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おんなの選択 バリアフリー建築の先駆者・吉田紗栄子さん

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仕事と子育て
おんなの選択
ひるまえほっと
東京
2017年2月3日

今回ご紹介するのは、バリアフリー建築の先駆者、吉田紗栄子さんです。
障害がある人や高齢者と住まいの関わりをテーマに、これまで個人の住宅や福祉施設のバリアフリーを数々手がけ、バリアフリー住宅の基礎を作ってきました。

実は、吉田さんの人生の大きな転機は、1964年の東京パラリンピックでした。
こちらの写真に写っているのは、パラリンピックのイタリア選手団の人たちと、当時通訳のボランティアをしていた吉田さんです。
バリアフリーの家作りに人生をかけて取り組んできた吉田さんに迫ります。

■50年以上、バリアフリーの家作りに取り組む

一級建築士の吉田紗栄子さん、73歳。
50年以上にわたり、バリアフリーの家作りに取り組んできました。

吉田さん
「その人を見て、その人の暮らしを見て、何が好きかを見て。人を見る力だと思います。技術はどうにでもできちゃう」

■車いす生活の女性、リフォームで自宅が快適に

この日訪れたのは、水野眞澄さんのお宅です。
病気の後遺症で車いすの生活となりましたが、バリアフリーのリフォームをすることで、自宅で快適に過ごせるようになりました。

手が届かず、押し入れの開け閉めができなかった水野さん。
取っ手をつけて開けられるようにしたり、2枚だった扉を3枚に分けて幅を広げ、車いすでも通れるようにしました。

いままで1人では使うことができなかった洗面台を使えるようになりました。

水野さん
「次これやってみようって、どんどんやりたいことが増えてくるし、満足感ですね。うれしい」

Q:とても素敵なお仕事ですね。
吉田さん「私がこんなに長いこと続けられるって、すてきな仕事じゃなきゃ続かないでしょう。ものすごくやりがいがある仕事です」

■1964年の東京パラリンピックで見た光景

吉田さんは高校生のとき、国連で働く父に会うためヨーロッパを訪問。
そのとき見た建築物に魅了されました。

帰国後、吉田さんの人生を変えるできごとがありました。
1964年、東京オリンピックの直後に開かれたパラリンピックです。

大学3年生だった吉田さん。語学が堪能だったため、通訳のボランティアに誘われました。

担当したのは、イタリア選手団。
障害者が暮らせるよう、短期間で選手村が改装される様子を目の当たりにし、圧倒されました。

吉田さん
「階段をスロープにしたり、ドアの幅が狭かったらそれをカーテンにしたり。自衛隊の人がたくさんやって来て、二晩くらいで改装していましたけど、私は前の日から泊まっていたから、それを夜見ていて、車いすで生活するには建築に配慮が必要だとそこで学んだんです」

■車いすの人たちのための住宅を作りたいと決意

初めて見た障害者用の建築にひきつけられた吉田さん。
さらに、日本と海外の選手の違いにも驚きました。

吉田さん
「海外の選手はだいたい職業を持っていて、普通に家庭も持っていて、スポーツをしていたら強くなって選手になったという普通の人ですよね。障害者だからと区別するのではなく全く同じ。だけど、たまたま車いすに乗っているとか、耳が聞こえないとか、目が不自由とか、ただそれだけの違いじゃないかってつらぬけたのは、その時の経験が元になっていると思います」

吉田さんは、日本でも海外の選手のように、いきいきと暮らせる世の中になってほしいと思うようになりました。

吉田さん
「一緒に生活している中でいろいろと不自由なことがあった。建物の側から見ると、もう少し工夫できたらと思うことがいくつかあって。そのときに迷わず車いすの人たちのための住宅を作ろうと思って」

■バリアフリーの言葉もない時代で苦労の連続

大学の卒業論文では、車いす利用者の住宅をテーマにし、バリアフリー先進国のデンマークの福祉施設も訪ねました。
卒業後は、建築士として仕事を始めましたが、日本にはバリアフリーという言葉もない時代、苦労の連続でした。

吉田さん
「いまはユニバーサルデザインのドアや取っ手などいろいろな部品がありますけど、そのころは全然なかった。例えばお店のドアは段差がないので、そういったもの使うなど、あるものを使って工夫してきたというのはあります」

吉田さん
「現場はぶっつけ本番みたいなところで、大工さんに教えてもらい、設備屋さんに教えてもらい、タイル屋さんに教えてもらって、各職の人たちに教えてもらいながら、こうしたほうがいいよって一緒になって考えてくれた」

■車いすバスケ日本代表選手から自宅の設計依頼

仕事を始めてまもなく、思わぬ依頼が飛び込みました。
東京パラリンピックで知り合った車いすバスケットボール日本代表、近藤秀夫さんが自宅を設計してほしいというのです。
近藤さんの要求は、とても難しいものでした。

吉田さん
「15坪しか建てられない。でも近藤さんの要求は、自分で何でもできることというのが、いちばん大きなテーマだったので、ものすごく考えて」

■従来の形にこだわらない発想で理想の家を実現

悩み抜いた末にひらめいたのが、従来の家の形にこだわらない発想でした。

吉田さん
「6畳の居間兼食堂なんだけど、それに2つの紙飛行機みたいな羽根をつけてみたんです。そうすると90度曲がらずに、回るところも必要だけど、どこでも回れるようにするには広さが必要。回るとしたらここで回って下さいと限定したら、すっと方程式が解けたんですよね」

車いすを寝室・浴室・トイレの真ん中のこの場所で回転させて使うことができるコンパクトな設計です。

それは、近藤さんにとって理想の住まいでした。
人の手を借りることなく、日常生活を送ることができる。
喜ぶ近藤さんを見て、吉田さんは自分の仕事に誇りを持てたといいます。

吉田さん
「住まいがきちんとすればその人の生活、暮らし自体までも変えられるんだと、はっきりとわかりました。建物がきちんとしていれば、その人は障害者でなくなるんですよね。どんどん幸せになるのを目の当たりにすると、本当に住まいの力は強いものがあるなと思います」

■自らが経験した2か月間の車いす生活

建築家として充実した日々を送る吉田さん。
しかし突然、アクシデントが襲います。
股関節の病気で歩くことができなくなり、2か月間車いすでの生活を余儀なくされたのです。

吉田さん
「本当に思ってもみなかったことですけど、現場でいきなり股関節にものすごい痛みが出て歩けなくなって、タクシーで帰ってきたんです。自分が車いすを使うことになったり、つえをつくようになったりして、できなくて人に頼まなくてはいけないつらさが本当に身にしみて」

吉田さんは、バリアフリーの大切さを改めて実感。
病気になったり、年をとることで誰もが当事者になると考えるようになりました。

吉田さん
「障害がある人たちは、水先案内人みたいなところがあるわけです。高齢になると目が見えにくくなるけど、視覚障害の人はとっくにそういう苦労はしているわけでしょ」

吉田さん
「バリアフリーっていうとみんな結構ですと言うけれど、もうちょっとバリアフリーって広い意味で捉えてもらい、長く住むための基本的な条件って考えてもらえれば、いろんな工夫もできるしね」

その後、吉田さんは、どんな住宅を設計するときにも、基本にバリアフリーを位置づけました。
いまではバリアフリーの要素をあらかじめ取り込入れた住宅も増えています。

■自分が選んだ好きなものに囲まれて暮らしてほしい

いま73歳の吉田さん。
自ら最後と位置づけている新築の住宅に取り組んでいます。

依頼主は、60代から70代の湯本さん姉弟です。
姉弟3人で同居する自宅を建て直し、これから先も暮らし続けるためバリアフリー化したいといいます。

この日は内装の打ち合わせ。
吉田さんは、建物だけでなく室内のインテリアの色や形も、バリアフリーの設計にとって重要な要素だと考えています。

吉田さん
「こんなふうに好みを聞いておけば、壁の色とか選ぶのに全体としてそろってくるんですけど」

吉田さん
「自分が選んだ好きなものに囲まれて暮らしてほしい」

■自分の個性より住む人の個性がにじみ出る家に

湯本さんの家の建築現場です。

築60年の自宅が建っていました。
湯本さん姉弟は、ここについのすみかを作りたいと考えています。

湯本宏之さん
「愛着があるんだもん。親からずっとここに住んでいる。親が昭和7年にここへ来て、それからずっと住んでいる。やっぱり大切な土地だからね」

湯本貞子さん
「これから先のこと考えると、住みやすさに重点をおかないと。だから最終的に施設に行くのではなくて、自分の家に暮らしたいというのが、私たちの中にあります」

住み慣れた元の家の間取りを生かしつつ、エレベーターを設置したり、それぞれの部屋からリビングに集まりやすい動線を確保したり、さまざまな工夫を取り入れる予定です。

吉田さん
「いままで私が培ってきた高齢期の住まいを何気なく散りばめた家にしたい。いちばんは皆さんが楽しく住んでいただけるのがいいですね。私の個性というより、住む人の個性がにじみ出る家にしたいと思っています」

■2020年に向けて若い世代にバトンを

バリアフリーの設計だけでなく、考え方も多くの人に伝えたい。
いま吉田さんは、NPOの活動にも取り組んでいます。
2020年の東京パラリンピックに向けて、幅広い世代に伝えています。

吉田さん
「いちばん思うは、私たちは建物を作っているのですけど、なんとしても毎日の暮らしがどれくらい豊かになるかっていう視点で家を作りたいと思っています。いままで以上にその視点が大切になってくるんじゃないかなと思います」

参加者
「障害を持っている人も関係なく誰もが住みやすい、家だけでなく地域もそういう世の中になっていったらいいなって改めて思いました」

参加者
「家は私たちを守るもので、命を守る場所だと思うんですね。年をとっていけばいくほど、考えなければいけないと感じました」

吉田さん
「2020年のパラリンピックでどう変えるかが1つの目標となるから、世界の人たちに日本って高齢化がこれくらい進んでいるけど、高齢者や障害のある人たちと一緒になって暮らしていけるまちづくり、家作りをやっていますと、世界に発信できたらいいなと思います」

50年以上にわたり、バリアフリー住宅の設計に取り組んできた吉田さん。2020年を体験する若者たちが 次の時代を切り開いてくれることを願っています。

吉田さん
「私の人生は1964年のパラリンピックからいまに至るまで、ずっと(バリアフリーと一緒に)続いているんだなと思っているんです。天職だったと、そう思います。どうバトンタッチしていくのか。バトンのゾーンに入っているけど、なかなか渡しきれない」

■その人が何をしたいのかを見極めることが大事

左から、島津有理子アナウンサー、松尾衣里子キャスター

(島津有理子アナウンサー)
日本ではまだほとんどバリアフリーの建築が知られていなかったころから、道を切り開いてきた吉田さん。「自分の個性より、住む人の個性がにじみ出てほしい」とおっしゃっていましたが、本当に徹底して暮らす人の生活に寄り添うという姿勢が感じられましたね。

(松尾衣里子キャスター)
例えば、段差があることで人によってはリハビリになる場合もあるので、画一的に段差をなくす、手すりを付けるということではなくて、その人が何をしたいのか、状態を見極めることがいちばん大事だと話していました。

(島津アナウンサー)
吉田さんにとっては、前回の1964年の東京パラリンピックが転機になったということですけれども、次の2020年の東京パラリンピックが、バリアフリーをさらに進めるような契機になってほしいですよね。

(松尾キャスター)
1964年に自分が経験したように、建築を志す若い人たちがたくさん経験であろう2020年に、これまで広がってきたバリアフリーの考え方が特別なものじゃなく当たり前のものになって、より暮らしやすい世界になるきっかけになればと期待されていました。

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