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日航機事故30年 30年でたどりついた答え

  • 2015年7月24日

群馬県上野村、御巣鷹の尾根。30年前、日本航空のジャンボ機が、この尾根に墜落し、520人が犠牲となりました。
当時、機内には仕事帰りのビジネスマンや家族連れなどが数多く乗っていました。

■14歳で両親を失い、生き残った妹を支える立場に

520人の犠牲者を出した墜落事故で、4人の生存者がいました。

そのひとり、当時中学1年生だった、川上慶子さんです。

 

慶子さんを迎えたのが、中学2年生の兄・千春さん。
部活動のため自宅に残っていました。

千春さんは、事故で両親と末の妹を失った上、慶子さんを支える立場に立たされたのです。

「今後、僕たちはこの悲しみを1日も早く乗り越え、力を合わせて精いっぱい頑張る覚悟です。ご声援やお見舞いを本当にありがとうございました」

 

町議会議員を務めた父と、保健師の母の間に生まれた千春さん。
弱い立場の人のために働く両親の姿を見て育ちました。

 

事故の後、千春さんは、父は根性、母は優しさという言葉を書き留めました。

「悲しみとともに、人間の命の素晴らしさを身を持って教えてくれた」

「もう、僕は泣かない」

■「何のために頑張るんだろう」という虚無感

千春さんは現在44歳。介護の仕事をしながら、両親と過ごした街で暮らしています。
事故のあと、支えてきた妹・慶子さんは落ち着きを取り戻し、その後、看護師の道を進んでいきました。

しかし、千春さんは高校に入学した頃から、勉強が手につかなくなり、一時、学校にも通えなくなりました。

大学を卒業したものの、職を転々とする生活が続きました。

「事故直後はみなさんもいろいろ気を遣っていただいて、励ましてくださっていたので、自分の気持ちも張っていましたし、それなりに頑張ってはいたんですけれども。ずっと、両親とか妹がああいう形で亡くなってしまったことに対して、どうして彼らは死んでいったんだろうか。どうして自分は生きているんだろうかという問いがずっと心の中を巡っていて。何のために頑張るんだろうという気持ちがすごく強くなってきて、このまま頑張っても、何かこう、意味があるのかという。そうですね、虚無感というか」

■亡くなった親と同じ年代になり心境に変化が

千春さんが自分の生き方を肯定できるようになったのは、亡くなった親と同じ年代になり、子どもを持つようになってからです。

「いま自分がこうやって子育てをしてて、子どもを育てていくっていうことが、ちょっとずつ分かるようになって。両親たちがどういう気持ちで自分たちを見てくれていたのかなっていうのが、ちょっと自分の経験として分かるようになったので。自分にしかできない生き方があるけん、そんなに気負わんでいいちゅうか、頑張らんでも大丈夫だよと、今のままでもいいよって言ってくれてるかもしれんなと思いますね」

■同じ境遇にある遺児たちに伝えたいこと

今回私たちの取材に応じてくれた千春さん。
取材を通して、同じ境遇にある遺児たちに伝えたいことがあると語ってくれました。

「やっぱり生き残った者として、自分と同じようになんとかこう、がんばらんといけん、亡くなった人たちに恥ずかしくない生き方をせんといけんということもね、持たれて当然だと思うのだけれど、だけど、やっぱり自分には自分の生き方というか、自分なりにしか、やっぱり生ききれんじゃないですか、人間って。そういうご家族を亡くされた方へのこう、あまりいい手本ではないかもしれんけど、こういう生き方もありますよって、ところで、何かこうヒントになればいいのかなっていうものありますかね」

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