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相模原 障害者施設19人殺害事件6年 「誰もが生きやすい社会に」

  • 2022年7月26日

相模原市の知的障害者施設で19人が殺害された事件から6年となる26日、現場に再建された施設で追悼式が行われました。
事件から6年となる中、19歳で犠牲となった美帆さんの母親は、亡くなった19人のため誰もが生きやすい社会に向け少しずつ発信を始めています。

事件の経緯は

2016年7月26日相模原市にある県立の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で、入所者19人が殺害された事件。

6年前の7月26日未明、入所していた人たちが次々と刃物で刺されて19人が殺害され、職員を含む26人が重軽傷を負いました。

事件の直後、施設の元職員の植松聖死刑囚(32)が近くの警察署に出頭して逮捕され、その後、起訴されました。

植松死刑囚は逮捕直後から、「障害者は不幸しか作らない」とか「意思疎通できない障害者は殺そうと思った」などと差別的な主張を繰り返しました。

2020年3月の判決で、横浜地方裁判所は、「施設での勤務経験から重度障害者は不幸であり、その家族や周囲も不幸にする不要な存在であると考えるようになった」と指摘しました。そのうえで、「19人もの命を奪った結果はほかの事例と比較できないほどはなはだしく重大だ」として死刑を言い渡しました。

弁護士が控訴しましたが本人が取り下げ、死刑が確定しましたが、ことし4月、本人が横浜地方裁判所に再審=裁判のやり直しを請求しています。

事件から6年 現場で追悼式

事件から6年となる26日、現場に再建された施設では追悼式が行われ、遺族など62人が参列しました。

神奈川県
黒岩知事

犯人が口にした「意思疎通が図れない人間は生きる意味がない」という考え方がいかに独善的で、間違ったものであるか証明するためにも、誰もがその人らしく暮らすことができる地域社会を、なんとしても実現しなくてはなりません。

続いて黙とうが行われ、参列した人たちが19人の犠牲者を悼みました。

園を運営するかながわ共同会 山下康理事長
「私達が皆様をお守りできなかったことを深い後悔と自責の念をもって今なお振り返ります。どんなに重い障害があろうと、私たちはすべての人をかけがえのない存在として大切に思い、偏見と差別は断じて許しません」

 

利用者の家族で作る会 大月和真会長
この6年、凄惨な光景と途方もない混乱、喧噪が脳裏を離れることはありません。亡くなった方の無念さを思い、19の御霊がやすらかにと心から願います。私たちはあなたたちのことを決して忘れません。

津久井やまゆり園 永井清光園長
「犠牲になられた19人の皆さんもいろいろな事を考え、感じながら自分の夢に向かって生きていました。このようなことを2度と起きないよう全力で取り組むことをお誓いします」

参列者は、鎮魂のモニュメントの前に移動し、遺族が希望した7人の名前が刻まれた献花台に花を手向け、静かに手を合わせていました。

津久井やまゆり園の経緯

現場となった津久井やまゆり園では事件当時、重度の知的障害がある人たちおよそ150人が暮らしていました。事件のあとほとんどの建物は解体されました。

県は当初、同じ規模の施設に建て替える方針でしたが、障害者団体などからは「地域に根ざした小規模な施設にすべきだ」といった反対意見が寄せられました。

一方、利用者の家族からは「地域で受け入れられないので、施設にお願いしている」とか、「同じ規模で再建してほしい」といった声が上がり、再検討の結果、現地と横浜市内の2カ所に以前の半分以下の定員およそ60人の施設を再建することになりました。

去年、現地には「津久井やまゆり園」が横浜市には「芹が谷やまゆり園」が完成し、新たな生活が始まりましたが、多くの利用者はそれまでの5年間、仮設の施設を転々とする生活を余儀なくされました。

2つの施設は、いずれも部屋がすべて個室になり、食堂やキッチン、風呂などを備えた「ユニット」ごとに10人ほどのグループで生活しています。

施設の再建に際しては、やまゆり園を運営している社会福祉法人、「かながわ共同会」の支援のあり方についても議論になりました。

事件のあと、県が行った有識者による検証で、一部の利用者について「見守りが困難」という理由で、外から施錠した個室に長時間拘束していたことなどが明らかになり、支援の改善を求められました。

これをふまえ、50人が暮らしている津久井やまゆり園では希望をよりくみ取った支援を行うよう努めるとともに、本人や家族の意向を尊重しながら、グループホームへの移行を進めていくとしています。

永井清光園長
「元職員が起こしたことに、ずっと自責の念に駆られています。批判の声もしっかり受け止め、反省すべきところは反省して、利用者の方たちが望む暮らしや実現したい夢をしっかりと支援していきたい」

母親「誰もが生きやすい社会に」

事件から6年となる中、19歳で犠牲となった美帆さんの母親は、亡くなった19人のため誰もが生きやすい社会に向け少しずつ発信を始めています。

母親によりますと美帆さんは自閉症で重い知的障害がありことばはありませんでしたが、感情表現が豊かで態度などで自分の意思を伝えてくれたといいます。

自宅の居間の棚には、笑顔の写真の周りに美帆さんが好きだったアンパンマンなどの人形や花が飾られています。

美帆さんの母親(事件から6年 今の心境)
「写真の美帆に話しかけるのが日課のようになっています。はじめの頃のパニックのようなな悲しみとは違い、じわじわと悲しさや切なさが押し寄せてきます。会えない時間が長くなるほど、恋しく会いたい気持ちが増してきて、1度でも、お化けでも幽霊でもいいから、会いたいなと心から思います」

母子家庭のため時に仕事を掛け持ちしながら美帆さんと1つ上の兄を1人で育ててきましたが、自分がいなくなったあとを考え、津久井やまゆり園に預けたのは事件の4か月前のことでした。

母親は、いまも拭えない後悔があることを明かしました。

母親
「『私の娘に生まれてくれてありがとう』という思いと、『やまゆり園を選んでしまってごめんなさい』という思いがあります。私があそこに決めなければこんなことにはなっていなかったので、私のせいじゃないと周りは言ってくれますがどうしても消えない。いつもは心の中の開けない箱に隠してある気持ちです」

そうした中で支えとなってきた1つが、事件がきっかけとなり知り合った知的障害のある人たちの存在です。精神的に厳しい状態の時も一緒に過ごすことで笑顔や元気を取り戻せたといいます。

この春からは、裁判の際に母親が美帆さんの名前と写真を公表したことでつながった障害のある人を支援している鳥取県のNPOの情報誌に手記を寄せています。

母親
「障害のある人たちにすごく力をもらって、本当にいろんな人に助けられて協力してもらって、生きてこられました。何か恩返ししたいと思ったときに、障害があってもなくても誰もが生きやすい社会にしていくことが亡くなった人たちが一番喜んでくれることかなと、それが美帆を含めて19人に私ができることなのかなと思っています。まだ模索中ですが色んな人の意見を聞いて一緒に考えていきたいと思います」

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