人口およそ154万人が暮らす川崎市。その住宅地の一角に、市内で唯一、酪農をしている牧場があるのをご存じでしょうか。「都会の牧場」としてのユニークな取り組みや牧場主の思いをNHK横浜放送局の佐々木美佳キャスターが取材しました。
都内の住宅地を歩いてゆくヒツジたち。
向かったのは、子どもたちが待つ幼稚園です。
開催されたのは、動物たちが出張してくる、その名も「移動動物園」という取り組みです。
ヒツジやポニーなどの動物たちと向かい合い、はじめは少し怖がっていた子どもたち。
でも、ふれ合っていくうちに、どんどん笑顔になっていきました。
動物はかわいいし、楽しいです♪
ふだん、動物とふれ合う機会は少ないので、連れて来ていただいて、直にふれ合えることはすごく魅力的です。
この取り組みを行っているのは、川崎市で牧場を経営する福田努さんです。
子どもたちが喜んでくれるのはうれしい。移動動物園を開催することは楽しいです。
福田さんの牧場があるのは、川崎市高津区の住宅地の一角です。
すぐ近くまで行って看板を発見するまで、牧場があるような気配はまったく感じられませんでした!
福田さんは、妻の弥生さんと一緒に、この牧場を切り盛りしています。
10数頭の乳牛のほかに、ポニー、ヒツジ、ヤギ、ウサギなど、8種類の動物を飼育しています。
福田牧場は、およそ70年前、福田さんの父親が1頭の牛を飼育して開業しました。
川崎市によりますと、昭和30年代には市内だけで400以上の酪農家がいましたが、急速な都市化の影響で数が減っていき、現在残っているのは福田さんだけだということです。
住宅地という立地場所の特性上、乳牛の数を増やすなど経営規模の拡大はできません。
その代わり、牧場の収入の柱として経営を支えてきたのが「移動動物園」です。
本格的に始めたのは30年余り前。
地元の保育園から「牛を見せてほしい」という要望が寄せられたことがきっかけでした。
都会で動物とふれあえるとして人気を集め、年間200件以上の依頼が来るまでになりました。
しかし、順調だった牧場経営も、コロナ禍では危機に陥ります。
頼みの「移動動物園」の依頼が数か月間ゼロという状況になり、一時は、廃業まで考えたといいます。
全部キャンセルになって、このままもう「移動動物園」はできないのかな、だめになってしまうのかなという不安がありました。
この厳しい状況を支えてくれたのは、スタッフや家族でした。
スタッフの高橋つくしさんは、学生時代に、実習生として福田さんの牧場で過ごし、動物とのふれあいに魅力を感じて、社員になりました。
「移動動物園」の休業中も、動物たちの念入りなケアを欠かさず続けてきました。
子どもたちの動物とのふれあいを手伝うのは、とても楽しいし、やりがいを感じます。いろんな人たちに動物にふれ合ってもらって、動物のよさを伝えていけたらいいなと思っています。
さらに2年前には、北海道で、獣医師として働いていた娘の梓さんが夫と一緒に戻ってきました。
この住宅地の中で、両親が酪農を守っている姿を見ていたので、規模は小さいが、消費者のすぐそばで、酪農を残していけたらいいなと思って帰ってきました。
梓さんはいま、牧場で生産した牛乳を使ったソフトクリームの販売を計画するなど、新たな視点で経営を支えようとしています。
そして現在、「移動動物園」の依頼は徐々に戻り、経営も一時の危機を脱しつつあるといいます。
福田さんは、コロナ禍を経て人とのつながりが希薄になっていると指摘される今だからこそ、多くの人に、「移動動物園」の魅力を伝えたいと考えています。
動物に触れることで、温かさを感じて、やさしさを育んでもらえたらいいなと思います。川崎市で酪農ができること自体、私は幸せだと思っていますし、みんなに喜ばれるような牧場にしたいです。
新型コロナによる影響の長期化やエサ代の高騰など大変な状況が重なる中でも、「移動動物園を待っていてくれる子どもたちがいる」ということが励みになったと、福田さんはおっしゃっていました。「移動動物園」で、ドキドキしながらも、少しずつ慣れてきて、動物に話しかけたり、かわいがったりする子どもたちを見て、私も、温かく、幸せな気持ちになりました。