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「何でいつも・・・」 コロナ禍で高校生が向き合った3.11の記憶

  • 2021年3月5日

東日本大震災で津波の被害にあった千葉県旭市。体験を語り継ぐ場にしようと、地域の市民団体が児童や生徒から津波や海にまつわる文章の募集を始めたのは、5年前のことです。取材しようと、応募作を見せてもらう中で、私の目に飛び込んだ一つのフレーズがありました。

「何で自分達はいつもこんな思いばかりするのか」

このひとことの背景にどんな体験が、どんな思いがあったのか。応募した高校生に話を聞いてみたいと思いました。
(千葉局/アナウンサー 喜多賢治)

卒園直前に被災 津波に奪われた日常

千葉県旭市は、千葉県の北東部、九十九里浜の海岸線が広がる町です。10年前の震災の際、地震発生から3時間近くたって、7.6メートルという最大の津波に襲われ、災害関連死を含めて16人が犠牲となりました。

エッセーを書いた、佐久間珠妃さん(16)です。
10年前の津波でおよそ3700棟の住宅被害があった旭市。中でも被害が大きかったのが、佐久間さんの住む飯岡(いいおか)地区でした。

弟(手前)と踊る震災当日の佐久間さん

その日、佐久間さんは幼稚園にいました。
当時、年長だった佐久間さんは、弟とダンスなどを楽しんでいるさなか、地震に見舞われました。
祖父とともに自宅に戻りますが、その後、近くの小学校に避難することになりました。

- 佐久間さんのエッセーより-
「帰宅後も揺れは続き、テレビや食器が壊れ、家の中にはいられず、祖父母と弟と飯岡小学校の理科室に避難した。慣れない環境、不安とさびしさでなかなか寝つけなかった」

一夜明けて、避難所から帰宅する途中で佐久間さんが目にしたのは、津波に破壊されたふるさとの姿でした。

「津波の話も聞いたが、意味もわからず、いつも穏やかで楽しく遊んだ記憶しかない海が、牙をむいて街に襲いかかっていたとは思いもしなかった。翌日午後の帰り道、飯岡の街が変わり果てた姿を目にした。その世界は衝撃的で、幼いながらも心が痛んだ」

旭市では、1か月以上にわたって断水が続きました。佐久間さんが通っていた幼稚園は休止となり、予定されていた卒園式も延期を余儀なくされたのです。

佐久間珠妃さん
「本来なら、卒園式でも家族写真をたくさん撮っていたと思うんですけど、この後しばらくの間、自分の映った写真がないんですよ。それどころじゃなかったんだと思う」

「計画停電の日は、ろうそくの灯りで過ごした。暗くて静かな夜は怖かったが、電気がついた時、弟の前髪が焦げていて、久しぶりに家族みんなで大声で笑った」

笑うことさえ忘れしまう毎日が続いた、3.11後の暮らし。ただ、月日が流れる中で、その記憶は次第に薄れていきました。それを思い出すことになったきっかけが、新型コロナウイルスでした。

「何でいつもこんな思いをするのか」中学卒業直前のコロナ禍

中学校の仲間と(左から2番目が佐久間さん)

佐久間さんは、中学校では生徒会の副会長を務め、部活動では吹奏楽に打ち込むなど、充実した日々を過ごしていました。しかし、新型コロナの感染拡大を受け、卒業目前で突然休校になってしまいます。
別の高校に進学することが決まっていたクラスメートと会えないまま卒業式を迎え、式では言葉を交わすことも許されませんでした。

「中学卒業間近の2月、今度は新型コロナウイルスの流行で、当たり前の生活が一変した。
突然の休校で、アルバムの寄せ書きも出来ない。卒業式に校歌も歌えず、返事も出来ない。
何で自分達はいつもこんな思いばかりするのか」

コロナ禍の日々で佐久間さんは、同じようにつらい思いをした震災について考えるようになったといいます。

佐久間珠妃さん
「なんでこんな思い、この節目節目にこんな思いをしないといけないんだろうって考えた時に、震災のことをふと思い出して」

 その中で思いついたのが、5年前に町で始まった、震災の体験談などを募集する文芸賞の存在でした。今の気持ちを書いて、そこに応募しようと考えたのです。

佐久間珠妃さん
「人生の節目で2度も生活をめちゃくちゃにされてしまった理不尽さへの憤りもあるし、じゃあ自分が経験した震災にはどんな意味があるのか、今だからこそ考えたいと思ったんです」

コロナで震災が“自分ごと”に

佐久間さんが応募した「旭いいおか文芸賞『海へ』」は、震災や津波を知らない世代が増える中、体験をつなぐ糸口にしようと、地元の市民団体が始めた賞です。震災10年の節目である今回は1200点の作品が集まりました。

旭いいおか文芸賞「海へ」実行委員長 渡邉昌子さん
「津波の直接の記憶がない子ども達が、これからどんどん増えていく中で、震災のことを思い起こし、ふるさとを思い起こす、そういうきっかけに文芸賞がなるのではないかと思っています」

文芸賞実行委員長 渡邉昌子さん(74)

「作品を書くことを通して若い人たちに震災の語り部になってもらいたい」と考える渡邉さんは、コロナ禍の生活をきっかけに、震災の記憶をよみがえらせた佐久間さんの作品を高く評価しています。

「これまでは家庭や学校で教えられた話を書いた作品が多かったんですが、今回は子どもたちが、コロナ禍の自分の不安やつらさから、当時を想像するなど、“自分ごと”として向きあおうとしているのを感じます」

文芸賞のテーマである「語り継ぐ」こと、その姿勢が最も現れた作品として、佐久間さんには旭市長賞が贈られることになりました。

今を大切に生きる

入賞者が集まる朗読発表会で、自分の作品を朗読することになった佐久間さん。当時の記憶をよみがえらせるために、改めて避難した道を母親の典子さんとたどることにしました。津波直後の町の様子を記録した父、勇二さんの写真を手に、歩きます。

津波翌日の様子を撮った父・勇二さんの写真

祖父母や弟と避難し、不安な一夜を過ごした小学校も、久しぶりに訪ねました。あの日、隣町の福祉施設で働いていた典子さんは帰れず、珠妃さんのそばにいることは出来ませんでした。

典子さん
「あの日は理科室で泊まったんだっけ?」

珠妃さん
「ガイコツが近くにあって、見ないようにして寝た(笑)
なんでお母さんいてくれないんだろうって、さみしかったよ」

典子さん
「本当にごめんね。珠妃の顔を見た時、胸がしめつけられる思いだった」

胸の奥に秘めていたあの日の気持ちを、珠妃さんは再び現場に立つことで言葉に出来ました。

地区にある防災資料館にも足を運びました。どうしても見てみたい展示物があったからです。

津波が町を襲った午後5時26分で、止まった時計です。当時、佐久間さんの自宅近くにあったJAの玄関前に置かれていました。
旭市では、地震の後、午後3時台に津波の第1波、続いて第2波に見舞われました。しかし、7.6メートルという最大の第3波が町を襲ったのは、地震発生から3時間近くたってからでした。一度避難した後、安心して帰宅したところを、被害にあってしまった人が多いといいます。

典子さん
「人生が変わってしまった時間なんだね」

珠妃さん
「この町に住んでいる多くの人のね」

津波が自分だけでなく、ふるさとの多くの人の日常を一瞬で奪ってしまったこと。幼かった当時は気づかなかった、その傷みの強さを、コロナ禍を経験したいま、想像出来るようになりました。

「当たり前なんてない。普通は常に変化する。
そして今わたしが思うこと。今を大切に悔いが残らないように生きよう。体験を語り継ごう」

佐久間珠妃さん
「大切な人と過ごす日常が、あすには無くなってしまうかもしれないんだなって。だからこそ、今を大切に生きないといけない。それを震災が教えてくれたのかもしれないです。わたし自身の津波の記憶について、下の世代にも話していきたいし、毎朝、出かけるお父さんやお母さんに、心をこめて『いってらっしゃい』と言うようにしたい。そんな小さなことから、始めたいです」

多くの人の「日常」が奪われた3.11。
当たり前の生活が、いかにもろく、かけがえのないものであるか。コロナ禍にある今だからこそ、わたしも“自分ごと”として震災を見つめ直したい。そして日常を大切にしたいと感じました。

  • 喜多賢治

    アナウンサー

    喜多賢治

    1998年入局。東京・ラジオセンターで震災関連の番組を担当。島根での勤務を経て2020年から千葉局。ニュースや中継などを担当。趣味は茶道と史跡巡り。

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