「今の状況では、長男に漁師を継いでくれとは言えない」
茨城県内有数の港町、北茨城市では、東京電力・福島第一原発の事故のあと、跡継ぎがいないため夫と妻の夫婦で漁をする「夫婦舟」(めおとぶね)が急増しています。こうしたなか、政府は東京電力・福島第一原発で増え続ける放射性物質を含む処理水を、国の基準を下回る濃度に薄めて海に放出する方針を決め、漁師たちに不安が広がっています。
(水戸放送局/記者 齋藤怜)
福島県との県境にある、茨城県北茨城市。
茨城県と福島県の沖合は親潮と黒潮がぶつかる良質な漁場で、北茨城市も原発事故の前には年間1000トンのシラスを水揚げする県内有数の港町でした。
多くの人が漁業や水産業に携わり、まちは活気にあふれていました。
この地で祖父の代からシラス漁を営む酒井正三さん(59)は、将来は長男と一緒に船に乗り、跡を継いでもらおうと思っていました。
しかし、東日本大震災と原発事故で、状況は一変します。市内は最大7メートルの津波に襲われ、多くの住宅や船が被害を受けて、漁師をやめる人も相次ぎました。
さらに、漁協などによりますと、原発事故のあとは2年近くもの間、シラスに値がつきませんでした。
漁業関係者たちによるPR活動などによって、事故から10年がたってようやく価格は回復してきましたが、それでも原発事故の前の6割から7割ほどだといいます。
そのうえ漁獲量も、原発事故の前の半分ほどにまで落ち込んでいます。
北茨城市の漁師にとって、かつては北茨城市と隣り合い豊かな漁場がある福島県いわき市の沖合が主な漁場でした。しかし、原発事故のあとは、福島県の漁協が行っていた試験操業に協力し、福島県いわき市沖での操業を自粛してきました。漁場が制限され、その分水揚げも落ち込んだままなのです。
酒井正三さん
「以前は、自分に限って言うと漁の7割から8割は福島県の漁場だったんです。福島県の漁場に魚がいるのは分かっていても、とりに行けずに指をくわえて見ていないといけないので、とてもつらいです。原発事故の前のように、広い海で漁ができる日が早く来ることを待ち望んでいます」
こうした価格や漁獲量の落ち込みで深刻化しているのが後継者不足です。原発事故後の10年で新たにシラス漁を始めた若者は、3年前の平成30年に船に乗り始めた1人だけ。
そのため北茨城市では、夫と妻の夫婦で漁をする「夫婦舟」が急増しています。
シラス漁は、一般的に、親子2人で行われてきましたが、明るい兆しが見えずにいる漁業を子どもには継がせられないと、代わりに妻が乗るようになったのです。
子どもの代わりに妻が舟に
原発事故前は4隻だった「夫婦舟」は、今は10隻にまで増え、港の船の3分の1余りを占めています。
祖父の代から親子で漁をしてきた酒井さんも、現在は妻と「夫婦舟」で漁をしています。原発事故の当時は高校生だった長男は大学に進学し、いまは会社員としていわき市で働いています。
酒井正三さん
「今でも代々続いてきた船を廃業したくない、守りたいという思いはもちろんあります。今の状況では、長男に漁師を継いでくれとは言えなかったですよね。漁の醍醐味が味わえるような時代になれば、息子に漁師もいいものだって自信を持って言えるんでしょうけど」
妻と「夫婦舟」で漁をする
原発事故から10年。北茨城市では、春シラスのシーズンを迎えています。
早朝のシラス漁を終えて港に帰ってきた酒井さんは、ニュースで、政府がトリチウムなどを含む処理水を、海へ放出する方針を決めたことを知りました。
処理水が入ったタンク
「心の中では、いつかは長男が後を継いでくれないかという気持ちもある」と話していた酒井さんですが、海洋放出によって風評被害が起きるおそれがあると思うと、ますます漁を継がせることはできないと考えています。
酒井正三さん
「原発事故から10年たち、PR活動なども行って価格が戻りつつあったのに、これまでの努力が水の泡になってしまう気がしますし、風評被害がさらに大きくなってしまうのではないかと、ものすごく不安です。後継者不足の問題に追い打ちをかけ、この港の船はどんどん減ってしまう。国や東京電力にはわれわれのところに来て、こういう理由で海洋放出を決定しましたと説明してほしい」