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“首都圏水没!?” 大規模水害に備えて はじまった「流域治水」

  • 2022年7月15日

「数十年に一度」と言われる豪雨が毎年のように観測される日本列島。3年前に東日本を襲った台風19号では、首都圏の広い範囲が大きな被害に遭いました。気候変動によって激甚化する豪雨災害に備えるため、日本の水害対策は大きな転換を迫られています。
(首都圏局/ディレクター 髙橋 弦、實 絢子)

水害から命と生活を守る 新たな対策「流域治水」とは?

中央防災会議「大規模水害対策に関する専門調査会報告」を基に作成

首都圏で大規模水害が起きるとどうなるのか。国がまとめた被害想定では、大雨に耐えきれず、利根川と荒川が氾濫し、壊滅的な被害が及ぶとされています。
気候変動により、水害のさらなる頻発・激甚化が懸念される中、近年、国は新たな水害対策「流域治水」に取り組み始めています。

流域治水とは、これまで治水に関わってきた河川管理者などだけではなく、川周辺の企業や住民も協力し、流域全体で受け止められる雨の量を増やそうとする考え方です。

使うのは、田んぼや、ため池、遊水池、学校のグラウンドなど。
雨が降ったとき、こうした場所にあえて水をあふれさせたり、貯めたりして、川だけでなく、周辺の土地や施設も含めた“面”、つまり流域全体で雨を受け止めようというのです。
既存のダムや堤防などと共に、流域のあらゆるものを“総動員”させることから、「流域治水」と呼ばれています。

水災害リスクマネジメントを専門とする東京大学大学院教授の池内幸司さんは、流域治水への転換は“待ったなし”の状況だと話します。

東京大学大学院 池内幸司教授
「これまでは堤防や河川改修、洪水調節用のダムなどである程度の防御ができていましたが、近年の水害は激甚化の一途をたどっており、これまでのハード対策を強化しただけでは被害を防ぐのは難しくなってきています」

私たちの命と生活を守る新たな対策、「流域治水」。  
しかし、この対策を巡って、さまざまな課題が浮かび上がってきています。

家が浸水するリスクも…流域治水に揺れる住民

栃木県にある那須烏山市下境地区は、2つの一級河川が合流し、水害リスクの高い地域とされています。
3年前の台風19号では、河川が氾濫し、地区全体の4割にあたる72世帯が浸水の被害に遭いました。

台風19号の被害に遭った下境地区

被害を受けた一人、農家の佐藤盛雄さんの自宅も、床上およそ1メートルが浸水しました。
片づけなど生活の再建には、およそ3か月かかりました。

当時の佐藤さん自宅

佐藤盛雄さん

冷蔵庫なんかも、水に浮いてごろんとなっちゃった。後片づけが大変なんですよ。これはやっぱり、経験した人じゃないとわからない。ほとんどダメになりますからね。

以来、佐藤さんたちは、堤防のかさ上げなど抜本的な治水対策を行政に求めてきました。しかし、被害から1年あまりが経ったおととし、国から思わぬ計画が示されます。
流域治水の施策の一つである、「霞堤(かすみてい)」と呼ばれる設備の建設案です。

通常、氾濫を防ぐために川沿いに続いている堤防。
「霞堤」は、その一部に切れ目をつくり、大雨などで増水した水をあえてあふれさせ、一時的に貯めます。
本川を流れる水の量が少なくなり、人口が多い下流の氾濫リスクが減る一方、「霞堤」がある地域では、家屋が浸水するなどの恐れがあります。

国の計画では、下境地区の川沿いおよそ2キロに、従来より高い5mほどの堤防を整備。これまで上流から勢いよく侵入していた水を防ぎます。
下流部には切れ目をつくり、「霞堤」にすることで、水を受け止めようというのです。
この「霞堤」によって、およそ60キロにわたる下流の地域で、川が氾濫するリスクを軽減できるとしています。

一方、国の計画では、佐藤さんの自宅は「霞堤」で浸水が想定されるエリアの中にあります。

青線枠内が浸水が想定されるエリア。黄色い点が佐藤さん自宅の位置

先代から受け継ぎ、子や孫たちとの思い出が詰まった大切な場所で、水を受け止めることを余儀なくされるのです。

佐藤盛雄さん

下流のためにこういうものをつくるのは納得ができない。大部分の人がそう思ってるんじゃないですか。

こうした状況について、池内教授は「豪雨災害が激甚化する中では、流域でリスクを分担せざるを得ない」とする一方で、負担を強いられる人々の存在を周囲が知る必要があると話します。

池内幸司教授
「下流の人たちは、上流で洪水を一時的に貯めていただける人々のおかげで享受しているメリットがあることを忘れないことが大切です。そのうえで、洪水貯留を引き受ける人たちの負担をどのように減らしていけるのかを議論し、具体的な施策を講じることが求められます。例えば、霞堤がある地域の人々に対して税制面での優遇を行うなどの方法が考えられます」 

水害対策でダムの新たな活用! 思わぬリスクも

もうひとつ、「流域治水」の対策の中でも、高い効果が期待されるのが、新たなダムの活用です。
ダムには2つの役割があり、災害対策に使われる「治水ダム」と、発電や水道・農業に使われる「利水ダム」があります。利水ダムは、全国におよそ1500あるダムのうち6割程を占めますが、これまで原則、災害時に活用されることはありませんでした。
そこで国は、2年前に全国の管理者などと協定を結び、利水ダムの多くで「事前放流」を行うという、新たな取り組みを始めました。

事前放流は、大雨を予測し事前にダムの水を川に放流して、空き容量を作る。
この空いた分で雨を受け止めることで川に流れる水の量を少なくしようというもの。

首都圏などに供給する電気の発電を担う「稲核ダム」(長野県松本市)では、去年8月、初めて事前放流を実施。周辺のダムと合わせて、東京ドーム8杯分にあたる、およそ1000万トンの雨を受け止め、下流の水位をおよそ3割減少させたとみられています。
治水対策に、大きな役割を果たす事前放流。一方で、私たちの生活に影響が出るリスクもあります。

担当者

事前放流をして、ダムの貯水量を1回減らしてしまうと、今後発電ができないリスクが発生しうる状況になります。

事前放流の判断は、予測をもとに大雨が降る可能性のある日の原則3日前に行います。予測が当たれば水はもとに戻りますが、予測が外れた場合は水量が十分に回復せず、場合によっては水力発電が十分に機能しなくなる恐れがあるのです。

 

今、電力需給ひっ迫といった話もありますが、そこに対してダムの水がないという状況になりますと、ブラックアウトも関東圏内においても発生しうると思います。

事前放流への不安を払しょく!最新技術の開発

事前放流への不安をどう払しょくするか。最新技術の研究が進められています。

京都大学の角哲也教授は日本気象協会などと連携し、AIなどを活用して事前放流の判断を支援するシステムを開発しています。

これまで、大雨が降るとみられる3日前の時点では、20キロ四方での予測しかできませんでした。
これに対し、角教授たちは、1キロ四方でのきめ細かな予測を実現。雨でダムに貯まる水の量を、より正確に計算することができるようになりました。
角教授たちは、こうしたシステムを全国50か所以上のダムに提供。実証実験を進めることで、利水と治水の両立を後押ししたいと考えています。

京都大学 角 哲也教授(SIPダム防災支援システム 研究代表)
「事前放流も、もう一段科学的になっていくと、治水と利水のいろいろな関係者の納得が得られるように、操作がより高度化していくのではないかと思います」

取材後記

今回の取材でとても印象に残った言葉があります。霞堤がつくられる下境地区の住民の方から聞いた、「上流で水を受け止める自分たちの割り切れない思いを、下流の人たちに知ってほしい」という言葉です。
それを聞いて私は、流域のためにリスクを引き受けてくれる人がいることなど考えたこともなかった自分を深く反省しました。

記事でも取り上げたように、流域治水は川の周辺の住民や発電に関わる方々など、多くの人の協力や負担があって成り立つものです。これから台風シーズン。自分の命を守る備えをすると同時に、そうした人たちの存在を忘れないようにしたいと思いました。

  • 高橋弦

    首都圏局 ディレクター

    高橋弦

    2017年入局。広島局を経て2021年から首都圏局。教育や不登校、災害・防災について取材。

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