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原発事故から10年 双葉町から避難した男性の苦渋の決断

  • 2021年3月10日

東京電力福島第一原発事故の影響で福島県から関東地方に避難して生活している人は2月の時点でおよそ1万5000人にのぼり、茨城県内には2800人を超える人が避難しています。このうちの1人、福島県双葉町から茨城県つくば市に避難している元町議会議員の男性が、事故から10年となることし、ある苦渋の決断をしました。
(水戸放送局/記者 齋藤 怜)

戻れる見通し経たないまま 避難生活が長引いて

福島県双葉町からつくば市に避難している、谷津田光治さんです。つくば市の公務員宿舎に設けられた仮設住宅で暮らしています。

かつてはおよそ30世帯がここに入居していましたが、近くに家を建てて退去するなどして、いまは4世帯になりました。自治会も去年、解散しました。

原発事故で、双葉町はおよそ7000人の町民すべてが避難を強いられました。

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当時、双葉町の町議会議員だった谷津田さんは、空き家だった公務員宿舎を仮設住宅にしてほしいと、福島県などと交渉し、希望する町の住民たちと一緒に、ここに入居しました。

双葉町の町議会議員だった

入居後も、交流の場を作るなどして、みんなで元気にふるさとに戻ろうと、住民たちを励ましてきました。

しかし、双葉町の復興は進まず、戻れる見通しがたたないまま、避難生活が長引いていきました。

谷津田光治さん
「長くても2、3年ぐらいで、戻れるのかなっていう感じはしていたんですけど、つくばにお世話になってからは、ああ、これはそんな簡単に短期間のうちに帰れそうもないと感じることが多くなりました」

ついの住みかはふるさとの近くに

ことし80歳を迎えた谷津田さん。いつまでこの宿舎に残るのか、何度も悩んできました。

この日、谷津田さんが妻と向かったのは、双葉町の自宅です。双葉町は、いまだほとんどの地域に避難指示が出されていて、住むことができません。この家は、谷津田さんの両親が建て始めたものですが、完成して上棟式という時に父親が倒れ、資金を調達しながら苦労して建てた思い出の家です。

しかしいまは、イノシシやアライグマが家の中に入り、イノシシなどを捕獲するためのわなが仕掛けられています。

谷津田光治さん
「この家が潰れてもよその人に迷惑かけるわけでもないし、住めないと私の半分は諦めてるんですけど、何か、心の底にほんのちょっとだけ意地が残っていて。将来は取り壊しになるんでしょうけど、踏ん切りのつけられないところです」

ついの住みかは、ふるさとの近くにしたい。谷津田さんは、双葉町に近い福島県内に家を建てる決断をしました。今年中に家が引き渡される予定です。

谷津田さん
「先祖が残してくれた田畑も福島にありますし、本家を継いだ者としてずっとつくばにお世話になるわけにもいきませんので、双葉町に近くて、今住めるところということで決めました。双葉町はまだ戻ることすらできませんし、あと3年、5年と待てる余裕のある人はいいかもしれませんが、私たちはもう80歳ですから。80っていう年が限度でしょう。双葉町に帰れるんなら、それにこしたことはないんですけどね」

定住する人 宿舎に残らざるを得ない人 それぞれの選択

つくば市を離れる決断をした谷津田さん。この日、部屋に双葉町から避難した住民たちが集まりました。

この男性は、去年、つくば市内に新たな家を建てて移りました。

つくばに定住した男性
「私はもう10年も双葉離れているから、もう双葉町というより、つくばへ来ての人のつながりが、ほとんど占めていて、ここにいる人以外双葉町の人はもうつながりがないからね。だって町はもうないんだ。名前だけあってすでにないと等しいんだからね」

谷津田さんが、何より気がかりなのは、引き続き宿舎に残らざるを得ない人です。谷津田さんが退去したあとも、ここに3世帯が残ります。

この女性は、経済的な事情で出ることができません。

宿舎に残る避難者の女性
「出ろって言われるまでいるしかないんだわ。行く所がない。福島に帰ろうにも帰れないから」

谷津田さんは、福島に戻っても、つくば市に頻繁に通い住民たちと交流を続けたいと考えています。

谷津田光治さん
「まあ10年たってもまだこういう状態なんですけどね。普通だったら10年たったら、もうみんな決まりましたよ、安心して生活できますねっていう期間だとは私は思うんですが、まだ迷っている人がいる。私の力ではあまりできなかったというのが、残念。ここに残る人たちの落ち着く先が決まればいいなとは思っています。最終的に私らを避難させた責任は国にあるはずだと私は思ってるので、国が音頭を取って、県なり町に動いてもらいたいです」

  • 齋藤怜

    水戸放送局 記者

    齋藤怜

    2016年入局。県政や原発などを担当。福島県いわき市に生まれ、高校生の時に東日本大震災と東京電力福島第一原発事故に被災し避難。その経験を踏まえ、被災者の取材を続ける。

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