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津波

第3回  大阪を襲った歴史津波

執筆者

都司 嘉宣
理学博士 建築研究所 特別客員研究員
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安政南海地震と宝永南海地震

紀伊半島から四国にかけての南方海域では、「南海地震」と呼ばれるプレート境界型の巨大地震がおおざっぱに100年に一度の間隔で起きています。この海域で「南海地震」が起きるたびに、和歌山県、徳島県、高知県などの海岸には大きな津波が襲ってきました。津波は紀伊水道から紀淡海峡を北上して、大阪湾にも達します。

大阪では地震発生の約2時間後に津波が襲います。幕末の安政元年(1854)に起きた「安政南海地震」のときには、安治川、木津川の河口から侵入した津波は道頓堀や長堀、土佐堀などに入り込みました。それらの堀には地震の揺れから避難する多数の人を乗せた船が浮かんでいましたが、津波は船を逆流させて橋に衝突、船は転覆し、橋は破壊されるという惨状になりました。羽鳥徳太郎の研究によると、長堀川亀井橋で津波による逆流の水位上昇量は7尺(2.1m)と記録され、堀の両岸の市街地にも浸水して、標高2.5m~3mのあたりまで達したとされています。道頓堀川を遡った津波によって、西横堀との交点の大黒橋まで落橋しました。

『竹内伝七覚書』によると、大阪での死者数は341人でした。「安政南海地震」の147年前、宝永7年(1707)に起きた「宝永地震」の津波は、道頓堀川をさらに遡り、日本橋(にっぽんばし)までが落橋しました(『西区史』)。宝永津波の方が約1キロ上流の橋まで落ちたことになります。

『地震海溢考』によると、「死人(地震圧死)128人、水死人414人」と記録されていますが、これは大阪の住民の死者であるらしく、商用など一時的滞在者などを含めて「外に高潮節死人一万弐千余人」とも書かれています。落橋、死者の数などから見て、「安政南海地震」の津波より「宝永地震」の津波の方がより浸水高が大きかったことは明白です。

漁師が全滅した南北朝時代の津波

次に中世、古代の「南海地震」による大阪の津波についても見ておきましょう。南北朝時代の正平16年(1361)に起きた「正平南海地震」については、軍記物の史料ですが『参考太平記』に次の文があります。

『七月二四日には、摂津国難波浦の澳(みなと)、数百町、半時ばかり乾あがり、網を巻釣を捨て、我おとらじと拾ける処に、又俄に大山の如くなる潮満ち来て、漫々たる海に成りければ、数百の海人共一人も生きて帰るは無(なか)りけり』

すなわち、「浪速(なにわ、大坂)の港では、津波の最初の引き潮が起き、(港の海底が露出し、魚が飛び跳ねている。その魚を手づかみで捕ろうとして漁師たちは)、漁網を捨て、釣りざおを捨て、我先に魚を拾っているうちに、今度は急に大山のような波がやってきて、たちまち満々と水をたたえた海となってしまった。このため数百人の漁師たちは皆溺れ死んで、一人も生き残ることはできなかった」というのです。

南海地震の津波の到達点比較

奈良の法隆寺の僧の記した『斑鳩(いかるが)嘉元記』には、「天王寺金堂破れ倒れ、又安居殿御所西浦までしほみちて其間の在家人民多以損失云々」とあって、海水は「安居殿御所西浦」に達したといいます。「安居(あんきょ)殿御所」とは、四天王寺の西に隣り合う「安居神社」です。この文の「其間(そのあいだ)」とは、「海岸線から安居殿までの間」のことでしょう。すなわち正平津波によって海水は安居殿の西にまで迫ってきたのです。

安政、宝永地震の両津波による落橋の位置と、安居神社を近世期の大阪の市街図に示せば(図2)のようになります。「正平地震」の津波は、「宝永地震」のそれより、なお一層内陸にまで及んでいたことが分かります。

大阪に最大の津波被害をもたらした平安時代の地震

平安時代の初め、仁和3年(887)「五畿七道(日本全国の意味)地震」による津波もまた大阪を襲っています。朝廷の正史である『三代実録』に「諸子舎屋、東西廬舎往々転覆。海潮漲陸、溺死者不可勝計、其中摂津国尤甚とあって、「京都では諸官庁の建物や、庶民の家屋の中に数多く倒壊するものがあった。海の潮が陸にみなぎり、溺死者が数限りなく出た。津波の被害が特に大きかったのは、摂津の国である」とあります。大阪は摂津の国の一部です。

以上、江戸時代の「安政南海地震」、「宝永地震」、そして中世の「正平地震」、古代の「五幾七道地震」の4度の歴史地震によって、大阪は大きな津波被害を受けてきました。「大阪は南海地震の津波で危ない場所である」としっかりと心得たいものです。

ところが昭和21年(1946)の「南海地震」の津波は、大したことがなかったのです。大阪港近くの天保山で約70cm水位が上昇しただけ、と記録されています。平成24年現在、大阪に住む70歳以上の人の中には、「昭和南海地震」の津波を実体験したという人も多いでしょう。そのときの経験から『南海地震?ありゃ大したことないで。天保山で漁船のプロペラに被害が出ただけや』などと話していたりします。でも、あれを標準サイズの南海地震と思っておったらあかんのです。「昭和南海地震」は「小粒」であったため、この程度の被害でとどまったのです。大阪での津波対策は当然、以上に述べた四つの津波を参考とすべきなのです。

(2012年10月23日 更新)