「布袋さんが高崎に来る」
率直に言えば、取材を始めようとしたきっかけは、そこにありました。
ただ、取材を進めると、地域の人たちとタッグを組んだ「路上ライブ支援」や、「市営のスタジオ運営」といった「音楽の街」を前面に出した市の戦略、さらに、若い年代の人たちを高崎に呼び込もうとする、さまざまな「政策的な仕掛け」があったことがわかりました。
「若者に“住み続けたい”と思ってもらえる街になるためには、ブランド力を上げることが大事」
人口減少の中、地方の特色を打ち出すことが求められる「地方大競争時代」の今、そうトップが語る高崎市の狙いを深掘りします。
(前橋放送局/記者 岩澤歩加)
「みなさんこんにちは。高崎に帰って参りました!」
3月の日曜日。生まれ故郷、高崎市のステージに立ったギタリストの布袋寅泰さんは興奮気味に声を張り上げました。
伝説のロックバンド、BOØWY解散後も、長く日本のロック界を引っ張ってきたレジェンド。
「さらば青春の光」や「BE MY BABY」などのヒット曲を中心に11曲を披露しました。
ただ、この日のステージ、布袋さんは主役ではなくスペシャルゲストでした。
その主役は「若いアマチュアミュージシャン」。
「音楽のある街・高崎」を象徴するオーディションが行われたのです。
オーディション 決勝に進んだ3組
オーディションは2日間行われ、カラオケ、シンガーソングライター、バンドの3部門に全国から400組の応募がありました。
映像審査を経て20組が初日のステージに立ち、2日目は3部門の優勝者が決勝で「最優秀賞」を争いました。
最優秀賞 「マグロ二カン」
その頂点に立ったのは、東京の高校生4人組のバンド「マグロ二カン」でした。力強いパフォーマンスで観客に元気を与える演奏が高く評価されました。
スペシャルゲストの布袋さんは“後輩たち”にエールを送りました。
(決勝に残った)みなさん3組ともドキドキだったでしょうね。勝ち負けじゃないですからね。高崎というのは僕のまぎれもなく“スタートの地”です。こういう機会に恵まれたことを一生忘れずに頑張っていってほしいと思います。
最優秀賞を獲得した「マグロ二カン」には名誉だけでなく、夢の実現に向けた“音楽のある街・高崎”ならではの大きな特典があります。
それが「市営スタジオ」でレコーディングができること。
そこには「大物プロデューサー」がついてくれます。
「全国的に珍しい」と市が胸を張るレコーディングスタジオ。
8年前に建てられ、浅間山の溶岩や無垢の木材など、自然の素材にこだわった作りが売りです。
全国からプロのミュージシャンが訪れ、予約は常にいっぱいだそうです。
市営の施設ならではの特徴が、利用料金のシステムです。
SNSで高崎市のPRを行うなど「市に貢献する」と認められ、審査に通ったアーティストは、1日3万円という格安の値段で借りられます。
運営の責任者を務めるのは高崎市在住の音楽プロデューサー、多胡邦夫さんです。
浜崎あゆみさんやEveryLittleThing、AKB48など、名だたるアーティストたちに楽曲を提供してきました。
また自身も2008年、プロデュースした木山裕策さんとともに「home」で紅白歌合戦に出場しました。
なぜ、このような料金システムにしたのか。多胡さんの強い思いがありました。
音楽プロデューサー 多胡邦夫さん
「“音楽人は音楽で支払う” これが理想だなと思ったんです。このスタジオでつくられた音楽が全国に広まれば“メイド・イン・高崎”の音色がブランドになる。これこそ『音楽のある街・高崎』ではないかなと」
市が政策として推し進める音楽は街の「にぎわい」や「つながり」も生み出しています。
高崎駅前で週末行われている路上ライブ。県内外からミュージシャンが集まりさまざまなジャンルの音楽が奏でられていました。
路上ライブに欠かせない人たちがいます。
地元商店街のボランティア団体「高崎おとまちプロジェクト」です。音響設備の提供や出演者の調整など、10年前から運営を担ってきました。
プロジェクトを立ち上げたのは、商店街にあるそば屋の女将、岡田恵子さん。大正13年から続く老舗のそば店を切り盛りしながら、若きミュージシャンたちをサポートし続けてきました。
日常的に街から音楽が聞こえてくることが“音楽のある街・高崎”のワンシーンではないかと思ったので、路上ライブを支援しようということで始めました。
はじめは数人という日も珍しくなかったといいますが、10年たった今は、断ることもあるくらい、その知名度が高まっています。
というのも、近隣の県では駅前でのライブが禁止されていることが多いというのです。
一方の高崎では、むしろ歓迎される。そんな状況が口コミで広がり、多くのミュージシャンが集うようになりました。
長野から来たミュージシャンは「高崎は街をあげて路上ライブを歓迎してくれているような雰囲気を感じる。直接お客さんの前で演奏できるのは幸せなので、これからも高崎で演奏したい」と話していました。
若者が集う「仕掛け」を後押ししてきたのが、市のバックアップでした。
プロジェクトの運営費はすべて市の助成金でまかない、路上ライブに参加するミュージシャンには1人2000円まで交通費の助成金を出しています。
プロジェクトを立ち上げた岡田恵子さん
「市長と話をしたとき“お金は市が負担するので運営のすべては岡田さんたちに任せます”と言っていただきました。そこから『音楽で人と街がつながる』というテーマでプロジェクトをやっています。商店街とお客さん、そしてミュージシャンがつながって、街が賑やかになっていけばと思いますね」
プロジェクト開始から10年。ついにプロが生まれました。
KIE Anderson(キエ・アンダーソン)さんです。
高崎市の隣、安中市の中学校3年の時から路上ライブに参加し歌唱力を磨いてきました。
去年10月にデビューを果たしたKIEさん。音楽の道で生きていくか悩んだ時、商店街の岡田さんが相談に乗ってくれました。地元の支えがあったからこそ、今の自分があると感じています。
音楽の道は厳しいって分かってるけど、普通の会社には勤められないって悩んでたんだよね。
お世話になりました。第二の母です!商店街のみなさんがすごくお世話をしてくれて…本当に成長する場となりました。
家族みたいだよね。
うん!おとまち(音街)ファミリー!
KIEさん
「自分は路上ライブで歌うのが当たり前だったけど、そういう環境はありがたかったんだなと思います。みんなのおかげで楽しく音楽を続けられたので、これからも高崎でいっぱい演奏して恩返しをしていきたいです」
音楽を前面に出した街作りをしてきたのはなぜなのか。
富岡賢治市長を直撃して尋ねようとするやいなや、逆に質問されました。
あなたは、渋谷に遊びに行こう、と言ったことはないですか?
神奈川県出身の私。「間違いなくある」と思った直後に市長がことばを続けました。
その時、“渋谷のあの店に行こう”とではなく“渋谷に行けば何かあるだろう、だから遊びに行こう”と思って、そう言いませんか?
確かに、渋谷、新宿、六本木…。
「あの街に行けば何かあるだろう」。そう思うことは少なくありません。
「高崎をそういう街にしたい」と話す富岡市長。
近くの県の人が「高崎に行けば、何かわくわくすることができると思ってもらいたい」
そうすれば「街のブランド力が上がる」と熱い思いを語りました。
その1つが「音楽」と考えています。
貴重な市税を使い音楽を支援することに批判が来るのではないか?「恐れもあった」という富岡市長。
しかし、思いのほか受け止めはよかったということです。
偉大なミュージシャンたちと「街」の関係を引き合いに出し意義を強調しました。
高崎市 富岡市長
「ビートルズは(イギリス)リバプール、エルビス・プレスリーは(アメリカ)メンフィスですよ。だから、高崎を音楽でエキサイティングな街にしたい。そうすれば人が交流するんじゃないかと思っている。そして“住む気”になってくれることですよね」
さらに取材を進めると、高崎市が若者や働き盛りの人たちを重視した政策を強めていることがわかってきました。
以下は主なものです。
・市内企業に新卒で就職する若者に電子通貨で10万円を給付する事業
・妊娠中や就学前の児童がいる家庭に「無条件」でヘルパーを派遣する事業
・ヤングケアラーがいる家にヘルパーを派遣する事業
・児童相談所の新設など
根底にあるのは「未来ある若者にチャンスを。不遇な環境の若者に支援を」という思いだといいます。
実際、高崎に入ってくる人の数が多いというデータがありました。
総務省がまとめた去年1年間の人口の動きで、群馬県は転入者が転出者を300人あまり上回り、今の方法で統計を取り始めてから初めて「転入超過」になりました。そして、市町村別で最も多かったのが766人の高崎市でした。
さらに記者が詳しく分析したところ、20代から40代の人たちの転入者が増えている傾向が明らかになりました。合わせると去年は、その5年前より547人多い8516人でした。
政策との関連について市は「直接的なつながりを断言することはできないが『高崎で子どもを育てたい』『高崎で働きたい』と思ってくれる若い世代が少しずつ増えているのかもしれない」と話しています。
市長は「ブランド力」ということばを使い、これまでの政策に胸を張っています。
高崎市 富岡市長
「高齢者が住みやすい街というのは大前提です。でも地方はそれだけではいけない。若者にも住み続けたいと思ってもらえる街にしなければなりません。そのためにはまず、高崎という街に関心を持ってもらう必要があります。それには街としてのブランド力を上げることが大事なんです」
新型コロナの影響で地方に移り住む動きが進む中、希望の移住先を尋ねたNPOの去年の調査で群馬県は全国5位、過去最高でした。地方都市にとっては「追い風」とも言える状況で、いかに“その街らしさ=特色”をアピールできるかが重要だと感じています。
高崎市は、ほかの街とのレースをけん引する存在になれるのか。
今後も担当記者としての目を光らせ、見つめていきたいと思います。