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55年前 吉田茂元総理大臣の国葬 “地元”の神奈川県大磯町では

  • 2022年10月4日

安倍元総理大臣の「国葬」は、国民の間で賛否が分かれる中で行われました。直近の皇室以外の国葬は55年前、吉田茂元総理大臣のものでした。地元の神奈川県大磯町の住民はどう受け止めているのか、現地を歩いて取材しました。
(横浜放送局/記者 北村基)

世論2分した「国葬」

9月27日に行われた安倍元総理大臣の「国葬」。会場となった日本武道館には、およそ4200人が参列したほか、会場近くの一般献花には多くの人が列を作りました。

一方、全国各地で国葬に反対する集会やデモが行われました。

NHKの世論調査 9月9日から3日間

NHKが9月9日からの3日間に実施した世論調査では、安倍元総理大臣の国葬を行うことへの評価は、「評価する」が32%、「評価しない」が57%。世論が割れる中での実施でした。

55年前吉田元総理大臣の国葬は

総理大臣経験者の国葬が行われたのは、戦後2回目です。
初めての国葬は55年前の昭和42年、吉田茂元総理大臣が亡くなったときに行われました。そのときは、長年暮らした神奈川県大磯町から日本武道館まで遺骨が運ばれました。

当時の記録によりますと、葬列を見送るために大磯町ではおよそ5000人が沿道に並んだということです。

住民たち「当時と今は全然違う」

住民たちに当時の様子や、今回の国葬をどう感じているのか尋ねました。

仲手川宮子さん(87)は、当時30代。当日は沿道に出て、国旗を手にして葬列を見送りました。

仲手川宮子さん
「親戚のおばあちゃん2人も着物を着ていたし、小学生や中学生もみんな沿道に出ていました。吉田さんは偉い方だったのでやはり特別な思いがあります。(今回の国葬については)どうしようかなと思っていますが、テレビで見ようとは思います。55年前とはずいぶん雰囲気が違います」

当時中学生だった70代の女性にも聞きました。

70代の女性(当時中学生)
「当時は何もわからずに、先生の指示に従って生徒みんなで沿道に出て、葬列を見送りました。今みたいに反対の声を聞いた覚えはありません」

このほか、当時を知る人からは

当時を知る人
「吉田さんは、サンフランシスコ平和条約などの業績があって自然と手を合わせる気持ちが出てきましたが、今回に対してそういう思いはないです。吉田さんは身近にいる偉大な人で、亡くなったときはとても悲しかった」

吉田元総理大臣の地元ということも大きいと思いますが、55年前と今回で捉え方が大きく異なっていることを実感しました。

国民が多様化

背景に何があるのか、戦後の歴史に詳しい成城大学の森暢平教授に聞きました。森教授は時代状況の違いを指摘しました。

成城大学 森暢平教授
「吉田元首相の国葬のときは、今のように賛否が分かれる状況ではなかった。特に大磯町は、吉田元首相が住んでいたこともあり、役場や学校が先導して協力するという雰囲気があったのだろう。まだ戦前の記憶が残っていた中で、戦後の復興を成し遂げた吉田元首相を悼む思いを社会で共有できたのだと思う」

人々の考え方が多様化する中、今回の「国葬」は国民の分断を促進してしまったと指摘しました。

「21世紀に入って、人々の意識が多様化、個別化している中で、国をあげて1つとなり、何かをするということが難しくなったのだと思う。吉田元首相と異なり、安倍元首相は首相を辞めてからそれほど時間がたっておらず、評価も固まっていない。今回の国葬は、国民を統合するのではなく、分断を促進することになった」

取材後記

吉田元総理大臣の国葬について、私が話を聞いて回った範囲では、当時明確に反対したという声は聞かれませんでした。
一方で地元の大磯町でさえ、国葬のことを「覚えていない」という人はいました。将来、安倍元総理大臣の「国葬」を振り返るときには、どのような声が聞かれるのでしょうか。今の雰囲気を書き記した記録が、将来また国葬が議論になるときに役立ってほしいと感じました。

  • 北村 基

    横浜放送局 記者

    北村 基

    2017年入局。宇都宮局を経て、2022年8月から横浜局小田原支局。南関東の空気に馴染むべく、目下、歴史を勉強中です。

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