東日本大震災にみまわれた10年前のあの日、なんとか家族の無事を確認しようと、多くの人が家路を急ぎました。しかし、公共交通機関は止まり、道路は大渋滞。
埼玉県の北澤正弘さんが投稿してくれたのは、そんな大渋滞の中、帰宅する道中を記録した写真です。
写真を通して、あの日を思い出すとともに、再び大きな災害が起きたとき、私たち社会の備えはこの10年でどこまで進んだのか、考えさせられます。
冒頭の写真は、北澤正弘さんが、震災当日、水戸市内の自宅に帰る車中から撮影した写真です。
当時、茨城県で働いていた北澤さんは、会社内で激しい揺れに見舞われ、その後、会社から自宅に帰るよう指示されたといいます。しかし、道路は大混雑。通常なら30分ほどで帰れるところが、およそ2時間かかったそうです。
この光景、首都圏の各地で見られましたよね。北澤さんは、このときの経験をもとに、今も、できるだけ車のガソリンを満タンにするようにしているといいます。
北澤さんはもう一枚、写真を送ってくれました。こちらも、車内から撮影しました。
大きなブロック塀が崩れています。
混雑を避け裏道に入ったところ、塀が崩れている家がたくさんありました。北澤さんは、近くを人が歩いていたらと想像し、とても怖くなったそうです。
北澤さんは、いまも多くの石塀やブロック塀が街中にあることに対し、不安を感じているといいます。崩れないように、補修や改修をしてほしいと話していました。
ただ、こうした塀が崩れて命が失われるケースは、震災のあとに起きてしまいました。3年前の平成30年の大阪府北部の地震です。激しい揺れで高槻市の小学校のブロック塀が倒れ、登校中の小学4年生の女の子が亡くなりました。
通る人の命を脅かすこうした塀の危険性は、何十年も前から、指摘されてきました。今、改めて対策を進める必要があると感じます。
東日本大震災では各地で渋滞が発生。救急車がなかなか到着できないなどの事態となりました。
首都直下地震では、がれきや放置車両によって、さらに激しい渋滞が予想されていることに加え、命を脅かされる危険もあります。
北澤さんは、当たり前だと思っていた「通勤」が様変わりしたあの日を忘れず、次の大災害への備えにしてほしいとの思いから、写真を送ってくれたといいます。