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東日本大震災11年 浪江町出身の男性が書いた脚本 「未来の光へ」

  • 2022年3月31日

東日本大震災の発生からことしで11年。当時小学3年生だった福島県浪江町出身の男性は、震災を伝え続けようと、自分自身の経験を元に映画の脚本を書きました。
「震災があったということを過去のものにしない」そう語る男性の脚本に込めた思いを取材しました。
(横浜放送局/記者 佐藤美月)

2022年3月11日に感じたこと

映画用の脚本、タイトルは「未来の光へ」です。福島県浪江町で被災した主人公が、避難先でのいじめなどを乗り越え、前を向くまでの姿が描かれています。
脚本を書いたのは齊藤希歩さん(20)。小学校3年生の時に浪江町で被災し、以来、避難生活を送ってきました。震災から11年目となる2022年3月11日。齊藤さんは東京・渋谷に来ていました。

齊藤希歩さん
「3月11日を迎えるのは“怖い”じゃないですけど、それまでは普通に過ごしていたのに2時46分になるとそれまでの暮らしが壊れて混乱した状況というのが毎年強烈に頭の中に浮かんできます」

 

地震が発生した午後2時46分。街はいつもと変わらず、多くの人がただ行き交っていました。齊藤さんは、2時間ほど街を歩き回りましたが普段と違った様子は見つけられなかったといいます。

齊藤希歩さん
「11年前のことが忘れられているような気がしてちょっとなんか息苦しいというか、心が苦しくなる。そのことばかりに執着するのは違うと思うけど、心のどこかに持っていてほしいというのはあります」

“震災を伝え続けていきたい”

齊藤さんは今、震災を伝え続けていきたいと川崎市の映画の大学で脚本作りを学んでいます。脚本「未来の光へ」は、自らの経験を元に書き上げました。

小学生のころ

11年前、原発事故のため町内全域に避難指示が出された浪江町。齊藤さんの家族は、別の市に住む親戚の元に身を寄せましたが、小学校でいじめに遭い学校に通えなくなったといいます。脚本には、そのとき感じた自身の思いが書かれています。

「よくわからんところから来て我が物顔して、俺たちの街に住まれて、しかも政府からは金をもらって」「みんな同情しているように見えて、心の奥底では嫌っている」

齊藤希歩さん
「原発のせいで避難してきたっていうレッテルがあったからいじめとかもうけたのかなと思います。本当に頼れるものが何もなくてどこにも居場所がないんだっていうのを感じていました」

中学校のアルバム

その後、齊藤さんは福島県二本松市で再開した浪江中学校に入学。再び地元の友人たちと過ごす中で気づいたのは、“当たり前の日常の大切さ”でした。

「あの日、当たり前の日常がどれだけ簡単に崩れてしまうのかがわかった。だからもっと一日一日を大切にしなくちゃいけなかったんだなって」

齊藤希歩さん
「突然日常が失われるはかなさとか、そこにあるのって絶望とかそういう言葉だけじゃ語りきれないようなものがあると思っているので、そういうものを書きたいし、逆に新しい日常をどういうふうに取り戻していくかっていうのは長い期間、大切なものを失った自分だから描けるものなのかなって思ったりします」

ふるさと浪江町で感じたこと

3月末、春休みを利用して福島県に帰省した齊藤さん。いつものように家族で浪江町を訪れました。向かったのは、自宅のあった場所です。家はすでに取り壊され残っていませんが、今でも家族にとっては、ここが帰る場所となっています。

手放す気もないですし、帰ってきてちょっと寄っていくだけですけどもね。そんな場所がやっぱりなきゃいけないなって思っていますから。

いちばん思い出のある場所です。

希歩さん

心のふるさととかって思えるのは、ここがあるからなのかな。

 

現在、浪江町は一部で避難指示が解除され、少しずつ人が戻ってきています。齋藤さんは、そうしたふるさとの姿を見るたびに前向きな気持ちになれるといいます。

“震災があったことを過去のものにしない”

今回、齊藤さんは、初めて両親に脚本を見せました。脚本の最後は、主人公たちが未来に向かって進んでいく決意を込めた自作の歌を合唱する姿で締めくくられています。

「大切な思い出胸に秘め絶対忘れない」「真っ暗な世界に一筋の光未来への扉へ走り出そう」

大変な思いをしたけれども、やっぱり進んでいかなきゃいけないっていう、そういう気持ちになれる。

やっぱり立ち止まってはだめなんだよね。いつまでもそれを引きずっていたんでは、前にも進めないし、それを経験したことによって、前に前に前に前にずっと行かねえと。

 

あの震災が忘れられないよう、被災しても立ち上がり懸命に生きている人々の姿を伝え続けていきたい。今の齊藤さんの思いです。

齊藤希歩さん
「震災があったっていうことを過去のものにしない。地震もあったし津波もあったし原発事故もあってみんな避難して、でも確かに前を向いて歩いてきて、今ある日常があるんだよ、絶対にその日常はいつか取り戻せるよっていうのを伝えていきたい」

取材後記

「自分より辛い思いをしている被災者もいるのに自分が発信していいのか。もっと辛い思いをしている人はどう思うだろうか」
取材の中で、齊藤さんは、震災を伝え続けることへの葛藤も話してくれました。それでも、自分にしか伝えられないことがあると信じて書き続けていこうと思ったそうです。あの震災の発生から11年。齊藤さんが渋谷の町なかで感じたように少しずつ当時の記憶は薄れていっているかもしれません。そうした中で、齊藤さんが書いた脚本は、震災の記録の裏にあるひとりひとりの姿やその感情を私たちに伝えているように感じました。

  • 佐藤美月

    横浜放送局 記者

    佐藤美月

    2010年入局。甲府局、経理局を経てことし7月から横浜放送局。児童福祉や教育などをテーマに取材。

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