「お客さんとして、堂々とその店にいられることがすごくうれしい」
ある飲食店で食事をした感想を尋ねた時に返ってきたそのことばに、私は胸が熱くなりました。
誰だって大切な人たちと一緒に、いつでも、どこでも“食”を楽しみたい。
これまでかなわなかったその願いを実現するための、小さいけれど、とても大きな一歩の話です。
(首都圏局/記者 石川由季)
食事は一生を通して誰もが大切にしたいもの。食について、障害や高齢になったために困ったことや、こうなったらいいなと思うことのご意見をお寄せください。いただいたご意見から“食のバリアフリー”の取材を深めたいと思います。
私が「摂食嚥下障害」の取材を始めたのは、ことし2月のことでした。
摂食嚥下(えんげ)障害とは
食べ物をかんだり飲み込んだりする力が低下していく障害。体のまひや、加齢などによって動きがスムーズに行えなくなる状態。
摂食嚥下障害の子どもたちの家族が集まり、食事の悩みを相談したり工夫を共有し合ったりする「仮想スナック」があると聞き、取材を始めたのです。
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嚥下障害があっても楽しい食事を「もぐもぐは、それぞれ!」
話を聞かせてくれたのは、取り組みの中心メンバーの加藤さくらさん。
次女の真心(まこ)さんは進行性の難病で、年々、かむ力や飲み込む力が落ちていっています。こうした障害のある子どもたちは、通常の食事をとることが難しい場合でも、その食事をミキサーでペースト状にするなどして、口から食べたり、鼻のチューブや胃ろうから食べたりと、さまざまな“もぐもぐ”の形があることを加藤さんが教えてくれました。
一方で、食事をしていると周囲の人に好奇の目で見られたり、外食先がなかなかないなどの悩みもあると言います。
障害があっても、当たり前に食を楽しめる機会を増やしたいと、加藤さんはこれまで同じ障害のある子どもを持つ親などとともに、大手菓子メーカーに飲み込みやすいお菓子の食べ方を提案するなど、企業に支援を呼びかけてきました。
外食先で食べる物がないから外出できないとか、ペースト食の見た目を汚いって言われてすごく悲しくなったとか、つらいことをあげたらキリがなかったです。
だから逆に“嬉しかったこと”を集めていこうってなって。お店でこういうサービスしてもらって嬉しかったとか、そういうことを発信して、企業に伝えていこうと思いました。誰でも食を楽しめる世の中にしたいと思っています。
加藤さんのSNSの投稿を見て、私のスマホをスクロールする手がぴたっと止まり、胸がいっぱいになりました。
ようやく、始まるんだ・・・!
それにしても“そしゃくはいりょしょく”って?
聞き慣れない言葉ですが、今回、全国チェーンのスープ専門店が加藤さんたちの依頼に応えて動き出しました。
11月、東京・立川市の1店舗で、試行的に摂食嚥下障害の人たち向けのサービスが期間限定で始まったのです。
新たに作られた、かむ力が弱い人向けの8種類のスープが集められたメニュー表です。
メニューは、「ほとんど噛まなくても飲める」かぼちゃやさつまいものスープ、それに「舌でつぶせるくらいの具材が入った」たまねぎのスープなど、障害の程度に合わせて3種類に分類されています。
その場でそれぞれの障害の程度に合わせて、具材を切ったりつぶしたりできるよう、調理器具の貸し出しも行われています。木製やシリコン製のスプーンは軽く、障害があっても持ちやすいものです。
加藤さんも娘の真心さんと、さっそく店を訪れました。
ふだんの外食先では、かむ力が弱い真心さんが安心して食べられるものがメニュー表で見つからないことが少なくありません。でもこの日のメニュー表には、食べられるものばかり。真心さんは、自分でメニューをじっくりと選び、家族と同じスープを楽しむことができました。
加藤さくらさん
「お客さんの一員として、しっかり堂々といられるのがすごくうれしくて。こういう、一人ひとりを考えてくださるサービスがあるとまた行きたくなるし、広げたくなります。行く先、行く先で困難があると外出もすごくおっくうになってしまうけれど、自分がいても大丈夫なんだってウエルカム感がある環境がすごくいいです」
今回、試行的にサービスを始めたのは、全国でおよそ60店舗のスープ専門店を展開する企業。
「Soup for all!」のコンセプトを掲げ、食のバリアフリーを進めてきました。
これまでにも、ベジタリアンスープやハラル対応のスープなど、食事への配慮が必要な人に向けた商品の開発を手がけてきたのです。
企業では、加藤さんからの要望を受け、まずは摂食嚥下障害のある子どもたちと食事を食べることから始めました。
どうやって食事を楽しんでいるの?
使っている食器は?
外食先で席につくまでにどんなことに困っている?
企業側の担当者も、こうした障害がある子どもたちと食事をともにするのは初めての経験だったと言います。そして、どのようなサービスであればすぐにでも始められるかを検討し、対象となる店舗の従業員には、理解を深めてもらうための研修も実施しました。
今回は、1店舗で期間限定の試行的な取り組みでしたが、障害があっても食べられる新商品の検討も始めていて、障害のある子どもだけではなく、かむ力や飲み込む力が落ちてきた高齢者など、より多くの人にスープを楽しんでほしいと考えていると言います。
企業の担当者 加藤晴子さん
「今すぐにでも、少しでも早く当事者の皆さんが笑顔になれる瞬間を迎えるには何ができるだろうと考えて取り組みを行いました。これからも、0歳から100歳まですべてのかた、一人ひとりの方に向き合って何ができるかを企業として考えつつ、リアルなお客さまの声、必要としてくださる方の声を拾って、今後の展開にしていきたいです」
“食のバリアフリー”をさらに進めようと、加藤さんは次に動き出しています。
12月に都内のカフェで企画したのは、すでに障害のある人たち向けの食事の取り組みを進める企業の担当者のトークセッションの催しです。当事者の人たちに向けても、会場のカフェで食事を楽しんでもらったり、飲み込みやすいように、とろみをつけたお酒を飲むことができます。興味を持つ企業の担当者に話を聞いてもらうことで、取り組みの輪を広げたいと考えています。
イベント名は「ENGE Night(エンゲナイト)」。嚥下というあまり聞き慣れない、難しいことばを身近に感じてもらいたいと考えました。
かむ力や飲み込む力が弱くなる摂食嚥下障害は、加齢などによって、この先誰にでも起こり得ることだからです。
加藤さんは、障害があっても、年をとって飲み込む力が弱くなっても、食を楽しめる場を広げたいと、これからも活動を続けます。
加藤さくらさん
「『胃ろうの子とか、摂食嚥下障害の子って見かけない』っていう声が多いんですけど、そりゃそうだよって思います。外でサービスがないから行けないし、行く場所がないから、そこの場にいないだけ。知られていないっていう負のスパイラルがあります。サービスがあるから行く、そういう人たちがいるっていうことを世の中に認識してもらう。サービスに付随してインクルーシブな社会がともに生まれていくっていうような、いい循環ができればいいなと思っています」
“子どもと笑顔で食事がしたい” “栄養があるおいしいものをたくさん食べさせてあげたい”
こうした子どもに対する思いを、障害があるためにかなえることが難しい状況を初めて知ったとき、胸が締めつけられる思いがしました。
ことしの秋、コロナの影響でなかなか会うことができなかった祖父と3年ぶりに再会すると、年をとって歯が悪くなったことをきっかけに、炊きたての白飯ですら柔らかいおじやにしなければ食べられない状態になっていました。かむ力、飲み込む力が弱まるということは、誰もが直面する可能性があることだと、改めて突きつけられた気がしました。
“食を楽しみたい”という思いを多くの人がかなえることができるように、「食のバリアー」をどうしたらなくしていけるのか。これからも、取材を続けたいと思います。