戦後を代表する詩人の1人とも言われる吉野弘。国語の教科書に掲載された「夕焼け」「I was born」などの作品で多くの人に親しまれてきました。
没後10年のことし、30年以上住んでいたゆかりの地・埼玉県狭山市で、偉大な詩人がいたことを広く知ってもらおうと演劇が上演されました。
さいたま局所沢支局記者/瀬出井小百合
吉野弘さんは1926年に山形県で生まれました。高校を卒業後、会社員として働きながら詩を発表し、数多くの詩集や随筆などを残してきました。
2014年に87歳で亡くなるまで、何気ない日常の出来事をわかりやすいことばで語りかけた作品を手がけ、戦後を代表する詩人の1人とも言われています。
二人が睦まじくいるためには 愚かでいるほうがいい 立派すぎないほうがいい
立派すぎることは 長持ちしないことだと 気付いているほうがいい
「祝婚歌」より
結婚する2人に贈ることばをつづった代表作「祝婚歌」は、結婚披露宴のスピーチなどでも、よく読まれてきました。
満員電車の中、お年寄りに席を譲る娘の心情に思いを寄せた「夕焼け」、生まれて生きることの切なさや尊さを歌った「I was born」などの作品は、国語の教科書にも掲載され、多くの人に親しまれてきました。
吉野さんは1972年、46歳の時から、亡くなる7年前までの35年間、狭山市に住んでいました。
茶畑や雑木林が広がる自然豊かな狭山市を気に入っていたと言います。
地元の入間野中学校の校歌を作詞したり、住んでいた地域の名前をとった「北入曽」という詩集を残したりしています。
没後10年のことし、吉野さんと関わりのあった人たちが、その人柄や功績を伝えていこうと、人物像を描いた演劇を上演することになりました。
中心となったのは「さやま吉野弘の会」の石川友子さんです。図書館に勤務していたときに、吉野さんが文芸誌の編集委員を務めたのをきっかけに知り合い、親交を深めてきました。
石川友子さん
「いつも優しくて、ちょっとユーモアがあって、いろいろ教えてくださる、すてきな方でした。詩だけでなく人間性も魅力的な方だったので、それを共有したい。演劇なら吉野さんの人物像が具体的に伝えられると思いました」
吉野さんの人柄を演劇で表現するためアマチュアの劇団、MTW(ミュージアム・シアター・ワークショップ)に協力してもらい、交流があった、地域の人たちにインタビューを重ねて、エピソードを台本にまとめました。
会のメンバーは1月14日、命日を前に狭山市の寺に墓参りに訪れました。
石川さんも演劇の成功を願い、手を合わせました。
2月4日、本番を前に行われたリハーサルには石川さんも訪れました。
演劇には、石川さんのエピソードも盛り込まれています。
劇の中盤で、石川さんが電話で市の文芸誌の選者になってくれるよう依頼した場面。
謝礼があまり出せないと伝えても、吉野さんが快く引き受けてくれた思い出を盛り込みました。
石川さん自身も文芸誌に投稿した詩が吉野さんに評価され、交流が深まるきっかけになったといいます。
石川友子さん
「先生の姿が見えるような、いい作品に仕上がっているので、『吉野先生ってこんな感じの方だったんだ』と感じてもらえたらうれしい」
演劇「吉野さんとのおもいでばなし」は、2月10日に狭山市の公民館で披露され、およそ80人が訪れました。
冒頭の「夜遅く」という詩を紹介する場面では、地元の入曽駅に降り立った雑踏を表現するために、観客も参加して足踏みをする演出が取り入れられました。一体感を持ってもらうためです。
劇の終盤には、吉野さんの狭山への思いを示すエピソードが再現されました。
晩年、移り住んだ静岡県富士市で家を建てた際に語っていたというものです。
狭山と言えば、じつはこちらの家を建てるときに、吉野様からリクエストをいただいたことがあります。
それはどんな?
ご自分のお部屋に窓を増やしてくれ、と。設計にはなかったものなので増設しました。そこに窓があると、茶畑が見えるんです。それをご希望されていらっしゃいました。
狭山と同じ茶畑の風景を愛していたという吉野さんの思いが盛り込まれました。
富士の家の窓からも茶畑と富士山が見えるんです。それがあれば、心はいつでも狭山に戻れます。
およそ40分の演劇が終了し、会場は大きな拍手に包まれました。
非常に純粋な方なんだということがわかって感動しました
こんなすばらしい方がいたことを、誇りに思わなければいけない
石川さんたちは、この劇をきっかけに狭山に暮らしていたときの吉野さんのエピソードをさらに広く集め、また演劇にできればと考えています。
そして、狭山を愛した詩人・吉野さんのことを多くの人に語り継いでほしいと願っています。
石川友子さん
「演劇は吉野先生のいろいろな姿を再現するのに、とてもいい方法だったと思います。先生には頭をコツンと小突かれて『あんた、やりすぎだよ』と言われるかもしれませんが、きっと喜んでくださっていると確信しています」