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小田原駅前に21年ぶりの映画館が誕生

  • 2024年3月28日

駅前に8つの映画館が並び、かつて「映画のまち」といわれた小田原市。
シネマコンプレックスなどの影響で、21年前に駅前の映画館が消えました。
今月、久しぶりにミニシアターがオープン。
悲しい出来事を乗り越えて、復活に奔走した地元の人たちを取材しました。

21年ぶりに映画館が復活

小田原シネマ館

3月20日、小田原駅前に「小田原シネマ館」がオープンしました。
「機動戦士ガンダム」などで知られる小田原市出身の富野由悠季監督もお祝いに訪れました。

富野由悠季監督
小田原のシネマ館がことし、こういう形で発足したということは、ひょっとしたらとんでもなくすごいことになるかもしれないと、期待しています。

小田原シネマ館は駅から徒歩5分。
座席数40、スクリーン1つのミニシアターで、国内外の幅広い作品を上映します。
小田原の駅前に映画館ができるのは21年ぶりで市民から期待の声が寄せられました。

駅前の映画館は20年ぶりじゃないですか。海の方にあった映画館が最後だったと思います。ワクワクしています。

近くで歩いて来られるというのは楽しいなと思います。
見に来たいと思っています。

「映画のまち」だった小田原

小田原市郷土文化館 所蔵
岡部忠夫 撮影

かつて、小田原駅前には8つの映画館が建ち並び、県外からも客が集まる「映画のまち」でした。
しかし、郊外にシネマコンプレックスができた影響などで駅前の映画館は次々に閉館し、21年前、最後の1つがなくなりました。

映画館復活を 友人の思い

古川達高さん

市内で物流会社を経営する古川達高さんは、6年前から映画館の復活を目指して活動してきました。
きっかけは地元の友人、蓑宮武夫さんの思いでした。

蓑宮武夫さん

蓑宮さんは1944年、小田原市生まれ。
子ども時代から駅前の映画館に通い、日常を忘れてのめり込む体験に夢中になってきました。
小田原を再び「映画のまち」にしたいと、古川さんに呼びかけたのです。

古川さん

『映画は映画館で見て初めて完成する芸術だ』と蓑宮さんは書いているんです。自分もそう思うし、小学校のときに見た映画から学んだことは、70歳になった今まで残っています。
できれば、ここに見に来た人たちが映画を語れる、見た映画で自分たちの人生を語れる場所にしていきたいんです。

開館の直前に・・・

資金集めから始め、物件探しや運営方法の勉強まで二人三脚で進めてきました。

使われなくなった倉庫を買い取り、去年の夏、ようやく改装工事に着手。
ところが、ほどなくして蓑宮さんが脳梗塞で倒れ、急逝します。

こまかな設備や運営方法もほとんどが白紙の状態の中、蓑宮さんの夢を引き継いだ古川さん。
地元の人たちと協力してなんとか完成にこぎ着けました。

古川さん
蓑宮さん1人でもこれはできなかったと思います。ただ、彼の思いがいろんなものをつなげてきたので。『みのさんほらっ、あんたが思っているものよりもいいものできたよ』って伝えたい。

ともに迎えた初上映

迎えたオープンの日には、心待ちにしていた多くの映画ファンが訪れました。
待ちに待った初上映を、古川さんは蓑宮さんの遺影をかたわらに置き、一緒に楽しみました。

館内の一角には蓑宮さんの写真とともに、映画館に込められた思いを記したプレートが飾られています。
「スクリーンを通じて得られる感動体験を、再び街中に」。
蓑宮さんの願いです。

古川さん

僕の隣で遺影が一所懸命に見ていたから、よかったと思います。たぶん、彼がオープンを1番喜んでいるんじゃないかな。
蓑宮さんが最初にまいた種がどんどん花開いて、どんどん花咲いて、小田原の文化に最終的に繋がって、みんなが幸せなまちになればいいなと思います。

取材後記

2022年、初めて蓑宮さんから映画館開館に向けた取り組みを聞いたとき、「何が何でも自分たちで映画文化を地域に根ざしていくのだ」という強い意気込みを感じました。
ところが、取材中の2023年秋、蓑宮さんが急逝したという知らせが届きます。
訃報を聞いたときはあまりに急なことでことばが出ませんでした。
しかし、完成した映画館を見て、蓑宮さんの映画を愛する思いは地域に受け継がれたと感じました。
小さな映画館が末永く愛され、まちの文化の1つとなりますように。

  • 北村基

    横浜放送局 小田原支局記者

    北村基

    2017年入局。宇都宮局を経て、2022年8月から横浜局小田原支局。南関東の空気に馴染むべく、目下、歴史を勉強中です。

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