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おんなの選択 下町の職人技に光を デザイナー・髙橋正実さん

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仕事と子育て
おんなの選択
ひるまえほっと
東京
2017年5月19日

今回注目するのは、デザイナーの髙橋正実さん。
デザイン界のアカデミー賞といわれる海外の賞を授賞するなど、活躍されてきた女性です。20年ほど前、まだ女性のデザイナーが少なかった時期から活動していて、まさに日本の女性デザイナーの道を切り開いてきました。

髙橋さんの地元は、東京スカイツリーのあるまち、東京・墨田区です。
海外からの仕事のオファーが来る中、いまも墨田区に住み続け、地元の町工場の魅力をPRする活動に心を注いでいます。
なぜそこまで地元に関わり続けるのか、そこには人生の選択で見えてきた大切なものがありました。

■東京スカイツリーのエレベーターに職人の技を

墨田区に来ました。東京スカイツリーが迎えてくれます。
あの中に、髙橋さんがデザインしたものがあるんです。

東京スカイツリーに来た多くの人が乗る展望台へのエレベーター。
その内装とコンセプトを髙橋さんがデザインしています。

4台あるエレベーターのテーマは日本の四季。
地元の職人の技が結集されています。

こちらは、夏。
伝統工芸・江戸切子で、隅田川に浮かぶ花火を表現しています。

そして秋。
地元の神輿(みこし)飾りをつくる職人が手がけました。
真鍮(しんちゅう)や銅でつくられたのは、舞い上がる鳳凰(ほうおう)の姿です。

■墨田区に生まれ育ち、近所の町工場が遊び場に

デザイナーの髙橋正実さんです。
エレベーターの仕事を受けたとき、すぐに思い浮かんだのは地元の職人たちの姿でした。

髙橋さん
「(エレベーターの内装には)この地域のものづくりをふんだんに盛り込みたいと思いまして、たくさんの職人さんに登場いただきたいと。磨き上げられた日本人の美意識を美しく世界に発信したいという思いがありました」

髙橋さんが生まれ育ったのは、東京スカイツリーのある墨田区です。
祖父はガラス職人。家の周りにもネジの工場にシール工場や金型の工房などが立ち並んでいました。

小さい頃から、町工場が遊び場。
次第に、職人がどんな仕事をしているのか興味を持っていきました。

髙橋さん
「小さい頃から知らない家のガラスに(顔を押しつけて) “鼻が豚の状態” でのぞいていると、中で作っている人たちが大笑いして “おいでおいで” と呼んでくださって。工場の現場でも、ここの技術とあそこの技術がミックスされたら、将来こんなふうになるんじゃないかと未来像を考える(子どもだった)。楽しくて(町工場が)大好きでしたし、いまも大好きです」

■10代のころのアイデアがきっかけで商品化

町工場に通ううちに、職人から商品の感想を求められるようになった髙橋さん。
10代の頃には、自分からアイデアを出すようになりました。
その頃から親交のある町工場を訪ねました。

吉田弘さん。特殊な印刷技術で知られる町工場の会長です。

当時の最新技術で作られていた “木目印刷” 。
プラスチックの板に、インクを7回重ねています。
この技術を生かす方法を探していた吉田さん。10代の髙橋さんは、このきれいなプリントを車の内側に貼ったら楽しいのではないかと提案しました。

吉田さん
「(髙橋さんのアイデアを)案外素直に聞いていましたね、やっぱり受け入れる部分があったと思うんですよ、具体的に何がというのではなくて。そういう発想があるのか、そういう分野もあったんだなと、私どもだけじゃなくて、仲間(の職人)がやってみようということで」

髙橋さんのアイデアがきっかけで商品化もされました。
車のメーター周りに使われている内装パネルです。

■デザイナーとして広告会社に就職、しかし…

こうした経験を通して、デザインに興味をもった髙橋さん。
高校卒業後、専門学校で学びます。そして、デザイナーとして広告会社に就職。夢の一歩を踏み出しました。

しかし…

当時、デザイナーのほとんどが男性。
朝から夜中まで仕事が続く環境で体調を崩し、半年で退職することになったのです。

髙橋さん
「デザインが大好きで就職したはずで、頑張るつもりでした。体調を崩すまでは、自分が足りていないと思って頑張っていたので、ショックがありました」

■若い女性だと“門前払い”、助けてくれた職人たち

それでも、デザインへの情熱は失われませんでした。
23歳でフリーランスのデザイナーとして再び働く決意を固めます。

しかし、ここでも思わぬ壁にぶつかります。
デザインの依頼は来るものの、商品化するために必要な印刷や加工を請け負ってくれるところが見つからないのです。

髙橋さん
「『あなたのような若い女性(の仕事を)この時代に受ける会社なんてありません』と言われて断られることが何件も。悲しいですけれど、門前払いということがありました」

当時フリーランスで、しかも若い女性のデザイナーはほとんどいない時代。世間の信用が得られなかったのです。

途方に暮れる中、助けてくれたのは、10代の頃から親しくしていた町工場の人たち。頼み込む形で印刷や加工を受けてもらい、仕事を始めることができました。

■サポートにあたってくれた夫の存在

デザイナーとして軌道に乗り始めていた29歳の時、髙橋さんは結婚。いまは2人のお子さんがいます。

妊娠当時は、大きなプロジェクトの真っ只中でした。
2年間かけて進められていた成田空港のロビーのデザインです。100人を超えるスタッフの指揮をとる重要な役割。高橋さんは、妊娠中の体で深夜の工事現場に通いました。

そのとき支えになったのは夫・直昭さんの存在でした。直昭さんは家業の建築会社の閉店があったこともあり、髙橋さんの仕事のサポートにあたってくれていたのです。

夫・直昭さん
「彼女の体調を考えれば、(現場に)行ってほしくないというのはありつつも、彼女はやると決めていますし、私も一緒になってなんとか終わらせなければと」

髙橋さん
「人に迷惑をかけないようにという思いが強くあったが、実際は体調が悪かったことを主人が知っているので、仕事を乗り越えていけた」

■デザイナーとしての評価が高まり数々の賞を授賞

仕事に邁進する中、デザイナーとしての評価も高まっていきます。
2005年発表のポストカードです。送る側が赤い糸を通して、自由に文字を描きます。糸を通すという行為をデザインに組み込んだ点が高く評価され、アメリカとイギリスの賞を受賞しました。他にも、国内外のさまざまな賞を授賞していきます。

髙橋さん
「私自身が専門分野や現場で正しく(デザインの)方法を学んでいないという “自由さ” みたいなものが大きくあったと思います。すべて自己流、発想(の特徴)があったと思います」

■海外企業からの破格の誘いを断った理由とは

海外からも注目が集まる中、大きなチャンスが訪れます。
アメリカの企業から、 “新しい街をつくるためのデザインに参加しないか” と誘いが来たのです。

待遇はメジャーリーガー並みの年俸にプール付きの豪邸など、破格。
長期間アメリカに滞在することになるこの誘いを受けるべきなのか考える中、髙橋さんは自分のやりたいことを見つめ直したといいます。

Q:その誘いはどうしたんですか?
髙橋さん「結局、お断りをしたんです」
Q:それはどうしてですか?
「アメリカではなくて日本でやりたかったというのと、 “日本がもっとよくならないと” という思いでいたので。(頭の中には)ものづくりも含めて日本が活性化するように、今後も産業やものづくりの人たちや、日本自体が活性化するように考えたもの(があった)。こうした産業が生まれ、いままでの産業がこんなふうに活躍してという絵(イメージ)ができていたんです。そのときの自分のやりたいこととして大きくありました」

■町工場の技術に光をあてるための仕組みづくり

魅力的な誘いを断ってまで、やりたい仕事。
それは、町工場の技術に光をあてるための仕組みづくりです。

墨田区の職人技で作られた日用品などを、区のブランド品として認定する事業にデザイナーとして参加。

埋もれている優れた技術を発掘し、みんなに喜ばれる商品を作り出そうとしています。

■他の国がまねできない日本の技術と精神

東京スカイツリーの中には、認定された商品を集めた販売スペースもできました。

髙橋さん「こちらが『すみだ まち処』です」

髙橋さん
「切子やさまざまな地域の職人たちが作ったものが一堂に集まっている場所です。 “あたらしくある。なつかしくある。” というコンセプトで、大勢の方たちが携わってできた隅田区のブランドなんです」

髙橋さん「こちらは、バネの技術を生かしたトング」

バネをつくっている会社の商品。
金属の反発を知り尽くした職人の技術が駆使されています。

これまでは部品を作るだけだったという町工場からも、技術を生かせる場が広がったととても好評です。
下町の魅力を世界に発信するという髙橋さんの夢が、いま花開こうとしています。

髙橋さん
「日本はとても技術がありますので、他の国がまねできないほどの技術と精神。新たなものづくりの考え方や方法を、先代たちのやり方を大切に、うまく未来につないでいってくれるような時代になっていると思います。日本のものづくりの未来は、これからなんだと思っています」

■やりたいことを見極める力とそれを貫く強さ

(武内アナウンサー)
人生で2つの道を選べないという中で、この墨田区の職人さんたちの技術を伝えたいという高橋さんの愛はすごいですね。そしてそれを実現していくと。

(清水リポーター)
あの誘いを断ってまでやりたかったことが、地元の職人さんたちの技をPRするという仕組みづくりなんです。

(武内アナウンサー)
この「てのひらトング」、どこで作られているとかじゃなくて、この形を見てすごいものだとわかりますけど、これが髙橋さんには子どもの頃からきっと見えていたんですね。

(清水リポーター)
こういった職人さんたちが持っている隠れた技術を、いいものだからちゃんと発信していきたい、それをわかりやすく届けるための全体のデザインをしたいという思いがあったんですね。

(武内アナウンサー)
自分がものづくりをするとかデザインをするだけじゃなくて、職人さんの技を伝えていく仕組みまでデザインしているということなんですね。

(清水リポーター)
それをやりたいと初めに言ったときは、“デザイナーじゃなくて政治家になれば”と冷たく言われたそうなんですけれども、髙橋さんは地道にやり続けて、いま少しずつ芽が出始めているんです。
仲間もたくさん集まってきたということで、『あのときの選択は間違っていなかった』『やりたいと思っていたことを忘れずに続けることが大切だ』と話していました。お話を聞いていると、やりたいことを見極める力、そしてそれを貫く強さもお持ちだと感じました。

髙橋さんがいま取り組んでいるのが、 “中小企業という呼び名をデザインする” ことだそうです。中小と聞くと、大企業に比べ能力が劣っているように認識してしまうけど、実はそんなことはなくて、最先端技術を持っているところはたくさんあるので、それをよりわかりやすく伝えるための呼び方、そしてそれを象徴するロゴのデザインを考えているそうです。

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