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伝説のファッション・イラストレーター 長沢節が伝えたもの

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まちの未来
まちと人
ひるまえほっと
東京
2017年5月31日

左から、武内陶子アナウンサー、西村美月リポーター

(西村美月リポーター)
こちらは、60年以上歴史がある「セツ・モードセミナー」という美術学校の校舎です。

この学校を作ったのが、長沢節さんです。
ファッションイラストという分野で一時代を築いた方です。

デッサンの名手とも呼ばれた方ですけれども、そんな彼に教えを請う人たちで、学校は大いににぎわいました。
ファッションデザイナーの山本耀司さんや丸山啓太さん、漫画家の安野モヨコさんや桜沢エリカさん、さらには女優の樹木希林さんなど、多くの著名人を輩出しています。
長沢節さんが1999年に事故で亡くなってからも、この学校で学びたいという人は途切れなかったんですが、生誕100年を迎えて、惜しまれつつも閉校しました。
没後18年となるいまでも人々を惹きつける魅力、そして長沢節は何を伝えたかったのか、取材しました。

■50年前のスタイルを再現したショー

先日、都内であるファッションショーが開かれました。
お客さんも目を見張っていました。

実は、長沢節さんが50年前にプロデュースしたショーの再現なんです。モデルたちが着ている服も、50年前に使われていた実物です。
このショーのテーマは「モノ・セックス」といいまして、男性がスカートをはいていたり、男性と女性がおそろいの服を着たり、今見ても斬新なスタイルです。とても50年前のスタイルとは思えないですね。
長沢節さんが見せたかったのは、洋服ではなくモデルの姿かたちなんです。人間が持つ本当の美しさを表現しようとしました。

当時、衣装デザインを担当したのは、ファッションデザイナーの浅賀政男さんです。
長年、長沢節さんの右腕として活躍しました。

浅賀さん
「(長沢節の注文は)ただ男の子たちの細長いすねを持つ美しさを表してくれればOKということで、布地はどうすれば細いモデルがさらに細く見えるかを考えてデザインしました」

■人間が持つ本来の美しさを骨格で表現

生誕100年のタイミングで、展示会も開かれました。
ファッション・イラストレーターとして活躍した60年あまりにおよぶ作品、およそ300点を展示。

特徴は、人間が持つ本来の美しさを、骨格を描くことで表現したこと。スタイリッシュで、躍動感あふれる画風で人気を博しました。

内田静枝さん(弥生美術館 学芸員)
「長沢節はとにかく“ホネホネ”の人間が好きで、骨を描くのが好きでした。骨張った人というのは、ちょっとの動きでもダイナミックな動きを見せると長沢節は考えていました」

■ファッション・イラストレーターとして一時代を築く

長沢節さんは、大正6年に福島県会津若松市で生まれました。

子どものころから絵が得意で、18歳で上京。
自由な校風で知られた文化学院で絵を学び、挿絵画家としてデビューします。

戦後、数多くの海外ブランドや流行を紹介したデッサン画は人気となり、“ファッション・イラストレーター”として一時代を築きました。

来場客
「先生は憧れだったんですよね。すごく素敵で絵が素敵で、きょうも来られて良かったと思います」

来場客
「最初のころの(作品)をいま見ても、ぜんぜん色あせなくて、いまだに刺激を受けるなと思います」

■校舎のいたるところに残るセツさんの面影

そんなセツさんが開いたのが、「セツ・モードセミナー」でした。
「セツさんのデッサン力を学びたい」という周囲の声に押されて開いた美術学校です。
授業は週に3回。彼にあこがれる人で、学校は大いににぎわいました。

現在の校舎は、昭和40年にセツさん自身が設計したものです。大好きだったフランスの建物をイメージして作られたといいます。

閉校前に多くの人たちが訪れていました。

モデルのNickeyさんです。最後の授業まで20年以上にわたって、デッサンモデルを務めていました。
Nickeyさんは、学校のいろんなところに、今でもセツさんの面影を感じることができるといいます。

Nickeyさん
「(窓から)庭が見えて、すごく私のお気に入りの場所です。窓のこの感じがすごく素敵ですよね。桜が咲いているとき、外に出る時間がないときはここでコーヒーを飲んでいるときもありました」

セツさんの面影は日々の習慣の中にも息づいています。
鐘が鳴ると、コーヒーが入った合図です。

この学校では、休憩時間にはロビーでコーヒーを飲む習慣があったんです。

丁寧に入れたコーヒーが好きだったセツさんも、生徒たちと一緒にこの時間を楽しんでいました。

Nickeyさんにとって、最も思い出深いのは4階のCアトリエ。初めてセツさんに出会ったのも、初めてモデルとして立ったのもこの部屋でした。

Nickeyさん
「ものすごい派手なピンクのキャップに、胸のはだけたシャツを着て、ピンクのソックスにスニーカーで、“セツパッチ”というピタピタのパンツをはいていて。(私を見て)『この人どこの人?』っておっしゃって。(ほかの)先生が『外部のモデルさんですよ』と言ったら、『うん、いいねえ!』とおっしゃって。ずいぶんおじいさんの横柄な生徒さんがいらっしゃるなと思ったら、それがセツ先生だったんですけれども、すごくその思い出があります」

■生身のモデルを描くことにこだわった授業

急きょ、Nickeyさんを囲んだデッサン教室が始まりました。
閉校直前の時期で、卒業生も参加していました。

セツ・モードセミナーのデッサンの授業は、生身のモデルを描くことにこだわりました。そうすることで、構図の基礎がしっかり備わります。

もうひとつのこだわりは、個性を大切にすること。自分たちで自由にひたすらデッサンを重ねていきます。

先生も教えるのではなく、生徒たちと一緒にデッサンをしていました。その中で生徒たちは技術とセンスを吸収していったのです。

今年卒業の生徒
「最初はセツ先生みたいに華奢(きゃしゃ)なモデルさんをきれいに描けるように頑張りたいと思って入学したんです。自分のいいところは残しつつ、セツ先生に近づけたかなと、とても勉強になった1年でした」

渡部倫枝さん(イラストレーター・卒業生)
「生のモデルを描けるということがいちばんぜいたくだと教わってきました。だからセツ先生はいちばんモデルにぜいたくをした学校と言ってて。“いいものさえそろっていれば、俺が教えなくてもみんないいことを得ていく”という放任の教え方だったんです」

モデルのNickeyさんにとっても、この学校でセツさんや生徒たちと接することが大きな糧になったといいます。

Nickeyさん
「(私は)生徒ではなかったですけれども、いろんな方と接することができて、いろいろ勉強して、自分にとってもすごくやっぱり“セツ”(の存在)は大きかったなと思います」

■多くの才能を輩出したセツ・モードセミナーの真髄

デッサンを重ねる中で力をつけていくセツ・モードセミナーの授業。
60年の歴史の中で、多くの才能を輩出しました。

週刊アサヒグラフ「特集 セツ神話」より(1994年9月9日号) 撮影:石動弘喜

アイビールックを世の中に広めたイラストレーターの穂積和夫さんや、ファッションデザイナーの花井幸子さん、山本耀司さんなど、日本のファッションやアートを牽引する人たちばかりです。

イラストレーターの石川三千花さんは、卒業後も交流を続けた1人。

節目のことし、セツさんのエッセイをまとめた本を出しました。
多くの才能を生み出したセツ・モードセミナー。その真髄は、自由の中にも基礎をきちんと作り上げる授業や日々の会話にあったといいます。

石川さん
「(基礎を学んだことで)骨からくる重力など、人体の構造をちゃんと捉えて描いているから、どんなに描き崩してオリジナルのものを作っても、ちゃんと地に足が着いているように見える」

「自分の生き方を含めて、教えるというより、私たちに自然と知らしめてくれた感じ。はっきり“こうしなきゃいけない”と言われたわけではない」

■生誕100年を迎えて、惜しまれつつも閉校

長沢節さんがなくなって18年。生誕100年を迎えたこのタイミングで、セツ・モードセミナーは閉校することを決めました。
惜しむ声も多い中、セツさんの思いを尊重した末の決断でした。

内田さん
「生誕100年の節目にセツ先生の魂を(天国に)返してあげたいという気持ちで皆さんいらっしゃったんだと思います。新たなスタートをひとりひとりが切る、そういう旅立ちだったと思います」

卒業する生徒たちは、セツ亡き学校からもそれぞれ面影を見つけているようです。

卒業生
「この空間でモデルがいて自分たちが絵を描くというのは、セツ先生が生きていらっしゃったころと何も変わらないので、そこでセツ先生を探していたというか、セツ先生と出会って、それぞれ皆がデッサンしていたと思います」

卒業生
「セツ(モードセミナー)に入るときに“常に前衛的であれ”という言葉をいただいて、寂しいというより、後押しをしてくれている感じがあります」

生誕100年、長沢節。
セツの魂は、新たな世代の中でこれからも受け継がれていきます。

■これからも受け継がれていくセツさんの魂

(武内アナウンサー)
樹木希林さんも驚きましたけど、イラストレーターの穂積和夫さんやデザイナーの花井幸子さんなど、いろんな方が卒業されているんですね。
生徒たちの声を聞いても、セツさんの背中を見て育ったというのがよくわかりました。

(西村リポーター)
セツ・モードセミナーは60年余りの歴史の中で1万人以上の卒業生を輩出しました。
取材をして感じたのは、セツさんは18年前に亡くなりましたが、卒業生や関わった人たちの中でずっと生き続けていましたし、セツさんの面影が残る学校で、いろいろなことを感じることによってセツさんのことを身近に感じていたのではないかと思います。だからセツさんもこの生誕100年のタイミングまで生きていたんだなと思いました。
今後は、巣立った人たちが表現していく作品の中に“セツ・スピリット”が入っていて、それが少しずつみなさんに浸透して、アートの世界を牽引していくことを期待したいと思います。

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