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軍事侵攻 マリウポリから脱出時に撮影 平和を願い制作した壁画は…

  • 2022年4月27日

ロシアの軍事侵攻で「最大の激戦地」ともされるウクライナのマリウポリ。住んでいた男性が脱出をする時に急ぎながらも撮ったのは、かつて平和と共存への願いを込め千葉県流山市のアーティストとマリウポリの人たちみんなで描いた壁画でした。
(首都圏局・記者 稲田清)

“世界の人たちに実態を伝えたい”

ウクライナ東部の要衝、マリウポリはロシア軍の軍事侵攻で多くの人が犠牲になっているとみられ、人道上の危機が深刻化しています。現地で生まれ育ったアナトリイ・マリャロフさん(25)は、戦闘が激しくなる中、ロシア側が支配した地域でバスに乗って4月7日に街を脱出。モスクワなどを経て20日にエストニアに避難しました。

当初は、マリウポリの別の場所に住む母親たちと一緒に避難することを計画していましたが、戦闘が激しくなって合流できず、自分だけ先に避難することを余儀なくされたということです。軍事侵攻から脱出までの40日余りの間の過酷な状況を証言してくれました。

アナトリイ・マリャロフさん
「暮らしは間違いなく一変しました。音を立てないように食事を作っていると突然、砲撃で100メートルほど先の住宅が吹き飛びました。無数の砲弾が民家に撃ち込まれていました」

脱出の直前、マリャロフさんは街の様子を写真で記録していました。戦争がどういったものか思い出すとともに、世界の人たちに実態を伝え、身近に起きうることだと知ってもらいたかったからです。

アパートの脇に白い十字架が立てられている写真。家のすぐ隣や砲撃でできた穴の中に遺体が埋葬されていて、路上や無人となった建物などにはカーペットにくるまれた遺体が放置されていた、とマリャロフさんは証言します。

脱出時“壁画のことが頭から離れなかった”

4月6日撮影

2017年撮影

脱出を急ぐ中、マリャロフさんがどうしても撮影しておきたかったのが「てぶくろ」の壁画でした。壁画は5年前、千葉県流山市のアーティスト、ミヤザキケンスケさんが平和と共存への願いを込め、ウクライナ民話を元にした絵本「てぶくろ」をモチーフにしてマリウポリの人たちと一緒に学校の壁に描きました。4月6日に撮影された写真には、壁画の一部が崩れ落ちて黒くすすけ、周囲の建物の窓ガラスもほとんどなくなっている様子が写っています。

日本の文化に関心があり日本語を勉強していたマリャロフさんは当時、毎日のように壁画が制作されていた現場を訪れてミヤザキさんと交流を深めていました。

(左)アナトリイ・マリャロフさん(右)ミヤザキケンスケさん

マリャロフさん
「ミヤザキさんは、はるばる日本からやってきて私たちのために壁画を描き、共存の大切さを思い出させてくれた。私たちのことをほんとうに気にかけてくれる人がいることに驚きました。遠くからきてまちの人が共存の大切さに思いをはせるように貢献してくれました。だからこそ、脱出を前にして壁画のことが頭から離れませんでした」

“また平和を祈って描く”

マリャロフさんが撮影した写真は、千葉県に住むミヤザキさんのもとに送られました。ミヤザキさんは、ゆかりのある人たちの無事を願うとともに、壁画を通して生まれたマリウポリとのつながりを改めて感じたといいます。

ミヤザキケンスケさん
「これだけ距離が離れていても、その壁画があったことでそこの人たちとつながっているということに僕はすごく意味を感じている。あきらめてしまったらやっぱりだめだと思うので、壊れたらまた描きに行くよ、また平和を祈って描くよと言い続けたいと思います」

編集後記

今回の取材は、4月中旬にミヤザキさんから送られてきた、傷ついた壁画の写真がきっかけでした。マリャロフさんが語る街の現状や、写真の撮影に込めた思いを聞き、改めて今回の軍事侵攻の苛烈さを痛感しました。
マリウポリの詳しい状況はまだ分かっておらず、いまも壁画が残っているのかは判然としません。人の出入りも通信もほぼ断絶されていますが、だからこそ、マリャロフさんの思いに応え「何が起きているか」をあらゆる手段を使って取材し、伝えていかなければならないと考えています。

 
  • 稲田清

    首都圏局 記者

    稲田清

    2004年入局。鹿児島・福島・政治部を経て現在は都庁担当。 政治部では防衛省キャップとしてロシアの戦略や戦術も取材。

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