1月に開幕したラグビーのリーグワン、リーグ戦も終盤に入ってきました。埼玉パナソニックワイルドナイツは現在、プレーオフ圏内の3位(第13節時点)につけています。プレーオフ進出に向けた意気込みなどについて、地元・熊谷出身の山沢拓也選手に泉浩司アナウンサーが伺いました。
リーグ戦も終盤に入りましたが、チームの雰囲気はいかがでしょうか。
非常に良いと思います。シーズン終盤ということで、プレーオフに進出するために順位をしっかり上げていかなければならないので、残りの試合をしっかり戦い抜くことにフォーカスしています。
実戦では負けなしですけれども、好調の要因についてはどう考えていますか。
チームの全員が自分の役割をしっかり果たしていることとですね。また、個々の選手だけでなく、チームとしてのつながりをしっかり継続できていることが、好調の要因だと考えています。
山沢選手自身のパフォーマンスはどう自己分析していますか。
自分がいつもやっているポジションではないところでプレーした試合もあったので、新たなチャレンジという意味合いもあって、楽しみながらプレーすることができています。自分の新たな持ち味を出し始めることができているのかなとは感じています。
本来のポジションはスタンドオフですよね。このポジションはキックをする機会が多いんですが、キックに対してのこだわりはありますか。
小さい頃からサッカーもやっていたので、キックは自分の得意なプレーではありますね。
聞くところによると、関東のサッカー強豪校からの誘いもあったそうですよね。 もしサッカーの道を選んでいたらと思うことはありますか。
時折、考えることはありますが、当時、サッカーには限界を感じていたところもあったので、おそらく自分が思い描いていたような道は進めなかったんではないかなと思っています。
サッカーの経験がスタンドオフというポジションに生きていますか。
ポジションというよりは、プレーやキックの面ではすごく生きてます。
サッカーとラグビーでキックはどのように違うのでしょうか。
サッカーは基本、地面にあるボールを蹴りますし、ボールも丸いので、蹴りやすさはありますね。ラグビーはボールを手から離してからキックをしますし、ボールの形も違うので、ちょっとリズムが狂っただけでうまく当たらなかったり、飛ばなかったりします。やはり、ラグビーのほうがキックは難しいですね。
山沢さんは熊谷東中学校でラグビーキャリアをスタートさせました。サッカー強豪校の誘いもありながら、地元の深谷高校に進学するわけですが、なぜ、深谷高校に決めたんでしょうか。
兄が深谷高校に通っていたのが一番です。兄が試合や練習をする様子を近くで見ていて、すごく楽しそうな雰囲気でしたので、ラグビーをやるのであれば深谷高校に行くと決めていました。
1年生からレギュラーで、花園には3年連続で出場しています。どんな思い出がありますか。
3回連続で出場できたんですが、3回とも1月1日に負けたんです。でも少しずつ、スコア的には惜しい試合になってきて、試合に勝つことはできなかったんですが、3年間で自分たちが成長できたと実感することはできました。
その後、筑波大学に進学して1年生からスタンドオフのレギュラーを獲得しています。 ただ、大学時代に大けがを負ったんですよね。
前十字靭帯を断裂しました。ラグビーにはよくあるケガなんですが、時間もかかりましたし、手術もしたので、なかなか大きなケガだったと思います。
ケガでラグビーができない時期はどんな思いでしたか。
ケガをした直後は、悔しいというよりも、自分が動くことができない、ラグビーができない、普通に生活することができないということがストレスになっていました。私の場合、いろいろなものを食べることでストレスを発散していたかなと思います。
ラグビーをやめようと思ったことは、あるんでしょうか。
2回続けて大きなケガをしたので、やめようというよりは、もうラグビーができないかもしれないと思ったことはありました。
それでもラグビーを続けることができた原動力はなんだったんですか。
自分にはラグビーしかないと思っていましたし、選手として目指しているレベルにはまだ程遠かったので、もう少し成長したいという思いがありました。
大学時代の後半には、学生でありながらトップリーグのパナソニックワイルドナイツに加入します。
ケガのリハビリで、ワイルドナイツのトレーナーに診てもらったり、治療してもらったりしていましたので、練習を見る機会がありました。ケガで約2年間、プレーできていなかったので、周りの選手が成長している一方で、自分が成長していない、むしろマイナスになっているという思いがありました。トップリーグのチームでプレーをすることで、この差を少しでも縮めたいという思いで、ワイルドナイツの練習に参加させてほしいと自分から伝えました。
ワイルドナイツはことし、本拠地を熊谷に移しました。地元に移るということは、山沢さんにとってどんな気持ちだったんですか。
自分がチームに入った頃からうわさでは聞いていたんですが、それが本当に形になって、しかも、自分がそのチームにいるということで、すごく感慨深いというか不思議な感覚で、うれしいですね。
大学を卒業して2年後にワールドカップが開催されましたが、あの興奮をどう振り返りますか。
同じチームの選手や知っている選手があの舞台に立って結果を出していたので、観客として、すごいなと感じました。熊谷にもたくさんの観客が来ていましたし、自分もパブリックビューイングに参加させていただきましたが、そこにも大勢の人たちが来ていたので、すごくうれしかったです。
一方で、プレーヤーとしては少し悔しい気持ちもあったのではないですか。
そこまではなかったですね。自分はそのレベルではまだないということがわかっていたので、もう切り替えていました。
リーグも残りわずかですが、個人としての目標はありますか。
まず、試合に出場できるようにしっかり準備しておくということと、出場したときには自然体でプレーできるようにすることを、ことしは特に心掛けています。
リスナー、そして、ファンの皆さんにメッセージをお願いします。
熊谷出身の自分が、熊谷が本拠地のチームにいて、熊谷の人たちにプレーを見てもらえることは非常に光栄なことだと感じています。もっとたくさんの人に気軽に試合を見に来てもらって、埼玉パナソニックワイルドナイツをたくさんの人に知ってもらって、ラグビータウンとしての熊谷がもっと大きくなっていけばいいなと思っています。自分も手助けできるように、全力で頑張りたいと思っているので、応援をよろしくお願いいたします。
実は、山沢さんは兄も弟もラガーマンで、地元ではラグビー3兄弟として知られていました。ただ、 兄と弟とは年齢が4つ離れているので、高校や大学で一緒にプレーする機会はなかったそうです。兄弟の性格の違いを聞いたところ、「兄は長男タイプでしっかり者、弟は自由でいわゆる三男坊タイプ、自分はちょうどその間くらいの性格ですかね」と話してくれました。
記事の内容はさいたま放送局のFM番組「ひるどき!さいたま~ず」で放送しました。(4/21)