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「できるかな」“ノッポさん”高見のっぽさん死去 88歳 “ユーモアで優しい人”

  • 2023年5月10日

NHK教育テレビの子ども向け番組「できるかな」で「ノッポさん」として長く親しまれた俳優の高見のっぽさんが、心不全のため88歳で亡くなりました。

街ゆく人たちからは「ありがとうございますと言いたい」とか「残念です」などと、感謝や惜しむ声が数多く聞かれました。

“ありがとうございます”と言いたい

「ノッポ」さんとして長く親しまれた俳優の高見のっぽさんが、亡くなったことについて、
地元の東京・豊島区で話を聞きました。

50代女性
「年齢を聞いてまずびっくりで、もっと若いと思っていました。子どもの時に、テレビ番組でいろいろなものを作っているのを見て、すごく楽しそうだなと思っていました。残念ですね

50代男性
「ちょっとショックですね。とにかく楽しませてもらい、工作に興味を持つきっかけにもなりました。『ありがとうございます』と言いたいです

50代女性
「私のように小さいときから保育士になりたいとか、お子さんがいるママとかみなさんを元気づけてくれた方だと思う。すごく好きでした

ノッポさん 死去

高見のっぽさんは京都市出身で、俳優で芸人だった父親の元で修行を積み、1966年からNHK教育テレビで放送された子ども向け番組「なにしてあそぼう」と、1970年に始まった「できるかな」に「ノッポさん」という役であわせて20年以上にわたり出演しました。

ひと言もしゃべらず、ジェスチャーを交えて鮮やかに工作を作り出す姿が子どもたちの人気を集め、「できるかな」では、相棒のキャラクター「ゴン太くん」とのコンビも話題となりました。

また、2005年、71歳の時には、NHKの「みんなのうた」で放送された「グラスホッパー物語」でみずから作詞と歌を担当しました。

バッタのおじいさんにふんして歌いながら踊る姿が反響を呼び、10か月間にわたる異例のロングラン放送となったほか、その後、本人が出演するミュージカルとして舞台化もされました。

高見さんは、このほかにも児童書などの執筆や民放の子ども番組の放送作家としても活躍するなど、子どもたちに関連する仕事を数多く手がけてきました。
こうした功績が認められ2007年にはNHKの放送文化賞を受賞しています。

関係者によりますと周囲を騒がせたくないという本人の希望もあり、これまで公表されていませんでしたが、高見さんは2022年9月、88歳で心不全のため亡くなったということです。

話好きでユーモアがある優しい人

「ノッポさん」こと高見のっぽさんは、20年間にわたりNHK教育テレビで放送された子ども向け番組「できるかな」に出演しました。

番組では、ノッポさんはフェルトの帽子をかぶって一言もしゃべらないという設定でした。

相棒のキャラクター、「ゴン太くん」も不思議な声を出しますがことばは話しません。
ナレーションで「ねえねえ、ちょっと、ノッポさ~ん」と呼びかける声にノッポさんは、ジェスチャーで応えながら、音楽にのせて次々におもしろい工作を作り出していきました。

15分間のこの番組は、毎回、ほぼノンストップで収録され、その臨場感も人気でした。

器用に工作を作っているように見えたノッポさんですが、実はもともと不器用で工作には苦労していたそうです。

番組では、子どもたちに、工作の手順ではなく、ものを作ることの楽しさを伝えようとしていました。

このため、工作は簡単にできるものばかりではなく、難しいものもあったということで、ノッポさんはいつも真剣な表情で取り組んでいたということです。
そして、うまくできた時に見せる笑顔は演技ではなく本当に心から喜んでいる表情でした。

番組でノッポさんとゴン太くんは、完成した工作を使って楽しそうに遊んでいましたが、このときもノッポさんはひと言も話しませんでした。

そんなノッポさんが初めてことばを発したのは、およそ20年に及んだ番組の最終回、1990年3月の放送でした。

ノッポさんは「あーあ、しゃべっちゃった」と語り出し、番組が終わること、そして4月からは新しい番組が始まることをみずからのことばで子どもたちに伝えました。

ノッポさんがしゃべったことは当時、大きな話題になりました。

高見さんの事務所の代表 
舞台やイベントなどで共演してきた古家貴代美さん
「ノッポさんは『自分で試してみる、工夫してみる、失敗する、でもまたへこたれずに頑張ってみることが非常に大事なんだ。一生懸命やることが大切で、それを笑う人間は相手にしなくていいんだ』とよく話していました。番組ではしゃべっていませんでしたが、実際にはおしゃべりでユーモアがあって、優しい人でした」

 いつも温かい 子どもへのまなざし

高見のっぽさんがよく訪れていたという東京・豊島区のそば屋、「安曇野」で社長の横山浩太郎さん(71)と長男の浩史さん(38)に話を聞きました。

のっぽさんとの出会いは、30年以上前。
のっぽさんは、この店にひとりで訪れたり、仕事の関係者と打ち合わせに使ったりしていたといいます。

お気に入りの席は、店の壁側の階段下のスペースでうどんを注文し、かきあげとエビ天ぷら、生卵といっしょに食べるのが好きだったそうです。

のっぽさんの訃報のニュースをうけて浩太郎さんは、「すごく喪失感というか、ぽっかり穴が空いた感じです」と残念な気持ちを口にしていました。

のっぽさんとの思い出たずねると、浩史さんは、4年前、生まれたばかりの自分の子どもとのっぽさんが対面したときの写真を懐かしそうに見せてくれました。

のっぽさんが「本当にかわいいね」と自分のことのように喜んでくれた姿をよく覚えているといいます。

さらに、「店に来た子どもたちを自然とさりげなくあやしている感じで、子どもがいつの間にか笑いだす感じでした」と話し、のっぽさんの子どもに対するまなざしがいつも温かかったと振り返っていました。

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