さいたま市出身で、子ども時代はNHKの「天才てれびくんMAX」で“てれび戦士”として活躍した長谷川あかりさん。現在はSNSで発信している「なんでもない日を幸せにする、シンプルでゆたかなごはん」が人気の料理家です。てれび戦士時代の思い出や料理を楽しむコツについて保坂友美子キャスターが伺いました。
“てれび戦士”になったきっかけはなんだったんですか。
幼稚園の頃から地元のさいたま市のダンススクールに通っていました。当時はダンサーになりたかったので、先生が芸能事務所のオーディションを受けることを勧めてくれたんです。大手レコード会社のオーディションを受けていたんですが、そのときに、天才てれびくんのオーディションも受けてみないかと声をかけていただいて、まだ事務所も決まっていなかったのに受かったんです。
当時はどんな点をアピールしていたんですか。
ダンスのオーディションでは周りのレベルが高すぎて、私のレベルでは受からないかもしれないと焦り始めていたんです。小学1年生の頃から空手も習っていたので、先生のアドバイスもあって、ヒップホップやジャズの振り付けの間に空手の型を入れてアピールしていました。
さいたま市にはいつ頃まで住んでいたんですか。
20歳頃までさいたま市にいました。地元は大宮に近いのですが、高校時代には浦和の商業施設の上にあった図書館でもよく勉強していました。
天才てれびくんのあともしばらく芸能活動を続けていたということですね。
舞台などで活動を続けていたのですが、20歳すぎに婚約したんです。それがきっかけで新たな自分の可能性を見つけたいと思ったので、芸能活動は引退しました。
未練はなかったですか。
ないといったら嘘になりますが、子どものときに突然始まった芸能活動で、考え直す間もなく走ってきたので、逆にきっかけができた感じですね。まだ20歳だったので、新しいことに挑戦するにはまだ遅くないと思いましたし、もしダメだったら(芸能活動に)戻ればいいんじゃないかと柔軟に考えていました。
どうして料理家を目指そうと思ったんですか。
料理をしていると余計なことを考えずに済みますし、心が落ち着くので、もともと好きだったんです。高校生のときには自分でつくったおにぎりを配り歩いたりもしていました。ただ、料理や栄養に関する知識は何もなかったので、今、自分がいちばん興味のあることを深めるという意味で管理栄養士の資格をとるという目標を選びました。
勉強は大変じゃなかったですか。
子どもの頃から、自分がやると決めたことはやるという性格だったので、大変かどうかは関係なく、自分のなかの決定事項として勉強していました。猪突猛進で進んで、大学の4年間もあっという間に過ぎてしまった感じです。
食欲の秋ですけれども、最近、お気に入りの料理や食材はありますか。
今、ギンナンにはまっていて、毎日食べています。
どんなふうに食べるんですか。
昔、友達のお母さんに教えてもらったんですが、バターと塩で炒めて、ブラックペッパーをふって食べると本当においしくて、たくさん食べたいんですが、食べすぎるのもよくないので、1日10粒までと決めて食べています。
長谷川さんの料理は、料理をつくる側のことを考えてくれているというか、簡単だけれどもおいしいという特徴があると思うんですが、どんなことを心がけてレシピをつくっているんですか。
私もみなさんと同じように、きょうは料理をつくりたくないなと思う日もあるんです。それでも料理したくなるような食材の組み合わせとか、おしゃれな見た目とか、ちょっと気分が高揚するような要素を入れたいとは常に思っていますね。
みなさんに料理をどんなふうに楽しんでほしいと考えていますか。
やはり自分の気持ちを最優先にしてほしいと思っています。自分の気持ちに寄り添った料理をつくって、一緒に食べた人も喜んでくれればラッキーだなっていうくらいの気持ちで料理を楽しんでくれたらいいなと思います。
20歳で芸能活動を引退して料理家・管理栄養士を目指して突き進んできた長谷川さん。明るくハツラツとしていて、かっこいい!と感心するばかりでした。
長谷川さんにつくっていただいた『冷めたほうがおいしい!醤油だけからあげ』と『秋野菜のハーブ出汁酢マリネ』を試食させてもらったのですが、どちらもとてもおいしくて感動しました。
料理のレシピはこちらに掲載しています。みなさんもぜひ、挑戦してみてはいかがでしょうか。