WEBリポート
  1. NHK
  2. 首都圏ナビ
  3. WEBリポート
  4. ヤングケアラー 5人の子どもを育てる“うつの母”に聞いた

ヤングケアラー 5人の子どもを育てる“うつの母”に聞いた

  • 2021年10月15日

30年ほど前からヤングケアラーの支援に取り組んでいるイギリスでは、ヤングケアラーの子どもたちだけでなく、その家族も支援の対象となっています。
重いうつのため、家事や自身のケアは長女が担ってきたイギリス人の母親は、こうした支援を受けて、家庭の状況が大きく改善したと話します。
子どもに頼らざるをえないことへの葛藤は?支援を受けることについてどう感じたの?
母親に話を聞かせてもらいました。
(国際部/記者 山本健人)

重いうつを発症、長女がヤングケアラーに

今回、話を聞かせてもらったのは、イギリス中部にある都市シェフィールドで、10歳から19歳の5人の子どもたちと暮らしているミシェル・モナハンさん(37)です。

山本

何が重いうつを発症するきっかけとなったのですか。

ミシェルさん

母の死がきっかけです。28歳の時、けんかをすると暴力をふるうことのあった元パートナーのDVがエスカレートしたので、元パートナーとの間にできた5人の子どもたちを連れて隣町に住む母の近くに移り住みました。母は、私の決断を尊重してくれましたし、悩みがあると相談に乗り、子育ても手伝ってくれました。子どもたちも本当によく懐いていました。
でも、その5年後に母が子宮けいがんで亡くなり、私は気持ちがふさぎ込むようになっていきました。そして、重いうつと診断されました。

山本

家庭にはどんな影響がありましたか。

ミシェルさん

当時、掛け持ちしていた介護施設やホテルの清掃の仕事を辞めざるをえなくなったほか、私に代わって当時セカンダリースクールに通っていた16歳の長女が、家事やきょうだいの学校への送り迎えを担うようになりました。うつの症状が重い日は、一日中ベッドから起きることができなくなり、同じころには、足の神経痛やつい間板ヘルニアも発症して、長い時間立っていることなどが難しくなったからです。
また、私自身の介護やケアでも長女に頼ることが多くなっていきました。長女は、家のことを優先せざるをえなくなり、学校を休みがちになって、卒業も難しい状況になってしまいました。

「“うつ”のママでごめんね」

ミシェルさん(右)と長女(左)

山本

長女に頼ることへの葛藤はありましたか。

ミシェルさん

長女に感謝する一方で、常に罪悪感を抱いていました。母親として最低限のことさえしてあげられず、子どもに頼らざるをえないことが何より苦しかったです。
私のケアや家事のために彼女自身の時間を確保できない状況を見て、「“うつ”のママでごめんね」と何度も心の中で謝っていました。母親としての自信を失い、「これは本当の自分じゃない」と何度も自分自身に言い聞かせようとしました。

山本

誰かに支援を求めようと考えたことはありますか。

ミシェルさん

もちろん長女の状況を改善したいと思っていました。また、母親らしいことをできるようになりたいと願っていたので、支援を求めるしかないこともよくわかっていましたし、実際に、何度かSOSを出してみたこともあります。
しかし、支えてくれると思っていたソーシャルワーカーや学校の関係者から、かえってネグレクトや虐待を疑われたり、非難されたりしたことで、SOSを出せなくなってしまいました。誰かに支援を求める自分は「ダメな親」だと考えるようになりましたし、周囲からそう思われるのが怖かったのだと思います。

支援のきっかけは“ヤングケアラーの支援団体”

山本

何がきっかけで支援につながることができたのでしょうか。

ミシェルさん

長女の授業の出席率が低いことを不審に思った学校が、ヤングケアラーの支援団体に連絡したのがきっかけです。団体はヤングケアラーだけでなく、その家族も支援するプログラムを行っていて、長女への支援と並行して、担当者が家を訪れ、私の悩みの相談に乗ってくれるようになりました。

支援団体の活動に参加するミシェルさん

山本

支援を受けることに警戒感はありませんでしたか。

ミシェルさん

はじめは「どうせ私のことなんか信用してくれない」と、警戒感を抱いていました。ただ、支援団体の担当者は私を責めることなく、何度も足を運んで私の現状を理解しようとしてくれました。その中で、私自身少しずつサポートを受け入れてみようかなという気持ちになりました。

支援を受けて薄れていった孤立感

山本

支援を受けて、状況はどう変わりましたか。

ミシェルさん

支援団体の担当者は、私ができることとできないことを整理し、介護やケア、それに家事が長女に集中しないよう、家族全員で分担する案を一緒に考えてくれました。
また、子どもたちの学校やソーシャルワーカーの間に入ってくれたり、公的サービスにつないでくれたりしました。長女は団体のアドバイスを受けて、授業の進め方を柔軟に選べる学校に転校したことで、無事に卒業することができました。

山本

ミシェルさん自身への支援にはどんなものがありましたか。

ミシェルさん

支援団体は、子どもに介護やケアなどを頼らざるをえない親が集まることのできるグループワークを定期的に開いていました。そこに参加して、同じ境遇の母親たちと一緒に語り合う中で、悩みを抱えていたのは私だけではないことがわかり、孤立していた感覚がなくなりました。
その結果、少しずつ母親としての自信を取り戻せるようになり、いまでは安定して過ごせるようになっています。この夏、団体の助けを借りて、長女と一緒にペットトリマーの資格が取れる専門学校に入学しました。将来、2人でドッグサロンを開くのが夢です。

人に助けを求めることは恥ずかしいことではない

山本

日本で同じ悩みを抱える親や関係者にメッセージはありますか。

ミシェルさん

支援を求めることは「私はダメな親です」と手を挙げることではありません。また、人に助けを求めることは恥ずかしいことでもありません。子どものことを一番に考えて、最善のことをしている証拠なんです。
一方で、社会の側にも、支援を必要としている親への偏見をなくし、SOSを出しやすい環境を作っていくことが求められていると思っています。

 

イギリスの“ヤングケアラー家族”支援について紹介した記事はこちら

  • 山本健人

    国際部 記者

    山本健人

    2015年入局。初任地・鹿児島局を経て現所属。 アメリカ担当として人種差別問題などを中心に幅広く取材。

ページトップに戻る