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震災証言「あの日、あの時」 船長が下した“ぎりぎりの判断”

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震災
伝える
茨城ニュースいば6
茨城
2016年3月2日

震災証言記録、「あの日、あの時」。
3月11日、東日本大震災で被災した人たちは、どこにいて、何をしていたのか。NHKでは被災地の放送局で、証言を集めています。
今回は、大洗港と北海道の苫小牧を結ぶフェリーの船長、坂上幹郎さん、59歳です。船長暦12年のベテランです。

水産庁によりますと、東日本大震災では、太平洋沿岸の300あまりの漁港が津波に襲われ、およそ2万9000隻の船が岸壁に乗り上げたり、沖に流されたりする被害が出ました。フェリーが停泊していた大洗港にも、地震のわずか30分後に津波の第一波が押し寄せました。
船長の坂上さんは緊急出港が可能か、ぎりぎりの判断を迫られました。

■高さ4メートルを超える津波に襲われた大洗港

あの日の大洗港のフェリーターミナルです。

高さ4メートルを超える津波が岸壁に押し寄せ、漁船や車が流されました。
津波の第一波が観測されたのは、地震の発生からわずか30分後でした。

■ジョギング中に大きな揺れに見舞われた船長

大洗と北海道の苫小牧を結ぶフェリー「さんふらわあ」です。
震災当日は、苫小牧からの便が、地震が発生する前の午後2時に大洗に到着して、トラックなどの陸揚げ作業が行われていました。

「さんふらわあ」の船長、坂上幹郎さんです。

坂上船長
「ここぐらいから、大きな地震の揺れを感じて」

坂上船長は港に到着したあと、近くをジョギング中に大きな揺れに見舞われました。

坂上船長
「(電柱が)大きく揺れだしてですね、今にも倒れてきそうな感じだったですね」

坂上船長
「結構、大きな地震だったものですから、『船の方は大丈夫かな』と。確認しようという思いで、一生懸命、船の方に帰りましたですね」

■フェリーに駆けつけ、船体の被害状況を確認

フェリーに駆けつけた坂上船長。
まず、船体に被害がないか確認しました。

坂上船長
「岸壁自体が波を打った状態といいますか、ところどころ陥没が出ていましたね」
Q:どういう気持ちがしましたか?
「まず、船自体はしっかりしていましたから、その辺は安どした感じですね」

そして、フェリーを操縦するブリッジに駆け上がりました。

坂上船長
「まず、3等航海士から『津波が発生しています』という報告を受けた。せっぱ詰った、急迫した状態だという感じは受けましたね」

■津波警報が発令、沖に向かって緊急出港を決断

午後2時49分、茨城県に津波警報が出されました。
無線では、海上保安部が津波への警戒を繰り返し呼びかけていました。

坂上船長
「津波に対しては、(船を)沖合に出そうという昔からの考えがあったものですから。津波がくる前に、船を沖に出そうという考えは、瞬時に頭の中に浮かびましたね」

坂上船長は、津波からフェリーを守るため、沖に向かってただちに出港することを決断しました。

坂上船長
「双眼鏡で水平線の近くをのぞいたんですけれども、まだ波が立っているとか、そういう状態ではなかったですね」

■通常は30分かかるエンジン起動を15分で

坂上船長
「もしもし、機関長をお願いします…」

すぐに、機関長にエンジンの起動を指示。
わずかな判断の遅れが、船員の命を危険にさらすことになります。

坂上船長
「エンジンの方も『了解』ということで。通常は30分かかるところを15分で、リスクを背負いながらもやってもらったという感じですね」

Q:考えられるリスクはどんなものだったんですか?
「船のエンジンの不調で、航行中に突然機関が停止したり、そういうことが考えられましたね」

1万3000トンを超えるフェリーを動かすには、通常エンジンの起動から出港まで、30分かかります。
エンジンに与える負担が大きいことも覚悟しながら、回転数を急ピッチで上げていきました。

坂上船長
「何とかお願いしたら、半分ぐらいですむのではないかという考えはありましたね。実際、それでできましたね。エンジンも15分で立ち上げましたし」

最後に残ったのは、フェリーを4か所で岸壁につなぎとめていた綱をはずすこと。
港にいた作業員が短時間ではずし、出港の準備が整いました。

作業員
「『船を出すから』ということで綱をはずして、それから『すぐに逃げろ』と言われたので、すぐに家に帰ったのを覚えているんですけど。とにかくあわただしかったですから、ただそれだけしか覚えていないですね」

■地震発生14分後に出港、途中また大きな揺れが

地震発生からわずか14分後の午後3時。
フェリーが出港しました。

港は、沖へ急ぐ漁船でひしめき合っていました。

坂上船長
「漁船は何十隻も我先に港外に逃げていましたし。一生懸命、注意喚起の意味で(汽笛を)連続吹鳴したという感じですね」

坂上船長
「途中、港内のほぼ中央で、1回また大きな地震があって、船体が大きく揺れましたね。今まであまり経験したことがないような緊張の度合いだったですね」

■港に戻るのは危険と判断して、苫小牧へ向かう

撮影:茨城県防災航空隊

茨城県の防災ヘリコプターが撮影した写真です。

時間は午後3時25分頃。
港を離れて沖合を目指して進む坂上船長のフェリーが写っています。

フェリーの出航後、津波に襲われた大洗港は巨大な渦が発生していました。
港に係留されていた漁船は28隻が被災。

坂上船長は、港に戻るのは危険と判断して、苫小牧へ向かいました。
津波が迫るなか、坂上船長が下した“ぎりぎりの判断”でした。

Q:出港できなかったら、どうなっていた可能性があるのでしょうか?
坂上船長
「テレビの映像を見たら、船自体が横倒しという状況になったと確信できますね。
 自分の立場をわきまえて、どういうことをしなければならないかということを、率先して1人ひとりがやったという結果だと思いますね」

■「沖出し」によって津波の犠牲になった漁船も

大洗港では、停泊中のフェリーは、津波警報や大津波警報が発表された場合は、港の外に退避することになっています。
津波からの被害を避けるため、船を沖合に移動させる方法は「沖出し」と呼ばれています。
一方で、東日本大震災では各地の港で、この「沖出し」をしようとして津波に巻き込まれて亡くなる漁業者が相次ぎました。
このため水産庁は、人命を重視する観点から、港に係留中の漁船は、原則として沖出しを控えるなどとしたガイドラインを示したうえで、各地の漁協や漁港に、避難方法の自主的なルール作りを進めるよう呼びかけています。

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