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東日本大震災 茨城に単身赴任した父を失った遺児の10年

  • 2021年3月12日

東日本大震災が起きた10年前のあの日、妻と子を広島に残して茨城に単身赴任をしていた男性は、高さ200メートルもの煙突で作業をしていたところに地震の揺れに襲われ、転落して亡くなりました。突然の父の死から10年。当時中学生だった少年は、社会人になりました。
(水戸放送局/記者 齋藤 怜)

10年前の3月 父親が茨城に単身赴任

茨城から900キロ離れた広島県廿日市市に住む朝島誠さん(23)です。
震災当時は、中学1年生でした。

2010年5月 ユニバーサル・スタジオ・ジャパンで

誠さんは、両親と3人で暮らしていました。
父の高弘さんは、広島市内の建設会社に勤務していました。

朝島誠さん
「父は出張が多くて常に一緒にいるわけではなかったのですが、出張先でもテレビ電話で話したり、土日にたまに家にいるときは家族で出かけたり、常に面白いことを言う父だったので、腹抱えて笑っていたっていう記憶しかないですね」

家族3人でこの公園から宮島の花火大会を見た

10年前の3月、高弘さんは、茨城県東海村にある常陸那珂火力発電所の現場に単身赴任となります。

常陸那珂火力発電所

そして、3月11日。
煙突のてっぺん、高さ220メートル付近で作業中に震度6弱の揺れに襲われた高弘さんは、足場が崩れて落下し、亡くなりました。
40歳でした。

高弘さんが作業をしていた煙突

ついこの前まで、広島で一緒に公園に行って遊んだり、買い物をしたりしていたのに…。突然、遠く離れた茨城で父を失った誠さんは、ショックと悲しみで、それから数年間の記憶はあいまいだと言います。

朝島誠さん
「あの日は友達の家で遊んでいてテレビをぱっとみたら津波のニュースが流れていたんです。僕はそのときは他人事だと思ったんですけど、家に帰ったら『お父さんと連絡がつかない』と母が泣き崩れていて、その時のことはすごく覚えています。次の日、現地に行ったことも覚えてるんですけど、夢を見ているようで、頭では分かっていても、心が追いついてないっていう状況だったと思います。父が亡くなってからの記憶が本当にない。もうぽっかりと穴があいたような、この10年間はそういった時期だったと思います」

被災地から離れた広島 悲しみ打ち明けられず

しかし、被災地から遠く離れた広島では、震災についての話になっても周囲との温度差を感じ、父を亡くした悲しみや苦しさを打ち明けられる人はいませんでした。

心のうちを唯一、相談できたのは母でしたが、母が悲しみに暮れている姿を見て、自分の思いを胸の内にしまい込んだことも少なくなかったといいます。

朝島誠さん
「広島だと、震災のことはあまり知られてないというか。もちろん認識はされているんですけど、心の中までは、やっぱり理解はしていないと思うので、話し合えるといったら母しかいなかったんですよね。ただ、母の傷の深さは感じていたので…」

一時はふさぎ込みがちになったという、誠さん。
そんな誠さんに変化をもたらしたのが、震災遺児の大学進学を支援する「みちのく未来基金」からの電話でした。

母子家庭となり、大学進学をあきらめかけていた誠さんの背中を押してくれたのです。

「みちのく未来基金」の支援で大学に進学した

基金をきっかけに、東北を訪れるようになった誠さん。同じように震災で親を亡くした子どもたちと、知り合うことができました。時には涙を流しながら、お互いの境遇や悩み、心の内の不安を話し合いました

広島と被災地。遠く離れていても、まるで家族のように感じる友達を持つことができたといいます。

朝島誠さん
「西日本の豪雨災害の時も雨大丈夫だった?とかメッセージをいただいて。誰にも言えないけれど、震災の関連でつらい思いをすることがたまにあるんですけど。3・11のニュースが流れたり思い出したりしたら不安定になる時もあるので。そういった時に連絡しあったりとか、会って話したりとかすることもあった。本当に家族のような兄弟のような感じがするので、こうやって心配とか相談とかに乗ってくれて、すごくうれしいですね」

3歳年上の友人からのメッセージ

父の腕時計をつけて 次は自分が遺児の支えに

去年3月に大学を卒業した誠さんが就職先に選んだのは、基金を支援している企業のひとつでした。

次は自分が、少しでも震災で親を亡くした子どもたちの支えになりたいという思いからでした。

誠さんがお守りのように身につけているのは、父のものだった腕時計です。

高校の吹奏楽部で本番の演奏をする時、就職活動の時、大事な商談の時、いつもこの時計を着けて出かけました。ゆるかった腕時計のベルトは、この10年で、ほぼぴったりにまでになりました。
遠い場所で突然亡くなった父が、どこかで見守ってくれているという思いを、常に感じています。

朝島誠さん
「働いている姿をやはり、父には見せたかったですね。父と一緒にいるというか、ちょっと励ましてくれる、応援してくれる、応援してくれよっていう思いで腕時計を着けています。
社会人として頑張っていって、経済的にも豊かになって家族を持って、それを母と父と、基金でお世話になった方々にその姿を見せていきたいなと思っています。父には『もう何も心配はいらないし、お母さんのこともちゃんと僕が見ていくよ』と伝えたいですね」

誠さんは社会人となった今後も基金の活動に参加し、震災当時は幼児や小学生だった次の世代をサポートしていきたいとしています。

  • 齋藤怜

    水戸放送局 記者

    齋藤怜

    2016年入局。県政や原発などを担当。福島県いわき市に生まれ、高校生の時に東日本大震災と東京電力福島第一原発事故に被災し避難。その経験を踏まえ、被災者の取材を続ける。

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