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震災・災害の減災知識

第5回  イツモ防災とは?

執筆者

渥美 公秀
大阪大学大学院人間科学研究科 教授
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イツモ防災とは?

さまざまな防災活動を紹介してきたこのシリーズも最終回を迎えました。そこで、これまで紹介してきたすべての活動に共通している“精神”を「イツモ防災」という言葉で整理しておきましょう。突然ですが、「今やるべきことを10項目挙げてください」と言われれば、多く人のリストの中には、「防災」が含まれてくるのではないでしょうか? しかし、「では、その中で最もすぐにやるべきことを1項目だけ挙げてください」と言われると、「親の介護」「店の支払い」「受験勉強」…という具合に実に多様な答えが返ってくると思います。「防災」と答える人は果たしてどれだけいるでしょうか? 災害は、今すぐ発生するわけではないと考える人も多いでしょう。また、目の前で介護を求めている人がいれば、防災よりそちらに力を注ぐことは自然です。

防災は「やるべきことベスト10」には入るけれども、「トップ」になるとは限らない項目です。その結果、日々の重要な事柄に紛れてしまい、言い古されていますが『災害は忘れた頃にやってくる』ことになってしまいます。では、どうすればよいでしょうか? 手前みそになりますが、私が監修した『地震イツモノート』という本があります。阪神・淡路大震災を経験した167人にインタビューし、その結果を見やすいイラストで整理し、私自身の被災体験も交えて紹介した本です。タイトルになっている「イツモ」は、皆さんが、いつも行っていることが、実は防災につながるのだという意味で使いました。

「トップ」ではなくても、また「ベスト10」にさえ入らなくても、いつも行っていることが防災につながることを示しています。「モシモ」のときのために、何か特別なことをしようと呼びかけているのではありません。また、いつもどんなときでも、防災活動に励みましょうということでもないのです。例えば、この本の中に「隣の人とあいさつしている。それが大きな防災でした」というエピソードが記されています。この人は、日頃から、ご近所同士と「イツモ」あいさつを交わしており、阪神・淡路大震災が発生したときに、「イツモ」あいさつを交わす人が、自分が見当たらないことに気付いてくれ、倒壊した建物の下敷きになっていたところを助けてもらえた、という実体験です。防災活動として、何か特別なことをしていたわけではありません。あいさつは「トップ」ではなかったでしょうし、「ベスト10」にも入ってこないような日常の小さな事柄だったはずです。しかし、「イツモ」あいさつをしていることが、結果的に命を救うことになったのです。「イツモ防災」の精神はここにあります。

普通に行われている防災活動の問題点

ところが、通常行われている防災活動を見ると、「イツモ」との関係が希薄です。むしろ、「イツモ」と関係のないところで防災活動が行われています。例えば、地区の防災訓練を考えてみましょう。防災訓練について書かれた回覧版が回ってきます。そこには、日曜日の朝、地区の広場で行われると書かれていて、各家庭から1人は出席してほしいと記されていたりします。休日の朝ぐらいゆっくりしていたいという人、また久しぶりの休日だから家族そろって出かけようと計画している人もいるでしょう。それでも無理をして日程を空けて、参加してみると、地区の自主防災会から、備蓄倉庫の説明があり、新しく購入した非常食の紹介が長々と続いた後、今度は、バケツリレーの訓練が始まったりします。「1列に並んで、大きな声で掛け声をかけて…」

終わってみると、確かに参加して義務を果たしたように思えてホッとする反面、果たして、これでいざというときに対応できるのかと不安にもなります。別に、ほかの参加者と話をしたわけでもないし、そもそも楽しくなかったからです。そんなとき、防災訓練のリーダーたちが集まって話している姿が見えたりします。眉間にしわを寄せて、「今時の若い人は訓練に気合いが入っていない! 自分の身は自分で守るというのが分からないのか!」「家族から1人は参加するようにと書いたら、本当に1人ずつしか来てないではないか!」「防災は地域全体のことなのに、自分の都合ばっかり言って、欠席する家もある!」といった声が聞こえてきます。

防災訓練が「出来た!」という実感の持てる内容ではなく、無理して都合をつけて出席しても、こんなふうに言われるなら行かないほうがよかったと考える人が出てくるのは当然でしょう。その結果、次回の訓練の出席率はもっと下がります。そして、自主防災会の人たちからは、「今時の…」という声が、再び聞こえてくることになります。結局、地域の防災力は少しも向上しないままです。

何が問題なのでしょうか? まず、防災訓練を進めている側が、住民なら防災に関心があるのは当たり前と考えていることなのです。冒頭に書いたように、防災は重要だが、必ずしもすべての人が、最も重要ですぐに取り組まなければならない課題と考えていないのが現実です。次に、防災訓練が日常生活からかい離した特別な行事になっていることも問題です。「イツモ」のことではないから、住民は参加するために日程を調整しなければならず無理を強いられます。

イツモ防災を進めるために

では、どうすればよいのか? まず「防災」といえば誰もが振り向いてくれるなどと考えないことです。多くの人はほかにもたくさんの関心や用事をもっているので、振り向いてもらうには、防災を魅力的にする努力が必要なのです。イベントを企画して参加者が少ない場合、その魅力を高める努力を怠った側こそ責められるべきであって、参加しない人を責めるのは本末転倒も甚だしいと思います。もちろん「防災は命に関わること、何よりも優先されるべきだ」という意見にも一理あります。また「防災は地域全体のことでもあるので、訓練に参加するのは当然。自分の都合など後回しにしてはどうか」という意見に賛同する人もいるでしょう。しかし、その結果、いつも同じ顔ぶれでマンネリ化した訓練を行っているのであれば、参加しない人々を責める前に発想を転換すべきではないでしょうか? 結果的に、1人でも多くの命を救うことが出来なければ何の意味もないからです。

そこで、「イツモ」の活動とかい離していた訓練を、「イツモ」の活動につながるように工夫を凝らすことを考えてみます。実は、このシリーズで紹介してきたさまざまな活動は、その実例でした。第1回では、非常時に役立つ物の準備の話から始めましたが、それでも物があれば十分なのではなく、「防災と言わない防災」というフレーズを紹介しておきました。

第2回では、子どもたちと一緒に地域を歩きながら防災マップを作る活動を紹介しました。マップを作るにあたり、大人たちが準備を重ねていく過程に真の目的があると指摘し、「防災と言わない防災」の典型例となっていることを示しました。第3回では、学校を地域の資源として考えてみると、すでに学校と地域が一緒になって取り組んでいる活動が防災の場になりうることを紹介し、前回は、これらによく登場するマップ作りのコツを紹介しておきました。そこに、「イツモ」防災の精神が隠されていることに気付いてもらえたでしょうか?

終わりに

このシリーズで紹介した活動に共通することは、防災、防災と声高に言うのではなく、「イツモ」の生活の中に、防災につながるような仕掛けをそっと準備しておき、楽しく活動することでした。もちろん、地域の防災訓練が不要というわけではありません。防災は命に関わるものですから、何でもやれることはやっておくべきです。しかし、防災訓練がマンネリ化した、行き詰まったと感じたとき、ぜひこのシリーズを思い出してください。

(2013年5月8日 更新)