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東日本大震災から12年 帰宅困難者対策はここまで進んだ

  • 2023年03月10日

東日本大震災で、首都圏では公共交通機関が止まり、およそ515万人が帰宅困難者になったとされています。震災のあと、自宅から離れた場所で大地震が起き、家に帰るのが難しくなってしまう事態を想定した訓練が各地で行われていますが、デジタル技術の活用も進んでいます。最新の帰宅困難者対策を取材しました。

(さいたま局記者/永野麻衣)

震災きっかけに「一斉帰宅抑制」

東日本大震災発生当日の渋谷駅周辺

12年前の2011年3月11日に起きた東日本大震災で、東京は最大で震度5強の揺れを観測しました。多くの鉄道が運行を停止し道路も渋滞したため、帰宅できない人が駅や道路にあふれました。こうした人たちは帰宅困難者と呼ばれ、首都圏でおよそ515万人にのぼったとされています。今後、都心南部を震源とするマグニチュード7.3の地震が発生した場合、およそ453万人の帰宅困難者が発生するとされています。

東日本大震災発生後に徒歩で帰宅する人々

帰宅困難者が一斉に徒歩などで帰宅を始めると、緊急車両が通行できなくなり救助活動の妨げになるほか、群集雪崩などの被害が出る恐れがあります。
このため、政府などは、大規模地震の発生直後は、むやみに移動を開始せず、最大3日、安全な場所で待機する「一斉帰宅抑制」の方針を打ち出しました。

駅で帰宅困難想定した訓練

越谷市で行われた訓練

鉄道の駅にいる時に大地震が起き帰宅困難になったら、どういう状況になるのか。ことし2月、JR武蔵野線と東武伊勢崎線が交差する南越谷駅と新越谷駅のエリアで訓練が行われ、越谷市や鉄道事業者のほか、駅ビルの店舗で働く人たち、それに地域住民など合わせて90人あまりが参加しました。
この地域では、東日本大震災で、およそ1500人が帰宅困難者になりました。
このうち、東武鉄道の新越谷駅では、運行再開の見通しが立たない中で、駅やその周辺に多くの帰宅困難者が発生したという想定で訓練が行われました。

全員が揺れから身を守ると、駅員が越谷市に対して、帰宅困難者を一時的に受け入れる「一時滞在施設」を開設するよう要請しました。

「一斉帰宅抑制」の考え方を共有

市は、状況を把握したうえで「一時滞在施設」をどこに設けるか検討が必要なため、一定の時間がかかることが見込まれます。このため、東武鉄道は「一時滞在施設」が開設されるまで駅構内に待機してもらうことにしています。

この時、家族などが無事かどうか心配でも、むやみに移動しないよう呼びかけられました。「一斉帰宅抑制」の考え方です。不安な気持ちにかられないようにするためにも、ふだんから互いの安否確認の方法を決めておくことの重要性を、参加した人たちの間で確認しました。

地図を受け取る参加者

「一時滞在施設」の開設の準備が整うと、市は駅に対して帰宅困難者の避難誘導を始めるよう要請しました。駅構内で待機していた帰宅困難者は、施設までの経路が書かれた地図を受け取ります。

一時滞在施設への誘導

そして、駅員などの誘導に従って駅から歩いて5分ほどのところにある「南越谷地区センター」に向かいました。

施設に到着すると、用意された紙に名前や住所などを記入し受け付けを行います。食料などの物資を受け取ると、部屋の中に入りました。

参加した40代女性
「むやみに動いてはいけないこととか『一斉帰宅抑制』という考え方は初めて聞きました。『一時滞在施設』というものがあることも知らなかったので、場所を知ることができただけでも良かったと思いました」

参加した70代男性
「日頃、電車を利用した時に災害が発生することは想定していませんでしたが、災害はいつ起こるかわからないということを考えるいい機会になりました。災害時は、なるべく早く自宅に帰って家族の顔を見たいという思いがありましたが、しばらくとどまるということの大切さがわかりました」

越谷市危機管理室 喜瀬隆弘さん
「新型コロナウイルスの影響で、訓練の参加者を従来の数より少なくして実施したこともあり、スムーズに施設への受け入れができましたが、人数が多くなってきた際には課題が出てくると思います。やはり訓練でできないことは災害時にもできないと思いますので、取り組みを継続していくことが非常に重要だと感じました」

デジタル技術を駆使した新たな対策も

都庁

一方、デジタル技術を駆使した帰宅困難者対策も進められています。それが、東京都の「帰宅困難者対策オペレーションシステム」です。

帰宅困難者対策オペレーションシステムの画面

こちらは、人がどのあたりに集中しているかを表示した画面です。緑色が1600人以上、黄色が3200人以上、オレンジ色が6400人以上、赤色が1万2800人以上を表し、赤い色ほど人の数が多いと判断できます。携帯電話のGPSを活用した位置情報に予測値も加えることで、よりリアルタイムに近い状況を示せるということです。さらに、人が集中している場所に近づかないよう呼びかけるメッセージを帰宅困難者のスマートフォンに送ることで、群集雪崩などの防止につなげたいとしています。

システム開発会社の担当者
「GPSのデータは1秒間に1万件以上あがってきます。一般的なパソコンでいうと、およそ5000台を使って処理しなければならず、やはり10年前という段階では技術的に実現することが難しい状況でした」

「一時滞在施設」の案内もスマホで

都内で行われた訓練

デジタル技術を使って、帰宅困難者を「一時滞在施設」に案内する機能の実用化も見えてきています。帰宅困難者が自分のスマートフォンで位置情報を送信すると、周辺の施設の一覧が表示されます。

地図を開くと経路も確認できます。

施設に到着した時の登録もスマートフォンで行います。受け付けのパソコンに情報が反映され、施設の混雑状況をほかの帰宅困難者に発信する際に役立てられます。
これまでの災害では、電話やインターネットがうまくつながらず、被災直後の情報を入手できないこともありました。このため東京都は、デジタル技術の活用と並行して災害時も通信が途絶えないよう対策を進めているということです。
「帰宅困難者対策オペレーションシステム」は、令和6年度の完成を目指しているということです。

東京都 帰宅困難者対策担当 西平倫治課長
「帰宅困難者の場合、たまたま東京に来たという方もいます。事前の準備はなるべくしない形で、災害が起きた時に必要な情報が何もしなくても必要な人に届くということを目指したいと考えています」

企業も対策を強化

民間でも、帰宅困難者対策が進んでいます。

東京・文京区に本社がある大手印刷会社では、政府などの「一斉帰宅抑制」の方針を受け、本社ビルで働くおよそ3000人が安全にとどまれるオフィスづくりに取り組んでいます。

大手印刷会社総務部 瀧野誠部長
「私は東日本大震災が起きた当時、会社のビルの16階にいて机の下で身を守っていましたが、隣の人のいすが私の前を通って、フロアの反対側まで行ってまた戻ってくるというこれまでにない揺れを経験しました。会社にとどまるという意識はなく、帰宅したい人は帰宅するという状況でした。東日本大震災が、私たちの初動防災をゼロから見直すきっかけになり、帰宅抑制というものを考えるようになりました」

まず、大地震が起きた時にビルにとどまることが安全か判断できるよう、建物の被害が一目でわかるシステムを導入しました。21階建てのビルの複数のフロアにセンサーを設置することで地震情報を収集し、コンピューターが被災度を判定します。

結果は4段階で表示され、建物の重要な部分が損壊するなどして危険なことを知らせるオレンジや赤の色の判定が出た場合は、ビルにとどまらず別の場所に避難することになります。

食料などの備蓄は、3日分確保しています。震災前は地下にまとめて保管していましたが、エレベーターの停止に備え、各フロアに分散しました。帰宅抑制の1日目と2日目の備蓄はビルの偶数階に、帰宅抑制3日目の備蓄は奇数階にあります。
また、ふだんから社員の目につくよう自動販売機などがある休憩スペースに置きました。いざという時に誰でも取り出せるよう鍵はかけないようにしています。

帰宅支援の仕組みも

一斉帰宅抑制が解除されたら、社員が安全に帰宅できるよう、仕組みもつくりました。この会社の社員は、東京だけではなく埼玉や千葉、神奈川などに自宅があるため、そうした首都圏のエリアに帰ることができるよう本社ビルを起点に半径10キロの円を引き、放射線上に、街道ごとに10の帰宅コースを決めています。

帰宅支援マップサービス:パスコ

災害時のリスク管理を支援している会社と契約することで、あらかじめ、火災などの危険度が高いエリアを避けたコースを準備しました。さらに、地震が起きた後は、帰宅抑制をしている間に、通れない道路や倒壊した建物といった最新の情報をできるだけ自分たちで集めます。

そうした情報を地図に反映させることで、帰宅する社員に利用してもらうことにしています。

瀧野誠部長
「社員にはふだんから災害時にどのコースで帰宅するのか登録をしてもらっています。帰り道で火災や余震にあったり、群集雪崩に巻き込まれたりすることから社員を守るということと、救助活動の妨げになってはいけないということでしっかり準備をしておく必要があると考えました」

企業の対策で社員の意識も変化

こうした会社の帰宅困難者対策によって社員の意識も変わってきています。本社ビルで働く藤若美沙さんは、会社の取り組みを通じて、政府などが打ち出した「一斉帰宅抑制」のことを初めて知ったといいます。

藤若さんは、震災後に結婚し保育園と小学校に通う2人の子どもがいます。夫婦共働きで、互いの両親も遠方に住んでいることから、仕事中に大地震が起きたら歩いてでも子どものもとに向かわなければと考えていました。しかし、会社の取り組みを知り、帰らないことを前提にした家庭での対策も考えるようになりました。あらかじめ同じマンションに住む2つの家庭に協力を依頼し、災害時に子どもを預かってもらうようにしました。

藤若美沙さん
「災害当日に私が帰宅できるかわからないということを想定したうえで、子どもの安全を守るために複数の対策やサポート体制を整えるべきだと考えるようになりました。同じマンション内にお子さんがいる家庭があるので、いざという時は子どもがお邪魔することがあるかもしれませんということをお伝えしています」

瀧野誠部長
「私どもは、こうした帰宅困難者対策を行っていますが、当然、1社だけではだめだと思っています。さまざまな企業が知恵を出して協力しあうことが大事だと考えていて、いろいろな取り組みをすることによって、微力ながら、災害時に都市を守り人々の命を守ることに向き合っていきたいと考えています」

  • 永野麻衣

    さいたま局 記者

    永野麻衣

    富山局、名古屋局、社会部を経て、2020年から現所属

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