MIRAIMAGINE

Menuメニュー
Clip

メニューを開きます

MIRAIMAGINE

Menuメニュー
Clip

メニューを開きます

おんなの選択 埋もれた油田を掘り起こす! 染谷ゆみさん

クリップ
ページを保存しました。画面右上から保存したページを一覧でみれます。
仕事と子育て
おんなの選択
ひるまえほっと
東京
2018年4月4日

左から武内陶子アナウンサー、清水明花リポーター

今回の「おんなの選択」は、こちらの染谷ゆみさん。大きな油田を発掘しています。中東など遠い国の話ではありません。日本、それも東京で油田を見つけました。埋もれた資源に注目し、エネルギーの地産地消をめざす染谷さんの取り組み、人生の岐路に迫ります。

■“東京油田”という言葉に導かれて

朝8時。染谷さんがやってきたのは、都内のパン屋です。お目当ては、使用済みの食用油。飲食店や一般の家庭から出た油を回収しています。染谷さんは使用済みの油を掘り起こし、新しいエネルギーとして生まれ変わらせているんです。集めた油は、染谷さんが経営する工場に持ち込みます。

この装置の中で化学反応を起こし、バイオディーゼル燃料へと生まれ変わらせています。軽油の代わりになり、しかも、燃やした後に有害物質をほとんど排出しない、環境に優しい燃料です。

清水「あっ、さーらさら。全然嫌な臭いしない。不思議」
染谷さん「これは蒸留までしているんで、臭いもなくなっているし、色もきれいになって」

ここで作られるバイオ燃料は年間1200キロ。軽油の代わりに車の燃量として使うことができます。さらにいま注目されているのは、廃油を電力にすること。

毎年冬に行われるイルミネーション、目黒川沿いでは7年前から42万個の電球を、染谷さんが回収した廃油で点灯しています。

染谷さん「食用の油は、人が生活する限り枯れない油田。東京って油田なんだ、東京油田という言葉が私をいまに至るまで導いてきた」

■かつて敬遠していた家業が夢の仕事に

1969年、染谷ゆみさんが生まれたのは東京・墨田区。実家は祖父の代から油の回収業を営んでいました。廃油を精製し、石鹸や肥料などの原料として出荷する仕事。子どものころ染谷さんは、親の働く姿に魅力を感じなかったといいます。染谷さんが学生時代を過ごした1990年頃、日本はバブルの好景気。不動産業や金融業が脚光を浴び、製造業は若者から敬遠されていました。

「いくらでも内定が決まって、どれにしようかなみたいなね。それに比べると油まみれになって人手不足になったのでやり続けるのはしんどいなとは、端から見ていて感じた」

時代の空気になじめず将来像を描けずにいた染谷さんは、自分を見つめ直すためチベットへと旅立ちます。そこで人生を変える出来事に遭遇しました。山あいの集落を通りかかった時、大規模開発でむき出しになった山肌が、突如崩れてきたのです。

「後ろ振り返ったら、いま通ってきた山がわぁーと崩れてくる。木がなぎ倒されて、岩がごろんごろんと転がって。足がすくむ。ぶるぶる震えて。それで環境のことがすごく頭に付いて離れなくなり、その旅が終わった時には、〝環境問題解決〟を自分のライフワークにしようと思って」

帰国後、染谷さんは環境問題に関わる仕事が身近なところにあったと気づきます。それはかつて敬遠して
いた実家の仕事でした。使用済みの油を回収して再利用するこの仕事こそ、環境問題の解決につながっていると気づいたのです。

「東京って本当は油がないけれども、ある。そういったところから油を集めている。資源を掘り起こしている。そういう夢のある仕事なんだと思えた瞬間に、価値観が変わった。いままで3Kでドロドロで差別されたりして嫌な仕事だったのが、なんかワクワクする夢のある仕事に見えてきちゃって、それでなんかこう、もっと頑張って続けていこうというふうになった」

■使用済み食用油をバイオディーゼル化に成功も…

希望を胸に働き始めた染谷さん。23歳の頃、廃油の新しい活用法を思いつきます。当時アメリカでは、大豆油をディーセル燃料に作り替え、軽油の代わりに利用する動きが進んでいました。染谷さんは、回収した使用済み食用油でもディーゼル燃料を作り出すことができるのではと考えたのです。しかし、様々なところから集められる廃油は種類も汚れ度合いも異なります。燃料への変換は簡単なことではありませんでした。

来る日も来る日も研究。反応の時間、温度、触媒などの組み合わせを探りつづけ1年。ようやく、使用済みの油のバイオディーゼル化に成功。世界に先駆けての快挙でした。ほとんど有害物質を出さないこの燃料。東京都などの自治体が運営するバスに、さっそく使われ始めます。

「盛り上がりました。売り上げも増えましたし、油回収のお客さんも増えてきたし。東京油田っていうビジョンがあったから。それがあったから誰もやらなかったバイオ燃料の成功を私たちができた」

ところが2000年頃、逆境が訪れます。景気が低迷し、割高なバイオ燃料を導入する企業はほとんどなくなりました。2003年、染谷さんたちは、自社で使う量をのぞいてバイオ燃料の製造を諦めざるを得なくなりました。

「辞める決断をしたときには、もう断腸の思い。会社はもうこれで潰そうかなと思ったくらいの時がね、あった」

染谷さんは、これまで家業で続けてきた石鹸や肥料の製造に立ち戻ります。家業を守る日々が続いていました。

■東日本大震災で廃油の可能性を再認識

2011年3月、東日本大震災。染谷さんはトラックにバイオ燃料を入れ、支援物資を積んで宮城県気仙沼に駆けつけました。そこで忘れられない体験をします。

訪れた避難所で、バイオ燃料を使い、発電機を動かしました。途絶えていた明かりがともり、暖房器具が稼働。避難所に安堵(あんど)の声が広がったのです。

「天ぷら油で電気ができるんだから。皆さんから〝こういう燃料を作ってこなきゃいけなかったんだね〟というエールをもらって。ますます〝あ~〟。途中挫折して辞めそうになったりとか、もうこんな程度かなと思っていたことが、地震によって、本当にこれで変えていかなきゃいけないなという決意に変わった」

東京に戻った染谷さんが始めたのは、発電事業。

「みなさんから集めた油そのままで発電する発電機の開発に成功しまして」

回収した廃油をそのまま投入して1時間に155キロワットを発電しています。大手電気メーカーの協力を得て、去年(2017年)運用が始まりました。

エンジニア 大橋隆一さん「我々も廃食用油でエンジンを回したことがなかった。未知なところを染谷さんに引っ張られてやってきた」

2年前に解禁された電力小売り自由化の波に乗り、いまは500世帯分の電力を供給しています。ここも立派な発電所です。

■東京を油田に変える夢を胸に

いま染谷さんは、多くの人に廃油から生まれる電気を知ってもらおうと説明会を開いています。この日は墨田区のカフェが会場です。近所の人や商店主たち10人が、手作りの天ぷらを食べながら油談義に花を咲かせました。

参加者「ガソリンと家庭の廃油は、ものとしては別のもの?」
染谷さん「食べられるものですから、体に悪くないし。燃えてもね。石油が燃えるとガスとかは体にあんまりよくない。これだとそんなに悪いものが出ない」

会の終盤、染谷さんは部屋の電気を消しました。そして。

染谷さん「この電気はこのてんぷらを揚げた後の油でできているんですよ」
参加者「おおー」(拍手)
参加者「身近なものから、そんなにたくさんの電力はできるとは思っていなかったので、話を聞いてとてもびっくりした」
参加者「捨てるものがエネルギーになる。非常に重要だと思います。支援というか、これを広めていきたいなと僕は思います」

東京が大油田に見える!染谷ゆみさんは若き日に見た夢の実現をめざし、きょうも街を駆け回っています。

「これからの未来、どんなエネルギーを使っていきたいかの選択肢をいっぱい並べている。とにかく東京を油田に変えるという目標にむけて進んでいこう。だからもう、行けるところまで行く。まだまだハードルは高いと思っていますから、皆さんにちゃんと理解してもらって選択してもらえるようにしたいなと思います」

(武内アナウンサー)
すごい。東京油田!廃油をバイオディーゼル燃料にかえる先駆けとも言えるのが染谷さんなんですね。東京の下町の町工場で生まれたとは。よくあきらめないで電力までたどり着かれて。電気料金は少し高いんですか?

(清水リポーター)
そう思われがちですが、大手と比べてほとんど変わらないです。使用量にもよりますが、いまのところ平均して5%ほど安く供給できています。

(武内アナウンサー)
安い。しかも廃油そのまま入れれば電気ができるというシステム。

(清水リポーター)いまは500世帯分ですが、ことしの10月には新たに1500世帯分の電力を生み出す発電所ができる予定になっています。

(武内アナウンサー)
私たちもいままで捨てていた油がものすごくもったいない気がしますね。

(清水リポーター)
そうですよね。いま都内を中心に500か所に回収ステーションがあります。ですのでそこに持ち込んで捨てずに利用していただきたいですよね。いま全国の家庭で1年間に捨てられている廃油をもし全部エネルギーに変えられるとすると日本全国の家庭が1日に使うエネルギーに匹敵する電力を生み出すことができるということです。

続きを読む

関連のページ

首都圏NEWS WEB 関連記事

人気のページ

Twitter公式アカウントで更新情報をチェック

@nhk_shutoken

別ウィンドウで開く

※NHKサイトを離れます