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山田太一さん死去 浅草では?「男たちの旅路」「ふぞろいの林檎たち」名作ドラマや足跡は

  • 2023年12月1日

東京・浅草生まれ、人気脚本家の山田太一さんが、11月29日、老衰のため、川崎市内の施設で亡くなりました。89歳でした。「男たちの旅路」や「ふぞろいの林檎たち」など数多くの名作ドラマを手がけた山田さん。最近ではそのドラマで、映像化されなかった未発表のシナリオが見つかり、本として刊行されたことも話題になりました。その足跡を振り返ります。

山田太一さん 脚本家として名作ドラマ

山田太一さんは東京・浅草生まれ、早稲田大学を卒業後に松竹に入り、木下恵介監督の助監督として映画作りに携わりました。

浅草では山田さんを悼む声が聞かれました。

60代女性

山田さんのドラマが大好きだったので、亡くなられたと聞いて、とてもショックで悲しいです。これを機にドラマを見返そうと思います。

60代男性

ふぞろいの林檎たちは自分と同世代の話でとても印象に残っています。89歳で亡くなられたのは大往生だと思います。

70代男性

これだけの名作を残した人が旅立たれてしまうのはもったいないと感じます。

 

山田さんは、1965年には脚本家として独立し、1976年からNHKで放送された「男たちの旅路」は、鶴田浩二さん演じる元特攻隊の警備員と戦後生まれの若者が世代間のギャップから激しくぶつかり合いさまざまな社会問題を浮き彫りにした作品で、大きな反響を呼びました。

また、学歴や容姿に劣等感を抱く若者たちを描いた「ふぞろいの林檎たち」をはじめ「岸辺のアルバム」、「早春スケッチブック」など数多くの名作ドラマを手がけました。

「男たちの旅路」「ふぞろいの林檎たち」未発表シナリオ

山田さんは、最近では「男たちの旅路」や「ふぞろいの林檎たち」などのドラマで、映像化されなかった未発表のシナリオが見つかり、本として刊行されたことが話題となりました。

このうち「男たちの旅路」の未発表作「オートバイ」は1978年頃書かれた作品で、出演していた水谷豊さんがほかの民放のドラマの主演が決まり、お蔵入りとなった経緯があります。

「オートバイ」では、団地でオートバイを乗り回して住民を困らせる若者たちに対し、警備員役の鶴田さんが「悪いことは悪い」と追い出そうとしますが、若い同僚に言い返され、世代間の溝が浮き彫りになります。

また、TBSで放送された連続ドラマ「ふぞろいの林檎たち」の続編のシナリオは、前編が「四十代ってなんですか?」、後編は「手元に光がありますか?」というタイトルです。初回で大学生だった登場人物たちが40代になった姿が描かれています。

中井貴一さん “感謝の言葉しか有りません”

「ふぞろいの林檎たち」で主役を務めた俳優の中井貴一さんは、山田さんが亡くなったことについて、12月1日「感謝の言葉しか有りません」というタイトルで自身のブログを更新しました。

「まだ、役者として右も左も分からなかった頃、『ふぞろいの林檎たち』の面接でお会いしたのが、今から42年前。その頃、既に大巨匠脚本家だった山田太一さんでしたから、さぞかし怖い方なのだろうと、かなり緊張しておりましたが、実際は、物腰柔らかで、とてもジェントリーにお話をして下さいました。
出演が決まり、初日の本読み、顔合わせの時も、物腰柔らか。しかし、本読み終了時、『私の台本は、語尾の一つまで考えて書いておりますので、一字一句変えない様に芝居をして下さい』と、ピシャリ。物腰とは裏腹に、実に辛辣にお話をされる方でもありました。
台本を通して、私に芝居というものを教えてくださっただけでなく、その台本から、人としてのあり方までも教わった様に思います。言い尽くせぬお世話になりました。でも、もう一度、山田さんの台本で芝居がしたかった。心からご冥福を祈ります」

シナリオライターの社会的地位を高める

山田さんはオリジナルの作品にこだわり、同時代の倉本聰さんや向田邦子さんとともにそれまで地位が低かったシナリオライターの社会的地位を高めました。

一方、映画化もされた小説「異人たちとの夏」では山本周五郎賞を受賞するなど小説やエッセイでも高い評価を受けています。

近年、山田さんは、東日本大震災をテーマにしたドラマを手がけるなどしていましたが、2017年に脳出血で倒れたのをきっかけに執筆活動をやめていました。
その後は、川崎市内の施設で過ごしていましたが、11月29日、老衰のため亡くなりました。89歳でした。

山田さんの家族が発表したコメント
「とても安らかで静かな旅立ちでした。山田は仕事に対しては常に厳しく真剣でしたが、私たち家族にはユーモアにあふれ、楽しく優しい父として心に残っています。ファンの皆様、メディアの皆様、長い間、父を支えていただき、誠にありがとうございました。これからも父の作品を楽しんでいただけたら幸いです」

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