識のもとで、理論や情報への盲信を戒め、住民自らの災害に対する備えを説いた、災害全般に通用する道理にかなった教訓というべきでしょう。

当時鹿児島測候所に設置されていた旧式の地震計1台では、現在の知識をもってしても、震源位置を特定するのは困難です。また、有感地震の頻発だけで噴火の有無を適切に判断することはできません。測候所長が前年12月に町村役場あてに出した天変地異報告の訓令に従って、約1か月前から起きていた桜島の井戸の水位低下や、3日前からの地震の報告が村役場から測候所に届いていれば、避難の状況は大きく変わっていたと推察されます。測候所長は、地震の頻発に気づいた時に現地調査をすべきところを「観測を優先し調査を後にする」という従来の習慣にこだわったことは職務上の誤りであったと述べています。現在でも、噴気や温泉・地下水などの異変についての住民からの報告と確認調査が、的確で迅速な火山活動の評価と噴火予知にとって重要であることに変わりありません。

(2013年8月9日 更新)