3人の子どもと笑顔で写真に収まる女性は、幼いころ、重い障害のあった妹の介護を担い、自分の気持ちにふたをして生活していました。
「家族に愛してもらうには、“いい子”でいなければと感じていた」
当時をこう振り返った女性は、いま家族の介護を担っている子どもたちに伝えたいことがあります。
(首都圏局/記者 石川由季)
都内に住む東洋美さん(33)には、5歳離れた双子の妹と弟がいました。
妹には重い知的障害と身体障害、弟にもぜんそくがあり、入退院を繰り返していたそうです。
母親と妹と ピースをしているのが洋美さん
両親は共働きで、特に母親は仕事が忙しかったのに加え、病院への付き添いなどでいつも疲れ切っていました。
東さんはいつのまにか「ママ怒ってる?」が口癖になったと話します。
東洋美さん
「病院に寄って職場に行き、家事をしてまた病院に行くような毎日で、すごく疲れて帰ってきていたので『ママ怒ってる?』と何度も聞いていました。親の顔色を常にうかがっていて、私ががんばらなきゃ、家族を支えなきゃという気持ちになりました」
当時、小学生だった東さんにとって、かわいい妹のためにオムツを替えたり、栄養剤の準備をしたりすることは当たり前のことでした。
鍋や煮物など夕食の準備をすることもあり、小さな母親のようだと「ちぃママ」と呼ばれることもありました。
左が妹の幸生さん 右が洋美さん
そうした生活の中で、自分が好きなことはできなくなっていきました。
家族のためと思って、妹たちのケアを担ってきましたが、毎週のように家族で出かける友人たちを見ると、複雑な気持ちだったといいます。
東洋美さん
「家族みんなでのんびり過ごすとか、一緒にゲームをするとか、普通の家族がしていることはできませんでした。家族のために頑張っていた自分を誇りに思いますが、体や気持ちの面ではすごく負担もあったし、子ども時代を犠牲にしていたと感じます」
この頃、東さんはある思いを抱えていました。
それは、親の関心が向いていた妹たちに比べ、自分は家事や妹弟のケアをする“いい子”でいなければ、愛してもらえないのではという感情です。
東洋美さん
「妹は寝たきりで介護を受けていましたが、生きているだけで『生きていてくれてありがとう』と言われる。私は何かしないと『ありがとう』なんて言ってもらえない。頑張っていない自分には、価値がないと思い込んでいました」
そして、誰にも悩みを打ち明けられないまま、妹は東さんが高校生のときに亡くなりました。
妹を亡くした悲しみだけでなく、親の顔色ばかり見ていた幼少期の経験は、大人になった東さんを苦しめました。
自分の気持ちにふたをして相手の顔色をうかがうあまり、周囲とうまくコミュニケーションが取れないこともあり、うつ状態になった時期もありました。
妹が大切にしていたぬいぐるみ
当時は「きょうだい※」や「ヤングケアラー」といったことばは知らず、幼いころの自分が公的な支援の対象になるという認識もありませんでした。
※きょうだい
障害や病気のある兄弟姉妹がいる人たちのこと。小さなころから親の代わりにケアを担うケースがあり、近年、当事者団体や支援団体が増えている。
東さんが「ヤングケアラー」ということばを知ったのは、2年前に1人の女性と出会ったことがきっかけでした。
自身も障害のある妹がいる、三間瞳さんです。
左の女性が三間さん
三間さんの経験を聞いて、東さんはまるで自分のことのようだと感じました。
東洋美さん
「私の家は特殊だったんだと思ってきましたが、『ヤングケアラー』ということばや、同じような悩みを抱えている人がいると知りました。仲間に出会えたっていう気持ちになりました」
この出会いをきっかけに、東さんは三間さんたちとともに、映画「ふたり~あなたという光~」を製作し、広報担当を務めることになりました。
左が東さん 右が三間さん
この映画の主人公は、東さんや三間さんと同じように障害のある妹がいる女性です。
結婚など人生のさまざまな場面で直面する、生きづらさを描いています。
東さんが、最も心に残っているシーンがあります。
主人公が婚約者から「本当はどうしたいの?」と尋ねられるシーンです。
「あなたは、どうしたいのか」
自分の気持ちにふたをして生きてきた東さんが、幼いころに言ってもらいたかったことばでした。
今回、東さんの母親にも話を聞かせてもらいました。
母親が語ったのは、東さんを頼りすぎたことへの申し訳ない気持ちでした。
母親
「当時は、迷惑をかけたと申し訳なく思います。見えないプレッシャーをかけていたと思うし、夫は『妹たちが大変なんだから、2倍、3倍頑張れ』と言っていました。洋美が元気で頑張ってくれていることが励みだったので、『あなただけはしっかりしてね』となっていたんだと思う」
東さんは、大人になってカウンセリングを受けたことで、当時の苦しさを母親に伝えることができ、今では良好な関係を築いています。
当時を振り返って東さんは、親も家族以外の人に「助けて」と言えなかったのではないかと考えています。“家族の介護は、家族で担う”という考えが今よりも強い時代だったからです。
東洋美さん
「母親たちを責めるつもりは全然ありません。むしろ当時、誰かに母たちを助けてほしかった。1人の命を支えるのは、責任もとても重いこと。『助けて』と声があげられたり、『ちょっと休んだら』と言ってあげられたり、社会で支えるようにできれば、少しは救われたんじゃないかと思います」
東さんはいま、3人の子どもを育てる母親です。
笑顔で過ごせているのは、夫の支えも大きいと話します。
夫はありのままの東さんを受け止めてくれた
東洋美さん
「映画で主人公が言ってもらったように、『あなたはどうしたい?』と夫は聞いてくれました。そう言ってくれる人が現れたことで、ようやく私は自分らしく生きようと思えるようになりました」
いま、自分の人生を生きていると思えるようになった東さんは、家族の介護を担っている子どもたちに伝えたいメッセージがあります。
東洋美さん
「あなたも、あなたの好きなように生きていい。自分の人生を生きよう。難しいかもしれないけど、それを皆で応援するよって伝えたいです」
東さんは、私に何度も言いました。
「ヤングケアラーだったことを誇りに思うし、私はかわいそうな子どもではなかった」
今、まさに苦しんでいる子どもたちに直接伝えるのは酷なことばかもしれないと感じると同時に、ありのままの東さんを受け入れてくれるパートナーや友人と出会えた今だからこそ、伝えられるメッセージだと思いました。
これからも、ヤングケアラーの過酷な経験や悲しみだけではなく、介護する子どもたちの希望や新たな支援につながるようなエピソードも取材し、伝えていきたいと思います。