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“できる!”と自分に言い聞かせる 車いすテニス 菅野浩二選手

  • 2021年12月17日

東京パラリンピックの車いすテニス クアードダブルスで銅メダルを獲得した上尾市出身の菅野浩二選手(40)。高校1年のときに交通事故でけい椎を損傷した菅野さんは20歳で車いすテニスを始め、2017年から四肢に重い障害のある選手を対象にしたクアードに転向、パラリンピック初出場で、この種目で日本に初めてのメダルをもたらしました。メダルへの道のりや地元・埼玉にへの思いについて、泉 浩司アナウンサーが伺いました。

車いすテニスには、男子、女子、クアードの3つのカテゴリーがあります。このうちクアードは、手や腕にも障がいのある選手が出場するカテゴリーで、なかには、握力がゼロに近い選手もいるので、手とラケットをテープで固定したり、電動車いすを使ったりしてプレーする選手もいます。

雨で中断した2時間

まずは、銅メダル、おめでとうございます。パラリンピックから3か月がたちますが、今、どんな思いですか。 

終わってしまうと、あっという間という印象です。試合のときは本当に集中して必死でやっていたので途中の記憶がなくて、あとでゆっくり試合の映像を見返しました。

映像を見返してみて、どんな感触ですか。 

特にメダルをとった試合は、自分のイメージですと、もうちょっと簡単に勝ったという印象だったのですが、映像を見返したら、ここを取らなかったら勝てなかったポイントがいくつもあって、本当にギリギリのところで勝ち取っていたのだなと改めて思いました。

銅メダルがかかった3位決定戦は、イギリスのペアとの対戦でした。

イギリスのペアは私たちのペアと割と似ているスタイルでした。以前も何度か戦ったことがあるのですが、障害が重い、手とラケットをテーピングで固定するタイプの選手と、状態が少し軽く、走るのが得意な選手のペアで、戦術も似ていた部分もあったので、すごく競ったよい試合になりました。

試合は第1セットの序盤で、雨のため、2時間中断しました。長い中断でしたよね。

テニスの大会ですと、雨で中断する展開はよくあるのですが、やはりメダルマッチの緊張しているなかで、中断をはさむのは、いつもより緊張感が増しますし、試合で少しイライラする場面もあったので、できるだけリラックスする時間をつくるようにはしていました。

どんなふうに過ごされていたのですか。

テニスとは違うことを考えたいなと思ったので、妻に電話して、くだらない話をして、頭をリセットするようにしましたね。

“できる”“できる”“できるだろ!”

中断が明けて、第1セットは取りましたが、第2セットは取られました。ワンセットオールとなった第3セットを取って試合の決着がついたのが、結局、深夜2時過ぎでした。勝負のポイントは何だったと考えていますか。

第3セットの前半は、サーブがキープできない状態が続いていました。5-5で僕のサーブだったと思いますが、身体を一度、リセットしたかったので、フィジオ(トレーナー)を呼んで、少し痛めていた肘のケアをしてもらいました。

肘をケアしてもらったことで、初めてサーブをキープできましたし、そのまま波に乗ることができました。この辺は、戦術ではないですけれども、使えるものはすべて使うという考えで、試合を進めていたということはありましたね。

試合中はどんなことを考えているのですか。

テニスはメンタルスポーツなので、普段、やっていることが試合中にできなくなってしまうことが、結構、あります。そういうときには自分で声を出して、“できる”“できる”と自分に言い聞かせることはよくありますね。試合中にイライラしたときには、“できる”“できる”“できるだろ!”と自分に言い聞かせています。

埼玉への思い

菅野さんは上尾市が故郷ということですけれども、小さい頃はどんな子どもだったんでしょう。

スポーツが好きで、小学生から中学生まではサッカーをやっていました。ポジションはいろいろ経験させてもらいました。僕自身が左利きということもあって、左のサイドバックだったり、ウイングだったり、フォワードだったり、ゴールキーパーをやっていたときもありました。

地元でよく行っていたのは丸山公園です。学校の近くだったので、みんなでよく遊びに行っていました。

埼玉で好きな食べ物はありますか。

上尾市は今、キウイフルーツをすごく推していて、僕も最近、知って、食べたのですけれども、非常においしかったです。品種も4種類くらいあるので、みなさんにも一度、試してもらいたいですね。

改めて、埼玉の、そして、上尾の魅力はなんだと思いますか。

上尾市は都心にも割と近いですし、そのなかでも、ゆったりとしているので、すごく住みやすいです。

グランドスラムでタイトルを

パラリンピック後も、全日本選抜車いすテニスマスターズで優勝しました。40歳。これからの夢、目標、何かありますか。

全日本は四連覇を達成することができました。これから先、何年できるかわからないですけれども、他人に抜かれない記録をつくれたら嬉しいなとは思います。海外では、まだグランドスラムのタイトルが取れていないので、いつか1つでも取れたらとは思っています。

タイトルを取るために何が必要でしょうか。 

まだまだ大事なところでミスが出てしまうので、そういう場面でも崩れない安定性やメンタルの強さをもっと強化していきたいなとは思っています。

テニスって、メンタル面が大事ですよね。

なんと言っても一人で戦うスポーツなので、試合中にコーチにアドバイスをもらうことは禁止されているし、苦しい場面でも一人で解決しなければならない。ですので、そういう場面で冷静さを保てるように、普段の練習どおりのことができるようになっていかないと、この先、自分より上のランクの選手に勝つのは難しいかなとは思っています。

キャスターからひと言

菅野さんは高校1年生のときにバイク事故で大けがを負いました。医師からケガの状態を知らされた日はショックで泣いたそうですが、翌日にはすぐに切り替えて、リハビリを必死にしていたということです。

元々スポーツマンだったし、深く考えるタイプではなかったので、それがよかったのかなと、淡々と話していました。言葉で表すと“ポジティブ”となるわけですが、その一言では言い尽くせない、菅野さんの人間力を感じました。

記事の内容はさいたま放送局のFM番組「ひるどき!さいたま~ず」で放送しました。(12/10)

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