首都圏ネットワーク

  • 2022年10月7日

障害者もバイクに乗れる 箱根の走行会がかなえた夢と支えた人々

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「やっぱバイクだよ、二輪じゃなきゃダメ」

事故によって下半身の自由を失い、車いす生活を余儀なくされた男性が、21年後に再びバイクに乗ることが出来た時の思いをこう振り返ります。

願っても、かなうことはないと思っていた「バイクにもう一度乗りたい」という夢。不可能と思われたことを可能にし、多くの人の夢をかなえた人たちの物語です。 
(横浜局/カメラマン 鳥越佑馬)


世界初? バイクツーリングのライダーは「障害者」

9月11日。神奈川県小田原市の有料道路の料金所にバイクの「ライダー」14人が集まりました。

今回のライダーは皆、日頃「車いす」や「義足」で生活しています。

事故などによって体に不自由はあるものの、バイクへの熱い思いを手放すことなく何十年と月日を過ごしてきた人たちです。この日はこの有料道路の一部を借り切って、彼らのためのバイクのツーリングイベントが行われました。

ライダーたちは、スタッフの手助けを受けて、車いすからさまざまな安全装置を取り付けたオートバイへと乗り換えます。体や足はベルトで固定し、転倒時の大けがを防ぐだけでなく、エンジンやマフラーに触れることによる「やけど」を防ぐための工夫もしています。

スタートはスタッフがバイクの車体を押し出し、助走を付けて走り出します。一旦走り出すとゴールまではそれぞれのライダーが自力で走り切ります。後ろから常に医療スタッフなどが伴走し、万が一の場合にすぐに対応できる態勢が整えられています。

この日は雲一つない快晴で、まさにツーリング日和。家族や仲間たちが見守る中、ライダーたちは高低差981mのコースをバイクとの一体感を楽しみながら、颯爽と駆け抜けていきました。

ゴール付近では、往復26キロを走りきったライダーたちの笑顔と興奮が、はじけるようにあちこちで飛び交っていました。

愛知県から 
参加した男性

40年越しの夢がかないました。走っているときは障害を忘れていましたね。 もうバイクから降りたくありません。涙が出ます。

 
足を切断した女性

もう最高でした。Uターンを心配していましたが、無事乗り越えられました。もう1回走っちゃいたいです。サイコー!

バイク事故の後も「乗りたいに決まってる」

この活動を支えているのは、1990年代に世界的に活躍をしたロードレーサー「青木三兄弟」の長男 青木宣篤さんと、三男 青木治親さんです。

次男の青木拓磨さんは8歳からバイクに乗り始めました。16歳でロードレースに挑戦し、1997年にはロードレース世界選手権(WGP)で年間ランキング5位になるなど、世界の頂点が見え始めていた矢先の1998年、テスト走行中の事故により下半身不随となりました。 
  
その後はカーレースに転向し、車いすの四輪レーサーとして活躍してきましたが、事故からおよそ20年が過ぎた2019年、弟の治親さんが「ヨーロッパでは障害を負ってもオートバイを楽しむ人たちがいる」と知って拓磨さんに「バイクに乗りたい?」と何気なく尋ねた時のことです。

「おっせーよ、乗りたいに決まってるよ」

事故後、オートバイから離れたと思っていた拓磨さんがオートバイへの情熱を20年以上持ち続けていたことを知り、治親さんは心を揺さぶられました。 

「幼い頃のようにまた兄弟一緒にオートバイで走りたい」

拓磨さんの思いに触れた兄の宣篤さんと弟の治親さんは、拓磨さんが下半身を使わなくても走行できるよう改造した特別な車両を用意し、かつて三兄弟で共に活躍した鈴鹿サーキットでのデモ走行を実施。拓磨さんは事故から22年ぶりにバイクに乗ってサーキットを駆け抜け、ファンを沸かせました。

2019年 拓磨さんのデモ走行

もちろん沸いたのはファンだけではありません。

鈴鹿での拓磨さんの姿を見て、同じような境遇で2度とオートバイには乗れないと諦めていた人から『障害者でもできるんだ』『自分もバイクに乗りたい』という声が多数寄せられるようになったのです。

夢をかなえる「安全な改造バイク」

 そうした声を受けて、2020年6月に初めて体験走行会を開催しました。コロナ禍による休止を除き、これまで月に1回の開催を続けています。

青木宣篤さん

当初は、一般の障害者をオートバイに乗せることについて、安全性やけがのリスクに対する不安の声もありましたが、安全装置を国内メーカーに特注し、手元でギアを操作する特殊な部品はイギリスから取り寄せました。ヘルメットやブーツはもちろん、グローブやレーシングスーツまで運営側で用意し、これまで一度もオートバイに乗ったことがなくても、安心して参加出来るほどの環境が整ってきました。

現在、体験走行会で使用する専用のバイクは6台。いずれも手元でギア操作ができるよう特別な改造をしています。

また、小型バイクには転倒を防ぐために角度の異なる3タイプの 補助輪を装着。遠隔操作で緊急停止できるスイッチなども取り付けられていて、参加者それぞれの身体機能や、運転スキルにあわせ、適切な1台を選び、体験してもらいます。

こうしたバイクの整備や、コースの貸し切りなど体験会の運営には多くの費用がかかりますが、参加費は無料です。元世界王者の青木治親さん自らが、この活動に賛同してくれる企業や個人サポーターを回るなどして地道に支援を集めてきました。

青木治親さん

また、運営するスタッフは全てボランティア。障害があってもバイクを楽しみたいという参加者の思いに共感した、多くの人たちの支援で成り立っています。

これまでに国内各地の自動車学校やサーキット場などで約20回の体験走行会を実施し、約50人の障害者の「オートバイに乗りたい」という夢をかなえてきました。

目が不自由でもバイクに乗れる

体験会には車いすの人だけでなく、これまで一度もオートバイに乗ったことがないという人や目の不自由な人も参加しています。

参加者の一人、東京都足立区在住の縫田政広さん(56)。16歳からオートバイに乗っていましたが、48歳の頃から病気で視力を徐々に失い、いまでは95%の視野を失っている「全盲」です。   

並走する車両に乗った青木さんからヘルメットのインカムを通じて、進行方向などの指示を受けて走ります。繰り返し参加するうちに最速60キロほどのスピードでサーキットの周回を重ねることができるようになりました。

縫田政広さん 
「失明してからもバイクに乗りたいなと思うわけですよ、体験会に参加してからは、子どもの時に自転車とか何でも最初の楽しい気持ちがよみがえって。諦めちゃ駄目だなって思いましたね」

車いす生活になっても バイクをあきらめられなかった

この乗車体験会に参加して“人生が変わった”と語る参加者がいます。

1年前に乗車体験会に初めて参加した東京都西東京市に住む古谷卓さん(49)です。   
古谷さんは27歳の時、会社の同僚と行ったバイクツーリング中に右折車に巻き込まれる事故で脊髄を損傷。下半身が麻痺し、車椅子生活を余儀なくされました。

大学卒業式での古谷卓さん(バイク後方)

事故前は「雨の日も真夏の暑い日もどこへ出かけるにもバイクに乗る」ほどオートバイが生きがいだった古谷さん。事故後は自動車や三輪車などさまざまな乗りものを試しましたが、オートバイに勝る喜びには出会えませんでした。

古谷卓さん 
「事故に遭ったこと以上にオートバイに乗れないのが一番しんどかったです、今でもバイクに乗る夢を見るくらい大好きです。景色がどんどん変わっていくっていうのはだいご味で、やっぱり車じゃ味わえない風を感じながら走りたいんですよね」

友人の丸野飛路志(59)さんは、そんな古谷さんの気持ちを身近で見つめてきました。  

(左)丸野さん (右)古谷さん

ふたりは奇しくも22年前の同じ日にそれぞれバイク事故に遭い、入院先の病院で出会いました。大好きなバイクの話で意気投合し、つらいリハビリの日々も励まし合いながら共に過ごしました。 
  
退院後に車いす生活となった古谷さんがオートバイの免許を失った一方で、片足が義足になった丸野さんは、条件付きですがオートバイの免許の維持が可能となりました。

(左)車いすバスケに挑戦した丸野さん (右)古谷さん

ふたりで出来るスポーツを見つけては挑戦し、新たな共通の趣味を見つけようとしましたが、古谷さんはバイクを超えるほど興味を持てるものを見つけることが出来ず、またそれを見て丸野さんは、自分自身がバイクに乗れることを負い目に感じていました。

丸野飛路志さん 
「常に何かふたりで一緒にできるものを探して、アイスホッケーや車いすバスケなどいろいろやりました。オートバイに関しては自分は乗れても、欲しがっている人間の目に見せびらかすとか、そういうのはちょっと違うだろうと。仲間だけど、古谷君にはバイクを見せてはいけないと思っていました」

「自分にはバイク」取り戻した瞬間

そんな時、丸野さんが見つけたのが青木さんたちの主催するオートバイ乗車体験会でした。自ら体験に行き、ここなら古谷さんでも乗れると確信してから、古谷さんを誘いました。

古谷さんは21年ぶりにバイクにまたがったその日のことを、こう振り返っています。

古谷さん 
「それこそ言葉に表せないぐらいうれしかったです、オートバイに乗ったとき自分が車いすだって忘れちゃったぐらいにスムーズに乗ることができ、やっぱ自分にはバイクだと感じました。紹介してくれた丸野さんには感謝の気持ちでいっぱいです」

丸野さん 
「不思議というか、何て表現して良いか分かりませんが、それまで想像してなかったことが目の前で起こっていました。ずっとインカムで古谷さんの「うれしい」とか「楽しい」とか「気持ちいい」っていうのを聞いていると、何かすごくうれしくなってきて、紹介してあげてよかったなと、一緒に走れたこともうれしくて、あの時は泣けてしまいました」 

青木治親さん

青木治親さん 
「障害者のオートバイへの挑戦をみんなで支えることによって、サポートする我々もチャレンジ精神を逆に教えてもらっています。オートバイは倒れるものですから、事故はゼロとは言えないですけども、補助輪や緊急ストップボタン付けるなどして限りなく安全にすることは可能だと思っています。 
今は免許がないから仕方なく免許が要らない場所で走るのが大前提で体験会を開催しているんですが、参加者にはやっぱり公道で走りたいという夢があるのでかなえたいと考えています」

そしてツーリングへ

そして迎えたツーリング当日、先に勢いよく飛び出した古谷さんの後に丸野さんが続きます。最初は緊張した様子だった古谷さんですが、折り返しのUターンを超えたあたりから、周囲の景色を楽しむ余裕も出てきました。

後ろを走る丸野さんとともに、流れる景色と風を感じながら、表情も自信を取り戻していきました。

古谷さん(前)と丸野さん(後)

22年前の事故以来、諦めかけていたバイクの夢は、多くの人の支えや事故後に出会った仲間の思いで結実しました。

古谷さん 
「景色もきれいで。いや最高でした。ありがとうございます。もう、感謝しか無いです。涙がちょちょぎれてきます」

ゴール後しばらくして、古谷さんは丸野さんの近くに行って声をかけました。 
「ありがとうございます、これからもまた一緒にやっていきましょうね」

「夢をあきらめない」

「障害者がオートバイに乗る」  
初めてこの取り組みについて耳にした時は、にわかに信じられない気持ちでした。「バイクは危ない」という先入観があり、「障害者がバイクに乗るなんて不可能」という思いを拭いきれないまま、乗車体験会に伺いました。

体験会には、人生で一度もオートバイに乗ったことの無い脳性まひの男性や、杖をたよりにして歩く全盲の人など、想像していた以上にバイクに乗ることが難しそうな人たちが集まっていました。

レーシングスーツの着用ひとつとっても大勢のボランティアのサポートが欠かせませんが、参加者自らバイクを操作し、満面の笑みで走行している姿を見たとき、「不可能」と思い込んでいた自身の考えの誤りに気付かされました。 

初めてオートバイに乗ったという男性は「40年越しの夢がかなった」と涙ながらに語り、その姿にはこちらも胸が熱くなりました。さまざまな乗り物がある中で、オートバイの魅力には、何か特別なものがあることも感じました。 

主催した青木さん自身、当初は障害者がオートバイに乗ることは難しいと思っていた、と言います。しかし、拓磨さんが長年持っていた「オートバイに乗る夢」に応えて以来、さまざまな環境を整備し、不可能と思われることを実現してきました。

私も障害者ライダーの「夢を諦めない気持ち」や、支える人たちから、多くを学んだ取材でした。

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