10万人を超える外国人が暮らす横浜市。なかでも緑区ではインドの人々がこの5年間で倍増しています。多くの人々が暮らす霧が丘の団地では、交流を深めようと「多文化・多世代」をコンセプトにした取り組みが始まりました。
2022年12月に横浜で開催された「あーすフェスタかながわ2022」。県内で多文化共生に取り組む人々によって、様々な国の文化を体験するブースの出展やステージショーが披露されました。
フィナーレで披露されたのは、日本・インド双方のルーツを持つ大人や子ども約20人のインドのダンス。会場は大いに盛り上がりました。
そのダンスが始まる前、みなさんの自己紹介で発せられたあいさつに会場がざわつきました・・・
ーわたしたちが住んでいる霧が丘にはインドの人が800人、住んでいます。
どうして、霧が丘にたくさんのインドの人が住んでいるの??
さっそく、霧が丘を訪ねてみました。
お伺いしたのは、あーすフェスタのダンスに参加していた、根岸あすみさん。霧が丘団地で活動するNPO法人「霧が丘ぷらっとほーむ」の代表です。
わたし、この霧ケ丘で育って、地元なんです。子どもを産んで、霧が丘に帰ってきたら様子が変わっていて。インドの人がいっぱい住んでいる。通っていた小学校がインドのインターナショナルスクールになっている。驚きました。
第一子の出産にあわせて、8年前に団地に帰ってきたという根岸さん。どうして、霧が丘でインドの人たちが急増したのでしょうか?
横浜市によると、緑区で暮らすインド国籍の人々は2022年12月末現在で1,341人。5年前の2017年12月末の625人から、約2.1倍に増えています。
背景には、横浜市が行ったインドのグローバルIT企業の誘致活動があるそうです。
根岸さんが通っていた小学校は、団地の子どもの減少で2006年に閉校。横浜市内の企業で働くため、インドからやってくる人々の子どもが通うインターナショナルスクールとなりました。そして、たくさんのインドの人が、子どもの通うスクールがすぐそばにある団地で暮らすようになったというのです。
霧が丘で暮らす住民は約11,500人。そのうちインド国籍の人々は約800人なんだそうです。
ふるさとである団地の変わりように驚いたという根岸さんですが、“あるもの”が無くなりつつあることに気づきました。
帰ってきたら、どんな人が隣に住んでいるかわからない、という人もいて。同じ団地に住んでいるのに、インドの人たちのことはよくわからない。昔よくしてくれた人たちが高齢になって手助けが必要な人もいる。これは誰にとってもよくないなと思いました。
ー“お隣さん”がなくなりつつある。
根岸さんは、団地で暮らすシニア層・インドの人・自分たち子育て世代をつなぐために動きました。去年、NPO法人「霧が丘ぷらっとほーむ」を立ち上げたのです。副代表の武蔵幸恵さんをはじめ、同じ思いを抱えていた75歳以上のシニア世代やインドの人たちと動き出します。
根岸さんたちは2023年1月、団地内の商店街の空き店舗を活用して、交流拠点となるカフェをオープンさせました。資金は、横浜市からの助成金やクラウドファンディングなどで、何とか集めることができました。
コンセプトは「多世代×多文化」。カフェにやってくるシニア層・子育て世代・インドから来た人たちが顔見知りになって「お隣さん」になることが目標です。
カフェで提供する料理は、地元の霧が丘学園6年生の子どもたちと一緒に考えました。
調理するのは団地で暮らす元料理人です。
インドから来た人たちは、ここで、ヨガやインド映画のミュージカル場面でおなじみのボリウッドダンスなど、インドカルチャーを教える講座を開いています。これからは、外国にルーツを持つ子どもの宿題をサポートしたり、保護者の生活での困りごとなどを相談する場を設ける予定です。
私たち子育て世代は体力があって、カフェをオープンさせたり、小学校に協力してもらったり、外に向かって働きかけができる。シニア世代の皆さんは時間があって、驚くようなスキルを持っている人も多い。インドから来た皆さんは英語・ヨガ・食べ物とか私たちにはないものを持っている。
みんなが、お互いのいいところを持ち寄ってできればいいなと思っています。
カフェを訪れたのは、オープンから1週間ほどした昼過ぎ。シニアの方がレジを担当。団地で暮らす子どもたちはキッズスペースで遊んでいました。
訪れていたある男性からは、「以前インドで日本語教室の先生をしていたが協力できないか」と、根岸さんへの提案も…。
団地で暮らすサラニアさんに話を伺いました。約1年半前に、夫の仕事の関係でインドから霧が丘にやってきました。根岸さんたちの活動に参加しています。「あーすフェスタ」で披露したダンスを皆に教えたのはサラニアさん。流ちょうな日本語で、答えてくれました。
ー霧が丘にやってきたきっかけは?
インドの学校(インターナショナルスクール)が近くにあるからです。霧ケ丘に住んでいるインドの人はみんなそれが理由できています。霧が丘に長く住みたいなと思って、日本の小学校に子どもを入れています。
―インドからやってきて、困ったことはありましたか?
言葉(日本語)が分からなかったのが大変でした。最初は私も子どもも出来なかった。けど、二人(根岸さん・武蔵さん)のおかげですごく楽でした。子どもの宿題も、言葉が分からないときはすぐに聞いて。
ー日本の人たちとの交流について、どう思っていますか?
一番の壁は言葉。ここに住んでいるインドの人も住民の人たちと「話したいな」と思っていますが、英語しか話せない人の方が多いんです。仲良くしたいと思っているけど、言葉の壁でコミュニケーションできないことが多いです。
サラニアさんは、交流をもっと深めるための取り組みを始めています。
いま、日本の子どもたちに週に1回、英語を教えています。インドの人たちは英語を話せます。子どもたちが英語を話せるようになって、インドから来た人たちと仲良くなってくれたらうれしい。
今後、交流拠点のカフェを継続させていくために必要な資金の確保や、サラニアさんも指摘していた言葉の壁、家にこもりがちになるというシニア層の呼び込みなど、根岸さんたちがめざす地域交流には乗り越えるハードルがまだまだあるといいます。
それでも、「お隣さん」として、互いの良いところをおすそ分けしながら皆がつながる団地を目指して、根岸さんたちの活動は続いていきます。