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戦争に心を壊された元兵士の父親をもう一度見つめ直す息子たち

  • 2021年8月23日

「父は“戦争ボケ”と言われていました」
ある男性が、旧日本軍の元兵士だった父親について書いた手記の一節です。
命からがら戦争から帰った父親が、それまでの戦争礼賛から一変した社会になじめずにアルコールに依存する状態になり、酔うと周りの人たちに戦争の話ばかりをした様子を、近所の人たちがそう言ったというのです。
父親について語ることのなかった息子が、父親の年齢を超える中で、あらためてその境遇を振り返り、その心のひだになんとか触れようと模索しています。
(首都圏局/ディレクター 梅本肇)

“軽蔑していた父” 息子が語る苦悩の戦後

「父親を尊敬したことは、1回もないんです」
こんなことばとともに、戦争から帰った父親との戦後の生活について語る講演会が開かれました。

講演を行ったのは東京・武蔵村山市に住む黒井秋夫さんです。
黒井さんの父・慶次郎さんは20歳で陸軍に入隊し、旧満州や漢口など中国戦線に計6年間従軍。軍曹として戦いました。軍隊時代のアルバムには、「昭和維新をかざる導士たらねばならない」といった勇ましい文言が並び、数多くの戦闘に参加したことも読み取れます。

陸軍時代の黒井慶次郎さん

ところが、33歳の時に中国で終戦を迎えたあと、34歳で帰国すると写真とは打って変わって、無気力な日々を送るようになったそうです。

黒井さんが生まれたのは、その2年後のこと。
父は、人と会話を交わすこともほとんどなく、定職に就くこともなかったため、家族は貧しい生活を余儀なくされました。
黒井さんは、次第に慶次郎さんのことを軽蔑するようになり、「こんな男には絶対になるまい」と考えるようになっていったと言います。
その経験から「父を尊敬したことは一回もない」と語ったのです。

講演会では、父親が亡くなる少し前にみんなで出かけた時の映像を見せて、こう説明しました。

「孫と一緒に河原で、バーベキューする場面ですが、私の父親は、孫が、いくらじいちゃんと言っても表情も変わらないし、何も答えない。ピースしてくれ、早くしてくれといっても、何も答えない、そういう父親です」

ベトナム従軍兵の苦しみ 重なる父の姿

31年前に慶次郎さんは亡くなりましたが、無気力だった原因はずっと分からないままでした。
しかし、6年前、黒井さんが父親の印象を改める転機が訪れます。ベトナム戦争から帰還した元アメリカ兵の話を聞いたことです。

元アメリカ兵は「戦場の恐怖が突然よみがえって悲鳴を上げたり、神経が異常に過敏になって、ささいなことで家族を怒鳴りつけたりといった行動を繰り返した。それによって家族との関係を築けなかった」と語ったのです。その話を聞いたとき、黒井さんの中で慶次郎さんの姿が重なりました。

晩年の慶次郎さん

「ひょっとしたら親父もあの戦争で心を壊されて、ああいう姿になってしまったのではないか」

講演会で黒井さんは、父が戦争で負った心の傷に目を向けることなく、ずっと軽蔑してきたことへの後悔の思いを振り絞るように語りました。

「実は私は、長いあいだ、父親を本当に尊敬していなかったし、まともに、言い方は悪いけど一人前の人間と私は思っていなかったので、相談とか、そういうことをしたことは、一回もないんです。ただ一緒に暮らしているだけ、本当に冷たい人間だったのかなと、ずっと思って自分をある面でいえば、このことに気づいてからも責めてきました」(講演会)

この講演会は毎年、東京・小平市で開かれている「平和と未来のひろば・小平」。風化が進む戦争の記憶を後の世代につないでいくことなどを目的として行われているイベントで、今年で3回目を迎えます。26年前から毎年戦争展を行ってきた団体の歩みを引き継ぎながら、来場者と交流する双方向の取り組みも行いたいと、展示や講演会以外にも来場者と講演者が語り合う機会などを設けています。

私の父は“戦争ボケ”と呼ばれた

黒井さんの講演会には、同じような経験をもつ男性が話を聞きに来ていました。講演が終わると手を上げて、語り始めました。

「黒井さんの話を聞いて、胸がつぶれるような気持ちです。黒井さんは、お父さんとご一緒に暮らしていて、お父さんと心の交流がうまくできなかったのかなと思って・・・」

共感の思いを伝えたのは所沢市に住む森倉三男さん(67)です。

森倉さんの父・可盛(かもり)さんは戦時中、飛行機の整備兵として南方の激戦地を転戦しました。
そして戦後、日本へ帰ると地元の北海道で開拓などの仕事をしていましたが、思うようにいかず、次第にアルコールに依存するようになりました。

森倉さんは子どものころ、酒に酔った可盛さんが、戦地で自分のいた飛行場がたびたび爆撃の対象となり、多くの戦友が亡くなったという経験を何度も話していたのをよく覚えています。

「俺というのは、こんなに大変な経験をして、生死を分けるような経験をして、そしているんだぞっていうふうな事を繰り返し、それは本人から湧き上がるように語って聞かせていました」

可盛さんは、森倉さんが20歳の時、火災で亡くなりました。56歳でした。

さげすまれた父を見つめ直して

森倉さんは、これまで父の話を誰にも話してきませんでした。しかし、戦後76年が経ち、生前の父を知る人が少なくなる中で、自分たち家族が戦争の実態を残さなければ事実そのものがなくなってしまうという思いが強くなったといいます。

そこで、生前の父を知る兄弟や親戚など10人以上から聞き取りを行いました。
そこから浮かび上がったのは、戦後、可盛さんが“戦争ボケ”と呼ばれ、社会の中で疎外されていったという事実でした。

この日、森倉さんは兄の次郎さんとともに戦前の父を知る叔父から電話で話を聞き取ることにしました。

次郎さん:「叔父さんから見て父ちゃんは戦争ボケだと思ってた?」
叔父さん:「戦争ボケだと思わんけどな」
次郎さん:「いつも飲んで焼酎飲んで戦争の話をするのもしかたなかったと思った?」
叔父さん:「そう思うね。誰だってそうでしょう。辛いことあってそういう事あったら顔とか態度とかに出るのは当たり前でしょ」

アルコールに溺れた父を非難するのではなく、その父を追い込んだ戦争を責める叔父の言葉。森倉さんは、叔父の複雑な胸の内を感じていました。

こうした聞き取りを続ける中で森倉さんは、父をアルコールに溺れさせたのは、戦争体験だけではなく、もう一つの原因があるのではないかと考えるようになりました。
それは「社会の手のひら返し」です。尊敬と称賛のまなざしを一身に受ける存在だった兵士たちが、命を懸け、あるいは生死の境をくぐりぬけて帰って来たにも関わらず、終戦を境に一気に周囲が冷淡に変わっていったこと。その変化への深い絶望だったのではないかと思うようになったのです。

あらためて父を見つめ直すことでわかってきた、父をとりまく環境の変化と心の傷。
森倉さんたちは、こうした背景を含めて手記をまとめる作業を進めました。

父の生きた証を残したい 手記で次の世代へ

7月下旬、できあがった手記の第一稿を、森倉さんは子どもや孫たちに見てもらうことにしました。

森倉さんの妻
「似てる?じいじに」

「すっごい似てる~」
森倉さん
「そうか?」
森倉さんの妻
「ひいじいちゃんの方がハンサム。ハハハ」

「それ言っちゃダメなやつ・・・」

孫たちは屈託のない表情で手記を読んでいます。初めてふれるひいおじいちゃんの面影でした。
このとき、森倉さんは手記に込めた思いを息子の遊さんに話しました。

森倉さん 
「おじいちゃんは街でもアル中で有名だったけどさ、せめてうちの家族に起こったことはうちの家族だけでも、多少なりとも、こうだったんだよと伝えていくのがいいんじゃないかと思ってこの手記を作った。恥ずかしいことでも語らなければ乗り越えることができないと思う」

息子・遊さん 
「これまでも、おじいちゃんの話は、ほとんどしたことがないと思う。これを通じて私のなかでの、おじいちゃん像、ああ、こんな人がいたんだということは感じることができた。この手記を残した意味ということで、少なくとも私の代までは、伝わったと思うから、よかったんじゃないの」

家族に父・可盛さんのことを伝えた森倉さんの表情はどこか安堵しているように見えました。手記には、森倉さんの思いが次のことばで記されています。

あえて家族体験をさらすのは、私たちの家族も他の家族と同じように戦争体験者の家族であり、そこで見えた戦争の具体的な姿を伝えるためです。歴史の中の戦争は、実際に戦後の私たち家族の生活を形作りました。今後、末永くこのようなものが書かれないことを願って兵士の家族体験を伝えます。

取材を終えて

今回、番組を制作するにあたって、黒井さんや森倉さんと同じように戦争から帰った父親との関係に悩みを抱えてきた方々にお話を聞かせていただきました。
家庭内暴力やアルコール依存症、薬物中毒など、戦争に行く前とは変わってしまった父親の姿を目の当たりにしてきた家族の方々。その多くが、今まで父親のことは「家族の恥」だと思い他人には語ることができなかった、父の存在を隠して生きてきたという方々でした。今でも父のことを恨んでいると教えてくださった方もいました。
戦争が終わり76年を経てもいまだに悩みを抱え続けている、そして悩みを人に話すこともできなかったと話される姿に戦争が個人に与える影響の大きさ・根深さを改めて感じました。

●黒井さんが作っている「PTSDの日本兵と家族の交流館」
https://www.ptsd-nihonhei.com
電話 080-1121-3888

●黒井さんが講演したイベントについて
詳細につきましては平和と未来のひろば・小平 実行委員会のツイッター
平和と未来のひろば・小平(@heiwatomirai)で情報発信を行っています。

  • 梅本 肇

    首都圏局 ディレクター

    梅本 肇

    2016年入局。大阪局を経て2020年より首都圏局。かつての戦争やコロナ経済の取材を継続的に行っている。

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